【VRChat】「優しい世界」にしのぶ影
「ここでならなんかやれそうな気がする」
私がVRChatをプレイし始めた数日後に得た感覚だ。
そこから自作曲の発信を始め、2年経った今はささやかながらながらメタバースで音楽活動をする人間として認知されるようになった。
こういった気持ちを抱くのはなにも私に限った話ではなく、仮想現実で日々を過ごす多くの人が「なにかをやりたい」という欲求に駆られていく。
そんなVRChatの世界で度々語られるテーマに
「なにかをやってる人」と「なにかやろうとするけど出来ない人」
の対比がある。
私自身、活動を始めてしばらく経った今でも、
「なにかをやってる人」に嫉妬を覚え、自己否定や怒りに呑まれてしまうことがある。
「なにもしてなくたっていいんだよ」
「そのままの貴方でいいんだよ」
そんな言葉では拭いされない焦燥と妬みで、
調子を崩してしまった経験がこれを読んでるあなたにもあるかもしれない。
そしてここ最近のMoshなどの台頭によって、「ユーザー個人がお金を稼ぐ仕組み」が浸透しつつある。
他者に価値あるサービスを与えられる技能を持っている人が、ついにそれで収入を得られるようになった。
すごい事だ。
喜ばしい事だ。
メタバースで活動する者として、歓迎すべきなのだと思う。
だが、どうしても、私の脳裏には
「何かをやろうとしても何も出来ない事に今も悩み、もがき続ける人達」の顔がよぎってしまうのだ。
「自分はあなた程、皆に期待されてないし、何かを求められる事もない」
ある日、VRChatで言われた言葉だ。
私は基本的に自分のインスタンスにこもって来客を待つという遊び方をしている。
2年このゲームをプレイしていく中で、
多くのご縁に恵まれ、最近ではフレンドさんがよく遊びに来てくれるようになった。
そんな中、その様に受け身でいても私がVRChatを楽しめるのは、
音楽活動で得た認知度や期待があるからだという文脈で上記の言葉を言われたと記憶している。
その瞬間は「お前に俺のなにが分かる」とムカッと来てしまい、その言葉の意味するところを深く咀嚼する余裕がなかったのだが、今になると少し考えるものがある。
「なにかをやってる(それで承認を得ている)人」と
「なにかをやろうとしている(承認を自分も得たいと思ってる)けど上手くいかない人」
両者の間にはハッキリと名状はされることはなかったが、確かな「壁」がある。
どれだけ優しく、正当性のある理屈でもっても隠せない壁が。
しかし、その壁は人それぞれにとって見え方や意味の変わるもので、
その壁をそもそも認識しない人もいれば、
「壁の向こう側は自分の世界ではない」と各々のペースのままに生きられる人もいれば、
壁の向こうの世界を羨望し、自分のいる手前の世界に息苦しさを覚える人もいる。
個人の在り方、生きている事そのものに優劣や貴賤は存在しない。
理性でそれを理解出来ても、
壁の向こう側を渇望する人にとって、
その世界にいる(様に感じる)人は「自分達とは違う」と感じてしまう。
「自分より上等なものに見えてしまう」のだ。
そして、それが仮想現実という、
物理現実を生きる自分の容姿を隠して生活出来る場所で起こったことであるのなら、
それはより辛い現実としてのしかかってくる事も考えられるだろう。
「VRCの人達って優しいよね」
クリエイター仲間の一人がふと口にした。
私もそう思う。そんでもって私はそれを「良い事」だと思っている。
創作・自己表現の分野で「優しさの是非」は度々議論される事であるが、
他者の発信したものに優しい言葉をかける土壌があってこそ、
「ここでなら何かやれるかもしれない」と思った人が一歩目を踏み出せるのだと思うからだ。
「優しい世界」という言葉は皮肉的に使われる事もあるし、自己研鑽や自分を見つめ直す場面においては胃が痛む様な言葉も受け取らねばならない時もある。
しかし、「優しい」からこそ、
今幸せにのびのびと活動をしている人が多いのも事実なのだ。
その点は、私の衝動的な嫉妬で水をさすべきことではないと強く感じる。
ならば何故、この話題を持ち出したのか。
その「優しい世界」に、
今、とても残酷な影が迫って来ていると感じるからだ。
「壁が可視化され始める」
最近のVRC界隈の動向を見て、私が危惧し始めている事だ。
「なにかをやってる人達」が、
お金を稼ぎ始めている。
「なにかをやってる人達」が、
「お金を稼げる人」になっていく。
他者からの承認は「いいね」と「RT」のような数字で測られる事もある。
だが、それは突き詰めれば「好みの問題」に落とし込むことだって出来る。
「皆んなはアイツをヨイショするけど、俺は嫌いだから認めない」
「承認」が主たる結果であり、報酬であったこれまでは、それを押し通すことが出来た。
しかし、これが「金銭」になったらどうなってしまうのだろう。
「好みの問題」が「稼げる能力の差」になる。
皆んながやんわりと感じていた「壁」が
「格差」という言葉で顕在化される。
「優しい世界」に
今、最もグロテスクな現実が迫りつつある。
そう感じてしまうのだ。
「それでも希望を与えるには?」
繰り返しになるが、
私はVRで活動をする表現者がそれによって稼げる様になっていくことには大賛成だ。
現実では得られなかった収入をここで得られる様になったのだから。
何度だって言うがそれは、本当に、本当に、喜ばしい事だ。
今、それによってファンと収入を得つつあるフレンド達のことは心から応援している。
偽らざる本心だ。
しかし、「格差」へとその姿を変えつつある「壁」に今もなお苦しみ続けているフレンド達のことも、私は気掛かりで仕方ない。
今後、より根強く、そして当人達には受け入れるのが難しくなっていく
「なにかをやってる人」と「なにかをやろうとしても出来ない人」
この問題に、
「VRでの活動を通して、人に希望を与えたい」
そう望む私に出来ることはなんなのだろうと、
どういう言葉をかけ、どういう作品で表現していけば、支えになれるのだろうかと、
答えは容易にでるものではないからこそ
今までも、これからも、ずっと悩み、考え続けるのだろう。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
このテーマについて作ったオリジナル曲、「ギラギラ星へ」もよろしければ併せてどうぞ!
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