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『続・#MIU404 あのセリフについて考えてみた』第20言

あースッキリ。昨日思い出せなかった「陣馬さんのセリフ」

同じくシナリオブックを持つ相棒が、昨日の記事を読んだ時にちょうどそこ(P218)を読んでたという奇跡(ガクガクブルブル)

第6話:エリート父をもつ少々ひねくれ若造くん【きゅうちゃん】が「自分が使えない奴だって、認めるのは、怖い」と言い終わるや否や、腕をうかんで「間違いも失敗も言えるようになれ。」というのです。愛です。

昨日のわたしのうろ覚え➡「失敗しても失敗したって言える人間になれ」

・・・第1話の天才頭脳派【志摩】の言葉をお借りするなら「記憶を過信しないでください。記憶にはバイアスがかかる」「自分の見立てや思い込みで話が曲がる。無意識のうちに。」というやつです。(どこかでわたしを見てやしないか……なんだかボディーブローが効いてきそうなセリフです)

ありのまま?

それにしても、陣馬さんのさっきの言葉には続きがありました。


「バーンと開けっぴろげに!はじめからハダカなら何でもできる!


ハダカ……はだか……裸………。

【伊吹】語録をお借りするなら「むじぃ」(むずかしい)


ありのままのー姿みせるのよー

ありのーままのー自分ーになるのー

なーにもー怖くーなーいー♪

こんなアナ雪の歌があったり~、つい最近?少し前にやたら耳や目にしたような~「ありのままの自分

アナ雪の「Let it go」の it は自分を縛るものをえーい!と goさせちゃえ~

そーいや、ビートルズの歌にも「Let it be」ありますね。こっちの it はまるごと受け入れて beで在れ~

でしょうかね。


怖いのカラクリ?

いやぁ、でもこう言っちゃなんですけど、ありのままの自分で生きるのって「そりゃそうしたいけどさ。言うは易しで…」って思う時もないですか?【きゅうちゃん】が言うように、まんま出して「自分が使えない奴だって、認めるのは、怖い」そんな時だってあるでしょう。そもそも、ありのままの自分が自分にとっては当たり前すぎて「どれ?」な時もあります。

ありのままの自分で生きる

赤ちゃんの時は全然できたんですけどね~、余裕でしたよね。

「わたし、使えない奴だって思われないかな」なんて多分だれも思ってなかったんじゃないでしょうか。


なんで怖くなっちゃったんだろうか。


案外【きゅうちゃん】の言葉にカラクリが隠されているのかな、と思いました。

「自分が使えない奴だって、認めるのは、怖い」〇

ここ

「自分が使えない奴だって、思われるのは、怖い」✖

じゃない んですよね。


わたしたちは 育っていく過程で<どこかで><何かで>……もう一度【志摩】の言葉をお借りするならば「自分の見立てや思い込みで話が曲がる。無意識のうちに。」なことを実はしている。<自分は使えない奴だって思われている>と見立てている。もしくは、もう思い込んでいる。

「(ひとから)思われるのを怖がっている」んじゃなくて

「思われていると(自分が)認めるのを怖がっている」んです。

少なくとも【きゅうちゃん】の言葉は、この深層心理のカラクリをついているような気がしてなりません。


だけど【志摩】は言う。

「記憶を過信しないでください。記憶にはバイアスがかかる」

そうだよね。そうじゃない?(誰に聞いているんだ)


認めなくていい?

そなアホな。と思われるかもしれませんが「認めなければいいのでは?」です。ーーー

ここで、神社でいただいた「おみくじ」で大切にしておいた2つをご紹介したいと思います。

訓「眼に見えざれども、吾人の一挙一動を知る者三あり。曰く神、曰く祖先、曰く良心

ひぃーーー。

でも、ですよ。ここには実に「ひと様」がおりません。学校や会社、普段目にしている<あの人、〇〇さん>ではないんです。

「良心」つまり<自分>です。(こっちの方が、ひぃーーーかもしれませんね(笑))

結局、じぶんのすべての言動は、そのもととなる心根=じぶんの良心がちゃーんと見ていている……ということで<自分が使えない奴>と思っているのも、認めるのがいやだと抗っているのも、「自分」ということなんです。

誰も思っていないのに そう思っている自分

もしくは

自分がそう思っているから 映し鏡である〇〇さんが そう思っているぞという現実を見せてくれている、だけなのかもしれません。

ということは。

<自分が使えない奴>と思われるような言動、心がなければ、そんなことを認めなくていいんじゃないか、って思うんです。あったなら悔い改めるしかありません。その自分を<自分>は知っているのですから。

「間違いや失敗も言えるようになれ。」と陣馬さんが言ったのは、(言えない)と自分を追い詰める心やその心が引き起こす言動の方が、よっぽど怖いんだぞ、と教えてくれている愛のある忠告だったのではないでしょうか。

心開けっぴろげバーン、ハダカでどーんで居れたら、映し鏡であるひと様もまた、心バーン、ハダカどーんできるひとじゃないと太刀打ちできないかもしれません。隠すこともできないし、隠す必要もない、ダダ洩れ万歳の世界。

心がダダ洩れでも、やることなすこと ぜーんぶダダ洩れでも、赤ちゃんのように「なーんか文句ありますかー ないでしょーにー」くらい素っ裸で居られたら、無敵ですよね。(もともと敵なんていないんですから

母親のおなかの中であーんなに長いあいだ衣食住(衣はないか、)お世話になってた=生まれてきた=「最初からひとの手を借りまくって生まれてまいりました!」

さて。

そうは言っても記憶を過信せず、記憶にバイアスとやらをかけないためにも、

こちらは大のオトナのわたしが手に取った時にぷっと笑ってしまった「こどもおみくじ」のお言葉を、赤子心の初心にもどる大事な教訓としてお贈りしたいと思います。

いつも あかるい げんきな よいこ、

きょうも、かみさま、ありがとう


「居心地がいい」を生きようっと。


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