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短編小説:「雨夜のヤクザ」


窓越しのネオン


その日は、しとしとと雨が降っていた。

窓ガラスの水玉には、ネオンの光が煌びやかに映り込み、雨の音の向こう側でパトカーのサイレンが微かに聞こえたり、誰かのラジオから山下達郎のシティーポップなベースラインが抜け出していた。

この空間のすべてが、まるで映画のワンシーンを演出するかの様に彩り、シンクロする。

何って表現するのかな〜?こうい感覚。言葉が見つからないな。何か気持ちが良いという雰囲気は感じるが、上手くマッチする言葉が見つからない。ん〜。。こう言う感覚を、俺は形にしたいんだけどな。

今でいう《エモい》みたいなモヤっとした感覚の言葉は、この時代にはなかった。だからよく言葉を探す事も思考遊びの一つだったのかもしれない。

「浅井さん!行きましょうか?」

「えっ?あ、おう。行こか。」

肺に入った煙草の煙を出し切り、煙草をデスクの灰皿で捻り消した。デスクの書類は一つにまとめて角に置いた。

8月の商戦期前のデパートは忙しい。

ショーウィンドウや建物側面の垂れ幕、店内の至る所にポスターや装飾をする。インパクトがあるデザインや企画をしていかねば生き残れない。

他の百貨店の“奴ら”には負けられない。視察に来た同業が「コレは…何だ…凄いな…」と、声には出さないものの目を大きくしてキョロキョロ見渡している姿を見ると、ニヤっとしてしまうのだ。

「俺のデザイン・企画で、全国の百貨店で右に出る者はいない!いつかはニューヨークに行く男だ!」そうやって誰もが驚くモノを、また誰もが認める斬新なアイディアをクリエイトし続けてきた。

今時の流行りは、原色をバンっと出したデザインで購買意欲を駆り立てさせる。それだけじゃ物足りない。そんな事は皆がやっているデザインで、流行りの先端を行かねば斬新なデザインなんか生まれない。

常に映画や海外雑誌で情報をキャッチし自分のスキルに取り入れてきた。「流行の先の先を読め!プラスのインパクトを!話題になるネタを!観た人間が何年先でも忘れないデザインを!」それが仕事だった。誰もがまだ観たことのない世界を観させてやる!

そんなアイディア会議をいつもの業者仲間達としていると、時間は直ぐに経ってしまった。「コレは出来るのか?幾らで出来る?」常に新しいモノを!感覚を!求めていた。

「どこいきます?いつものとこで良いすか?」

「あー。そうだな。そうしよう。」

「どうしたんすか?ボォ〜っとしちゃって!」

「いや、別に。」

「じゃあ!先ずは腹ごしらえに、錦の長崎ちゃんぽん屋行きますか?!」

そうやって百貨店宣伝部の事務所を後にした。まさか今夜、あんな事が起きるとは、この時は想像もしていなかった。



長崎ちゃんぽん


「いらっしゃい!まいど!」

「どうも!浅井さん今日はどうします?ちゃんぽん?バリそば?」

「バリそば(皿うどん)かな。」

「大将!皿うどん二つと、お稲荷さんも二つで!」

「はいよ!」

飲みに行く前にはよくこの長崎ちゃんぽん屋で腹ごしらえをする。なぜ稲荷寿司なのかは分からないが、ちゃんぽんの塩気と甘さのバランスがたまらない。

カウンター席で会話なく並んで食べる。食べている間も思考が止まった事はなかった。何かを常に考える性格なのだ。

「なぜこの店は◯◯なのだろう?」と自分に問いて答えを探す。「あっ、だからか〜」と謎解きを自分でして答えを見つけだすのだ。当時はスマホなんかないから答え合わせなんか出来ないし、そもそも調べる事も出来ない。そうやって頭を働かせて情報を収集していた。

また考えたイメージからその時の感情や時間、温度や匂いといった空間の雰囲気まで一緒に記憶をするから、沢山の情報データが頭脳に残る。

現代のデジタルネイティブの若者は、情報を沢山得て即答えや方法を知る事が出来るが、0から1を想像する力は弱くなる。考えないからだ。何でも『まず人に聞く』傾向が強い。

私達の時代は『まず自分で考える』が当たり前の時代。それが後々のクリエイティブな仕事には必要なマインドとなるのだ。

「さぁ〜!腹一杯になりましたし!行きましょ!まず一件目ですね!」

お会計を済ませて暖簾に手をやり、小雨になった歩道に出る。そしていつもの雑居ビルへと足先を向かせたのだった。



ベルベットソファーとデュポン


東京に比べて人が少ない名古屋。昼の繁華街の道を歩く時も「人が多いな〜」と感じる事はほとんど無い。祭りの日とか、何か特別な行事がある日以外は名古屋の人はあまり集まらないのだ。

だが金曜の夜の栄だけは違う。眠らない街と化して人が集まり、ごった返す。東は女子大小路、西は錦三丁目まで、パブやスナック、居酒屋などの飲み屋は笑い声や喧嘩の怒号など様々な声が飛び交う。

行きつけの店は何軒かあった。その内の一つは決して治安が良い場所とは言えない地区にあった。

野良猫がゴミを漁る横で、ホームレスがダンボールでうずくまり。その横には外国人の真っ赤なドレスを着た女性が歩く男性に話しかけ交渉をしている。

黒塗りの車が数台縦列駐車をしている横には、ダブルのスーツを着た男達が遠くをキョロキョロ見つめて警戒をしている。

そんな街中をポケットに手を突っ込みながら大股で歩き、あるビルの前に着いた。

エレベーターのボタンを押すと、ビ〜と音が鳴り扉が開き、今にも止まりそうな音を立てながら3人が限界の小さなエレベーターは3階に上がった。

廊下の一番奥の赤い扉を開くと「いらっしゃい!あら?!お久しぶり!」と声がした。香水の甘い香りが広がる空間に入り、扉が閉まると外の音は一切遮断された。

赤いベルベットのボックス席に座る。いつもの席だ。スーツのジャケットを脱ぐとすぐにハンガー片手にジャケットを受け取る女性。

30代前半ぐらいだろう。大原麗子似の美人だ。

「加奈子ちゃん、ボトル用意しておいて!浅井さんとこ」と慣れた感じで、準備が進められていった。

ベルベットソファーの背もたれに肘を置き、タバコを咥えるとすぐに、デュポンの独特のキンッという音が横から鳴る。

息を吸って紙にジュ〜っと火が付く音。思いっきり肺に吸い込み天井を見上げて息を吐く。

この一呼吸がたまらない。最高に至福な時間の始まりだった。



ガキ大将


何時間経っただろう?テーブルの上にはジャックダニエルの空き瓶と、新しく開けたジョニ黒が半分残っている。

さっき隣のおっさんが歌うカラオケに、ワザと被せて上手く歌ったら喧嘩になっていた。

昔はこんな迷惑な行為も、隣とのコミュニケーションだと思っていた。どちらも女の子に良い所を見せたい高校生の様な見かけは社会人の男子。気持ちは成長をしていない為、チョッカイをだしては大体喧嘩になる。

いや、喧嘩をしたいが為に街に出て来ていたのかもしれない。喧嘩を売って、買われたら思う存分殴り合う。

昭和とは毎日が映画のワンシーンに憧れる男達が、そこら中で息巻いていた時代だった。皆んなが主役の気分。石原裕次郎、小林旭、加山雄三の様な。

加山は正統派な若大将だった。皆が加山に憧れた。だから【エレキの若大将】の影響で皆がエレキを持ち、GS(グループサウンズ)の真似っ子をする。

しかしエレキを持てば《不良》と言われた時代。そんな不良で伸び伸び育った子が、この頃の大人なのだ。空気銃で銭湯のガラスを割り女湯を除いたり。金持ちの家にあった真剣でチャンバラをしたり。世間や時代に反発してきた子が、イタズラ好きのガキ大将達が、好き勝手なままに大人になっていく。そんな時代。

ふと店の扉が開き、一緒に来た相方が外から帰って来た。

「トイレ行ったら、オッサンが吐いて横になってるから。外行って立ちションしてきたんすよ!へへ!」

「もう〜こんな濡れて、どこでしてんのよ〜!風邪ひくわよ」

「ひかないってこんぐらいじゃ!さぁさぁ!飲も飲も!」

と聞いていると、トイレに行きたくなった。

この頃は大体共同トイレがビル内にあり、行けば誰かが酔い潰れている。

今の時代では衛生的な観点やコンプライアンスから見られないが、昔はよく道端の電信柱に用を足す子供やおっさんの姿があった。

夜の街ではおっさんが裏路をトイレにする事は珍しくなかった。ただ治安が良くないとこほど朝方小便臭い。清掃のおばさんも水を撒いて大変だったと思う。

雨に濡れながら、ビルの隙間の雨風が凌げる場所を探す。ブルッと身体が寒さに反応しながら、ズボンのチャックをしめた。その時だった

「おい!テメ〜ぶっ殺されたいんか?」

ガシャん!ドス。

「オラァ〜!もぉ終わりかて?」

と何人かの男の声と荒々しく場が乱れる音が、ビルの隙間の向こう側から聞こえた。

気になり向こう側の光を目指した。



乱闘


ビルとビルの隙間は大人一人ぐらいが通れるぐらいの幅で90cmぐらいだろうか。下にはビタビタに水を含んだダンボールが落ちており、沼地を歩いている様だった。

よく子供の頃は近所を“冒険”…という名の悪さをし、家と家の隙間をこうやって逃げ回ったなぁ〜

という記憶が蘇ってきた。

その時もそうだ、向こう側の光の先に何かがある!とワクワクしていた。産道から生まれる記憶が潜在意識下で残っているからかもしれない。

出口付近の1m前辺りに、バケツにモップやデッキブラシが挿さり立て掛けてあるのが見える。アレには気をつけて覗かないといかんなぁ〜!と慎重に考えながら一歩一歩歩いていた。

そしてゆっくり光の先の光景を目にする。

「おらぁ〜はよ言わんかい!こっちはいつやったったってええんやぞ。」と、うずくまった人間一人に対し、男が…4人?5人?だろうか。何かの訳がありリンチをしている光景だった。

あの4〜5人の男は風体からみてヤクザかチンピラだな。金の取り立てか?いや人数からして状況はもっと深刻な内容そうだ。

あのやられてる男?から何かを聞き出したいのか?と考えながら見ていた時だった。

話している男の後ろで、赤いシャツの男がカシャっとナイフの様な物を出したのだ。

雨で視界が悪いし、薄暗いから明確に見えた訳ではないが、何か嫌な殺気みたいなモノを感じた。

「まぁ〜ええわ…」

その言葉を放った赤いシャツの男の声のトーンと背中で、諸々悟った。あっ…あの男、殺されるのか。

コレは見てはいけない光景だったと今思ったが、なぜか額から頭の頂点ぐらいの部分がジワ〜っと痺れて熱くなってきた。

そして気づいたら、手にモップを持って走っていた。4〜5人の男までの距離は約3mの所の自分。

脳内にアドレナリンが出まくり、その時の記憶は一心不乱過ぎて全然覚えていない。

ただ一瞬、倒れていた血だらけの男がモップを振り回してチャンバラしている自分に、軽く会釈をして背中を丸めて遠ざかる後ろ姿は覚えている。

4〜5人の男はいきなりの乱闘過ぎて、何事か分からず、ただ暴れる男に不意を突かれて意味が分からない。そしてその隙にうずくまった男には逃げられ、状況への判断が付かない中

「何やってるんだ!」と二人の警官が20m先ぐらいで大声を出しながら走り寄って来たのだ。

乱闘はそこで終了。

それぞれチリチリバラバラに散った。

別に逃げる必要は全くないのだが、また元来た沼地の道を少し早歩きで帰っていた。

なぜかニヤけて仕方がない。映画の石原裕次郎か、勝新太郎になった気分だった。

彼らが、どちらが良いとか悪いとかの内容は全く分からないが。

人の命が目の前で亡くなるかもしれない瞬間に、自分はモップを刀の様に強く握り助けようとした事、いざという時に時代劇の侍の様な行動が取れる人間なんだと証明出来た事が嬉しかった。

ただ刺激が欲しくて、夜な夜な飲み歩いていた若き日の時代。誰なのかも分からないが、人の命を助けた、映画の様な日の夜だった。

そしてこれがある分岐点となり、どちらかの選択を迫られるとは?この時は知る由もない。

それはもう少しだけ先の話だ。



突然の来客者


あの夜から数ヶ月が経った。

クリスマスに年末年始と、百貨店は繁忙期が続き大忙しだった為、すっかりあの出来事の事は忘れていた。

「浅井さんおはようございます!次はもうバレンタインですね!今年は何か面白い企画考えているんですか?」と若い紳士服売り場の男の社員が声をかけてきた。

「目立つイベント、インパクトを与えても、その場で終わっていてはただのパーティーでしかない。話題を作り、人から人へと人伝いに繋がって行く事をマーケティングしなければ、企画は成功しない。だからメディアが食い付きそうな事を考えて、メディアに売り込んでより多くに認知してもらう!それをするのが俺の役目だわな!もう手は打ってある!楽しみにしときゃ〜!」

「へぇ〜!勉強なります!ありがとうございます!メディアが食い付きそうなネタを仕込むのか〜」と斜め上を見ながら、社員食堂までの廊下を若い男は歩いていった。

もうこんな時間か。午前中はあっという間に過ぎる。久々に外で食べようかな。と関係者入口から外に出て歓楽街にある「あんかけスパゲッティ」屋さんを目指した。

息が白くなるぐらいの日。鼻から入る空気が冷たく鼻腔を駆け回る。一瞬頭によぎる欲望。

味噌煮込み(本店の方)が食べたい。しかし今日は、そーれかヨコイにしよう。気分はもうあんかけだ。名古屋の名物がしばしば頭の中で戦う。

昨日は大好きなカレーうどんだった為、選抜からは外れているが。美味いカレーうどんには目がなかった。しかしココが一番!と決められるカレーうどん屋を何年も探し回っているが、まだ出会っていなかった。この頃は。

食への追求は生き甲斐の一つでもあった。

サラリーマンが肩を寄せながら食べる、名古屋独特の食「あんかけスパ」。この時代の若者がこぞって食したロマンの味だった。ピカタ、カントリー、ミラネーゼ、ミラカン、バイキング。メニューも名古屋人しか分からない独特さが尖り好きだった。

さて腹も膨れたし!会社帰って仕事するか!!

と事務所に戻りデスクに座ると

「浅井…さん…あのぉ〜。。」

「ん?何?そんな顔して。」

「いや…お客様がいらしてるんですが」

「お客様?何にも約束はしてないけどなぁ」

「はぁ…それが…ちょっと…」

呼びにきた女性社員の顔が、泣きそうな顔をしていた。

「で、どこにいるの?そのお客様って方は?」

「売り場です。紳士服の」

「紳士服の売り場?表から来たの?」

そして関係者通路から売り場に出て、その人達を目の当たりにするが。まるで状況が掴めなかった。

「誰?」



地下街の喫茶店


目の前に居たのは、誰がどう見ても二人の極道な男達だった。

ブラウンのスーツにペイズリー柄のネクタイ。目は猛獣界のボスの様な目。雰囲気もギラギラしてるわけでなく落ちついている。身長はただただデカい185cmはあるだろう。ピットブルとか土佐犬を人間にした様な迫力がある。

もう一人の男もスーツ姿。印象は小柄。切れ目で痩せ型。デカい男の一歩後ろに立っている。

で?何で俺を呼んだんだ?クレームか?

いや紳士服売り場でのクレームで、俺が呼ばれる事はない。状況が全然掴めない。

「浅井さん、ですよね?」

「はぁ。私ですが。」

何で俺の名前を?怖。

何かしたのか?…いや何もしてないぞ。

「ちょっとお時間頂戴できますか?私共のカシラが浅井さんとお話をしたいとの事で。」

イメージより丁寧な口調だな。怒ってる訳じゃなさそうだ。しかし俺はカタギ。こんな人達と関わりなんか無いし…何の用だろう?

「用件は?どんな?」

「それはカシラからお話をさせて頂きます。どうぞ近くの喫茶店に居りますので、そこまでご一緒頂けますか。」

何の用かがまず知りたい…

「じゃあ行こか」

と3人で歩き始めた。

百貨店を出て栄の地下街に向かう。すれ違うサラリーマン達は、観たい欲求を抑えて不自然に壁側のポスターを見ながら歩いてすれ違う。

そりゃ昼間っから目立つナリだから、誰もが注目するわな。と考えながら5分ぐらい歩いただろうか。10m先の喫茶店の入り口にまた二人の極道が立っている事が見えた。

あそこか。あれでは誰も入れないし、中にいる人達も勝手に出て行く訳だ。まるで極道映画だ。

「お疲れ様です」と二人の極道が、185cmの男に頭を下げる。そして中を覗くと、一人の黒いスーツの男が店の真ん中辺りに座り、その男を取り囲む様に7〜8人が立っていた。

何だこの異様な光景は…

黒いスーツの男と目が合い、男は手を伸ばし自分の前の席へと手を流す。

「お待ちしてました!さぁ〜。」

全く状況が掴めないまま、ビビる様子を見せてはダメだと。無理に平然を装った態度でその席まで歩いて座った。

6〜7人ほどの極道な男達の顔にも威圧感は全くない。黒いスーツの男は笑顔で口を開いて、こう言った。

「その節は、本当にありがとうございました。」



本題


「その節?」

前に出された水を一口飲み色々考えてみる。

何の事だ?これは皮肉か?

何か悪いことでもしたか?

「あの日、浅井さんに助けて頂いていなければ、おそらく今私はこの世にいなかったでしょう。」

いっつも銭湯に行けばこの手の人はたくさんいるが、話したことはない。ましてや助けたことも記憶にない。

「アイスコーヒーですよね?いつも」

「え?」

いつもって言った?なぜ俺がいつもアイスコーヒーを頼んでいることを知っているんだ?

そもそも何で俺の名前を?職場を?知ってる?

こいつら凄いな…

「すみません。申し遅れました。私、加藤と申します。」

「加藤さん?」

「はい、見ての通り職業は極道です!ハハハ」

加藤以外の取り巻く男らは、威圧感は無いものの強面を斜め30度に上げ、キリッと口元を締めて、腕を後ろに回し立っている。

「おい!お前ら。ココで笑わな場が和まんやろが。笑わんかい」

と加藤が周りに喝を入れると、周りの男達はホロホロと顔の筋肉をぎこちなく綻ばせ、皺くちゃに口角を上げながら低い声で無理して笑い出した。

何とも奇妙な光景だ。

アイスコーヒーとピーナッツが目の前に運ばれ、置かれた。

「あの日、雨が降っていて。コイツら俺を探してくれていたらしいのですが、見つけられずで。私はきっと、あのまま裏路地で息絶える運命だったんだと思いますわ。」

裏路地?雨?

ふとあの日の光景が鮮明に脳裏に蘇った。 

「あっ!あの時の?!」

「思い出して頂けましたか?!」

「お〜お〜!生きとったんか!」

「おかげ様で!この通り!」

加藤は両手左右に広げ、爽やかに笑った。

「あの日、地方から違う組の奴らが、私らのおじきの情報を探りに来たんです。そこで不意を突かれ、私は連れ去られ、あんな状態になっちまって。」

「なるほどね」

「そこに勇気ある行動を取って下さったのが、浅井の兄貴で。浅井の兄貴が私を助けてくれなきゃ、私を探してるコイツらに息のある内に見つけて貰う事はなかったと思います。」

後ろの男の一人が視線を下げ、唇を噛み締めているのが分かる。

「浅井の兄貴、改めて本当にありがとうございました。」

加藤が立ち上がり最敬礼で頭を90度まで下げたと同時に、周りの男達も最敬礼で90度頭を下げ

「ありがとうございました」と太く低い声が喫茶店の中に響き渡った。

日常生きていて、極道の男達にこんなに深々御礼をされる事が、一生に一度あるだろうか?

その瞬間照れ臭くキッチンの方に目をやると、この店のマスターが腰を丸くしてずっとカウンターを手拭いで拭いていた。

おそらくこっちの方が気になるも、敢えて見れないといった感じで軽作業を続けているのだろう。

「あっ。良かったわ!本当無事でな!」

あの日の事はあれから二、三ヶ月ほど気にはしていたが、実際は何も出来やしないし、分からない事を考えていても仕方ないと、日常の業務に追われながら半端無理矢理といった感じに忘れかけていた。

アイスコーヒーを啜りながら考える。

その礼をわざわざ言いに来たのか?しかしよく俺をこの半年間ぐらいであの雨夜のシルエットだけで探し出したもんだな。

そう思うとこの男はかなり頭がキレるな。頭が良くなければ、あの日の空間で俺を探し出す情報を記憶なんか出来んだろうしな。聞いてみるか。

「よく、俺って?どうやって?」

「はい!浅井の兄貴の、特徴的なスーツ、髪型で、探すのはそんな難しい事はなかったんです。あれが普通のサラリーマンみたいな格好だったら、探し出せなかったでしょうね!ハハハ」

周りの男達も今回は一緒に笑った。

あっ、俺が目立ってたのね?!そうかそうか。水色のジャケット着てるサラリーマンなんかいないか。と自分のスーツの色を確認した。

「浅井の兄貴。そこで今回の本題なんですが。」

「え?本題?御礼を言いに来たんでしょ?」

「いえ、それもですが、本題は違います。」

何だよ本題って…



兄貴


「はい。色々コイツらとも考えたんす。」

コイツらという周りの男達を見渡すと、ネクタイの首元に手をやり一回気持ちを引き締める者。手を前に合わせて背筋を伸ばす者と、何やら皆がソワソワとしっかり意識を集中し始めている。

「あの時、私は死んだも同然。私はこの組の頭です。小さい組ですが、コイツらは私の家族で、本当大事な場所なんです。私が死んでたら、コイツらも守れんかったかもしれません。」

なんか極道映画って作ったシナリオだと思ってたが、本当にこんな漢気ある仁義で熱い世界なんだな。と言葉には出さなかったが聞きながら思っていた。

「無くなるはずだったこの命、兄貴に託したいと思いました。」

おい…いきなり熱さが…急上昇し始めたか?

「私達の兄貴になって下さい。」

周りの男達もそこに同意と

「兄貴になって下さい!」

と口を揃えて言った。

おいおい…どんな告白よ。

俺は昔から女の子に惚れられるより、男から先輩先輩と集まってくる傾向があった。

大学の時も迷彩服にサングラス、スズキのオープンのカーキ色の四駆に乗っていたから、女の子なんか寄ってもこなかったが。寄ってきたのは日の丸を愛する活動をしている若者達だった。

「浅井君!浅井君!ウチらと一緒に街を走らない!」と。専ら男にモテる。

「え?兄貴って、マジな兄貴になるって事?」

「ハイ。真剣です。私達は。」

確かに冗談を言ってる目ではない。

「本題?それ?」

「ハイ。本題はこれです。」

沈黙した。

う〜ん。何だろ?このザワつく感じは。

小さい頃に、占い師にこう言われた事を思い出した。

「この子はある道に行けば、親分になるわよ。でも危険も伴い、そちらは早死にします。この子はそこが人生の分岐点ね」

正にその分岐点だと、ヒシヒシ思っていた。

こんなに分かりやすい分岐点が今日になっていきなり来るとは?朝の目玉焼きに塩をかけるか?醤油をかけるか?迷っていた自分が想像出来ただろうか?

これから親分になったら、目玉焼き食べる時には、塩と醤油の両方が横に添えてあるのかな?

などと訳の分からない想像まで、この沈黙の5秒ぐらいで駆け巡っていた。

自分の気持ちは正直50:50だった。

昔から憧れていた極道映画の世界。そんな映画みたいな世界ではないと分かってはいるが、男なら誰もが一回は憧れる、男の世界。

しかし今の仕事は俺しか出来ない、プロの世界。美大を主席で出て、ここまで辿り着いた自分の道。

カタギか?カタギじゃないか?

理想のデザイナーか?憧れの極道か?

これも数えてはいないが、30秒ぐらいは頭で巡り巡って思考していた。

その間加藤、周りの男は一切口を開かず、自分を見ていた。喫茶店のマスターもコーヒーカップを手拭いで拭く手を止め、音を出してはならないと静止している。

そして決断をした。



カタギとヤクザ


「こんな映画みたいな、面白い誘いをして貰っといてせっかくだけども。やめとくわ」

加藤も後ろの男達も、少し眉毛の力が緩み、残念そうな面持ちだ。

「そっちの世界には実は、子供の頃から憧れはある。だけど今の俺は今の自分の仕事に満足しているし、何よりこれからが挑戦なんだわ。カタギでいくわ。」

「そうですか。分かりました。残念ですが、今回しっかり浅井兄貴に気持ち伝えられたし、御礼も直接言えたので良かったです!ありがとうございます。」

「おう。もうこれで俺の前には顔を出さんでな。俺はカタギだで、職場に来られても困るで。」

「承知しました。ご迷惑をおかけしてすみません。」

そうして店を後にした。

本当ならヤクザに連れられ、喫茶店に行くなんて怖くてしかたないだろう。だが昔から肝は座っていた。

私立の中学に行っている時から、態度は大きく目立っていたから、先輩に体育館裏によく呼ばれていた。高校に進んでも喧嘩は絶えなかった。

呼び出されても暴れたらなんとかなる精神がどこかにはあった。そして都合が悪くなれば警察を呼ぶ。ヤクザな性分だが、カタギの強みは大いに活かす。

カタギのヤクザであり、ヤクザなカタギだった。

それが一番自分らしい立場だと重々分かっていた。

それからしばらくは、また普通の日常が続いてた。次にあの男が現れるまでは。



最後の再来


加藤から地下の喫茶店に呼び出されたあの日から、約一年が経っていた。

百貨店の仕事は順調。

クリスマスにバレンタインや春の準備をし始め、バレンタインにサマーイベントを企画し、春には枯れた紅葉をイメージし、真夏にクリスマス正月の想像を膨らます。

そんな環境とは真逆な、前倒しする想像力が出来ないとこの仕事は出来なかった。

常に新しいトレンドの先を見据えて、人を楽しませる。究極の夢想家、コレが生き甲斐だった。

そして年間、イベント・宣伝広告費で何億を動かす男。正に面白い人生の真っ只中。

ある日の昼休憩終わり、あの日の様にまた女子社員が私を呼びに来た。

「あの…浅井さん。お客様がフロアでお呼びです…」

「何か前に似た様な事があった様な…またか?」

そして紳士服売り場に行くと案の定、極道な風貌の男が立っていた。

「浅井の兄貴。お久しぶりです。突然のお呼び出し、誠に失礼いたしました。」

「いやいや。もう来るなって言ったじゃない。」

この顔、なぜか覚えてる。あの日の喫茶店で、少し後ろの方に立っていた男だ。その時はまだ下っ端の様な、派手な柄シャツを着ていたが。今はキリッとした顔で、パシッとスーツを着ている。

色々とこの人らもこの一年あったんだろうなと感じさせた。

「で…何?」

「浅井の兄貴に、是非また下の喫茶店まで来て頂きたく。」

「え?また…もう行かないって言ったじゃない。」

無言で深々と会釈された。
おそらく何かあったのだろうと察した。

「分かった分かった。ちょっとしたら一人で向かうわ」

「分かりました、お待ちしてます。」

そうしてまた、あの喫茶店に向かう事になったのだ。これが彼らの最後の再来となる。



SAMURAI - 侍


喫茶店に向かうと、極道な二人がまた入口前に立っているのが見えた。

お店から30mは離れているのに、コチラに気づいた二人の男は腰を90度に曲げて礼をしている。

横を通り過ぎるOL達が男達の頭を下げる方を見て「誰かくるの?」と横目で確認しながら歩き去っていく。

「浅井の兄貴。お疲れ様です。中へどうぞ。」

何か、凄く。気持ちの良い自分がいるのも確かだ。

「お。」と返事をして中へ入った。
気分は極道映画の主役な感じだった。

店内には前の様にまた7〜8人の極道の男達だけが居た。そしてなぜか全員黒服で、起立をしている。

「すみません。浅井の兄貴。またお呼びだてをしてしまい。」と声を発したのは真ん中の男。

加藤ではなかった。以前私を迎えに来た185cmのピットブルの様な男だ。

「どうぞ。お座り下さい。」

この状況、大体の察しがついた。
加藤に何ががあっだのだろう。

でもなぜ自分が呼ばれたのか?は分からなかった。

「お察しの通り、加藤はいません。」

目の前にマスターがコーヒーをサラッと出して去って行った。

「その様だね。何かあったの?」

「カシラである兄貴は、組を守る為に亡くなりました。」

「亡くなった?」

「はい。多分私ら皆が今回、本当は死んでいた事でしょう。私らも極道に生きたからにはそれが本望だと伝えました。しかし兄貴は皆が死なない終わり方を選んだんです。」

何も言わずにただ聞いていた。

「それは、兄貴の意志を継ぐ者を絶やさない、『侍』な極道の生き様をする者が、これから生き、その精神をこの世界に残す為に。私ら極道は筋を通します。そんな仁義を重んじる者が、これからのこの世界では伝えないといかんと。兄貴は考えたんです。」

多分どこの世界にも本音と立前が存在する。本音を分かっていても、立前で仕事をする仕事ばかりだ。自分達の気持ちに嘘をつき、本音をかき殺して、長いモノに巻かれて、妥協妥協で生きる。

それに犠牲を払い、大事な物を失い、魂を売り、ハリボテな世界に更にハリボテを重ねて強度を増させる。

ドンドン立前の壁は強くなり、それが『普通』になり、誰も逆らえない、異常な世界を築き上げていくのだ。

それが加藤は嫌だったのだろう。
立前で仲間を一緒に死なすより、本音の意志を継いで生きて欲しい。それが彼が命を削ってした決断だと感じた。

「なるほど。加藤さんは『侍』だね。」
「はい。兄貴は真の『侍』だったと思います。」

黒服に身を包んだ彼らは、肩を震わせながら立ち、鼻をすすっていた。

どの世界にも『侍』はいる。
だけど『侍』として生きている奴は本当に少ないと、この時自分達の世界を含め考えていた。

「そしてウチのカシラが、浅井の兄貴に《俺が居なくなったらコレを渡して欲しい》との事で、今回お呼びだてをさせて頂きました。」

目の前にハンカチが置かれ、一枚一枚包みが開かれて何やらアクセサリーの様な物が真ん中にポツンと現れた。

「カシラの意志で浅井の兄貴に、コチラを持っておいて欲しいと。」
「いやいや形見を持つのは俺じゃないでしょう?アナタ達の方が加藤さんと親しかった訳だし。」

「これは遺言なんです。浅井の兄貴に必ず渡してくれとの。」

加藤はあの日、命拾いをした。
多分本当にあの『雨夜の日』にあそこで助けられていなければ、彼はこの家族の様な仲間の男達と二度と話す事はなかっただろう。

それは自分の『侍』の信念を、面と向かって彼らに伝えられなかった事になる。

だから残された時間が与えられ、仲間の彼らと沢山の想いを共有出来るキッカケを作った俺に、律儀な彼は自分が死んだ後に、感謝の意を告げたかったのだろう。

「分かった。加藤さんの想いも分かった。だが俺はアナタ達と住む世界が違う。価値観も色々違う。俺は目の前で【複数人 対 一人】で殴られてるのを見て、黙っていられなかっただけだ。殴り合いの理由も俺は知らん。どちらが先に手を出したかも知らんし、カタギかヤクザかも俺には関係ない。一対一の喧嘩なら手助けはしなかった。そしてあれが人数が逆なら逆を助けていただろう。それだけの事。それがたまたま加藤さんだったって事。」

「はい。分かってます。ありがとうございます」

「だから前も言った様に。俺はカタギだ。アナタらとは住む世界も価値観も違うで。絶対に俺の所にはもう来るなよ。それだけだわ。」

ピットブルの様な男は席を立ち、男達全員が以前加藤が礼をした時の様に、最敬礼で礼をした。

人生で二度目があるとは。
ヤクザに最敬礼をされるサラリーマン。
と思いながら喫茶店を後にした。

歩きながら考えた。
「誰か」だから俺は助けた訳じゃない。
そしてある日の光景が蘇る。


小学生の頃。
複数の年上に殴る蹴るをされていた時だった。いつも自分を虐めていた幼馴染の近所のお兄ちゃんが、どっからともなく来て

「イジメてんじゃねぇ〜よ!テメ〜ら!」と助けてくれた事があった。

いつもは悪ふざけでこの俺を泣かしてくるお兄ちゃんだったのに。その時は仲間を守るヒーローとなり助けてくれたのだ。時代劇の主役のお侍の様だった。

それからもそのお兄ちゃんは相変わらず俺を叩いたり、虐めたりして来たが。なぜか虐められた気はせず、笑ってやり返せる様になった。何か仲間みたいな心が繋がっていた気がする。

だから同じ状況を見ると理由なく、恩返し的な動きをしてしまうのかもしれない。
誰かとかは関係なく、負けている方を助けてしまうのだと。

それは日本人として、複数の人間が弱い者を倒していると居ても立っても居られない!助けなければという『侍』の様な本能なのかもしれない。

その後、彼らが職場に現れる事は二度となかった。


《20年後》

パンパンに小銭が入った革の小銭入れが、ポルシェのダッシュボードにいつも入っていた。

ジュースを買う時や洗車場でジェット噴射をする時、賽銭を入れる時などその小銭入れはよく活躍していた。

「これ見て〜!知っとる?」

ニヤニヤ変な笑みを見せながら小銭をかき分けて探している。そしてあるアクセサリーみたいな物を摘んで、バ〜ンと息子の僕に見せてきた。

「知らない。何?」

「これはよ〜ヤクザの形見なんだわ!」

「ヤクザ?」

「ヤクザにスカウトされたんだわ。でもあの時俺がヤクザになっとったら、あんたは生まれとらんし、もう死んどったかもしれんわな。」

そして『雨夜のヤクザ』の話が始まるのだ。


因みに、人生でこの話は20回は聞いている(笑)



※このお話は父の本当か?嘘か?分からない話を、私なりにアレンジして創作したフィクションです。実在の人物や団体などとは一切関係ありません。


地道に1話1話、アメブロにて書いています。
よければ是非リアルタイムでお読み頂けたら嬉しいです!

『小説ブログ『破天荒ファミリー』』
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