見出し画像

ヴィジュアル系における白塗り文化について 〜その1:ピエロ〜

Twitter(現:X)で見かけた、ヴィジュアル系における白塗り文化の源流を辿る話について。

化粧をすることがシーンにいるアイデンティティの一つであるヴィジュアル系の中で、通常の女性用の化粧の度合いから更に逸脱し、ドーランなどで皮膚の肌色の部分を真っ白に塗りたくる、通称「白塗り」。
今やヴィジュアル系内のサブジャンルの系統を問わず一般的になってきているこの化粧の手法ですが、その白塗りに込められた意味や理由、動機については千差万別。
そんな白塗りは何故、どのようにして、どういう理由でヴィジュアル系バンドに浸透したのか。
それを自分なりに紐解いていきたいと思います。


ヴィジュアル系における白塗りのカルチャーについてを辿ると何通りかに分類できると自分は考えていて、
そのうちの1つがピエロ(バンドの方でははありません)もといクラウンの白塗りが源流にある、と考えています。

そもそも何故ピエロ(バンドではない)がよく知るあの見た目か、という所まで遡ると。
(ここから先、現代における差別的な表現が出てきます。抵抗のある方は読み飛ばしてください。)


ピエロ(バンドではない)の奇抜なメイクの発祥について遡ると、元は紀元前まで行き着きます。
紀元前4〜5世紀の古代ギリシャ、古代ローマでは、貴族や裕福な家庭に道化者を仕えさせる文化があり、前者では大道芸を行なう者を指し、また後者では小人症や四肢欠損など、いわゆる生物学的に希少性のある人物ーーーつまり障碍者を魔除けとしてペット感覚で雇っていた文化がありました。
(魔除けなのにペット?という所は、それよりも更に昔の畸形=神聖、という価値観があった頃まで辿ることになると思いますが、 今回はあまりにも遠くまで行き過ぎてしまう気がするので割愛します)
この文化自体は16世紀頃まで続いていました。

17世紀のヨーロッパでは、同じように宮廷の貴族たちをメインに障碍者に芸を演じさせたりして楽しむ「見世物小屋(フリークショー)」と呼ばれる文化が流行しました。(見世物小屋もフリークショーもよくヴィジュアル系のモチーフやテーマで取り上げられる言葉なのでお馴染みかも知れませんね)
そんなバックボーンを経て、知的や身体的に障碍のある者を娯楽の道具とする文化を皮肉り、風刺として取り入れたのが大道芸人です。
大道芸ではそれらの特徴をコメディの一環として取り込み、奇抜なメイクをすることによって視覚的にそれを表現しました。
例えばピエロ(バンドではない)メイクでお馴染みの目の上下を貫く縦線は盲目を、 白塗りは感情を表に出さない、感情が外からは分からない様を、
口や頬の紅は酔い、恥じらい、興奮などの状態を、
そして涙メイクはそういった様に含みを持たせた、様々な感情が含まれているであろう様を表している、と言われています。
白塗り=奇抜、というイメージはおそらくここに端を発しているのではないかな、と。
(余談ですが、この辺りの文化から生まれた言葉の中に「アルルカン」「クラウン」「ジョーカー」「ハーレクイン」等があります。ヴィジュアル系のモチーフとして愛される物が多く登場するので、興味のある方は掘り下げてみてみてはいかがでしょうか。)

このピエロ(バンドではない)メイクの本来の意味合いは時と共に次第に薄れ、現代の意味での道化者、剽軽な者、変わり者のアイコンとして人々の中に定着していき、
日本では19世紀の西洋からのサーカス文化の輸入により一般大衆へと浸透をしていきます。
(また脱線しますが、日本に初めて来た海外のサーカス興行団の名前が「リズリーサーカス」と言います。DADAROMAの曲名にもなっていますね)

大道芸、演劇という観点では、19世紀に殺人や疾病、ホラーを題材にした演劇場「グラン・ギニョール」(グランギニョルとも)あたりの影響も考えられます。
(大衆演劇とは一線を画した、今で言うアングラ演劇の走りのような所。この辺も掘り下げるとまた話が脱線しそうなのでやめておきます)
そんなグラン・ギニョールで描かれた世界観も踏まえつつ、バックボーンからの流れを日本の音楽に結びつけると、白塗りは奇抜、奇怪、特異のイメージになる、というのがごく自然な流れかと思います。
ニューロティカのあっちゃんさんや電気グルーヴの前身である人生(ZIN-SAY!)あたりがそのキャラクター性も相まってそういった特異性と音楽を結びつけた第一人者ではないか。
そして白塗りこそしていないものの、その周辺の音楽の性質や表現への体制が近しい界隈がナゴムレコード周辺のアーティスト、いわゆるナゴム系に分類される人達なのかと僕は考えています。
そして更にそこから着想を経て、 例えば文学や前衛演劇の世界観を落とし込んだヴィジュアル系界隈では犬神サーカス団(現:犬神サアカス團)やグルグル映畫館、
"文学"という部分をよりサブカルチャーサイドにクローズアップさせてモチーフにしたピノキヲ、
前述の人生などのテクノ、ニューウェーブ的な側面を音楽性として強く受け継いだ新宿ゲバルト、
あたりが90年代〜00年代のピエロ(バンドではない)メイクを発端とした日本のヴィジュアル系シーンの一端を担うことになった流れ、だと思っています。
この辺りには寺山修司や丸尾末広の世界観も密接に組み合わさってくるので、またの機会にしっかり紐解きたいですね。

演劇や芸能についての文化には詳しくないので間違った解釈もあるかも知れませんが、ヴィジュアル系の文化への道筋、という所での個人的な解釈はこのような感じです。
この辺りに明るい人がいたら是非お力添えを。

白塗りの源流としてのピエロの話はここまで。ご覧いただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?