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岡本かの子

1889年生まれの小説家、歌人、仏教研究家。

漫画家岡本一平の夫であり、岡本太郎の母でもある。

幕府の御用役を務めていた大貫家の豪商で生まれる。

16歳の頃から、新聞に詩の投稿を始め、17歳のときに、与謝野晶子の「新詩社」の一員となり、本人名義で雑誌に詩や和歌を発表し始める。

19歳の夏、東京美術学校生を通じて、岡本一平と知り合う。

21歳のとき、岡本一平と結婚、翌年長男である岡本太郎を出産。

兄や母の死、夫一平の放蕩などから、精神のバランスを崩し、精神病棟に入院。

その後、夫一平は悔い改め、家庭に戻るが、長女の死などもあり、夫婦の仲は戻らず、一平の了承の下でかの子の崇拝者の堀切茂雄と同居。

次男を出産するがまもなく亡くなる。

宗教に救いを求める中で、親鸞の『歎異抄』に出合い、生きる道を見出す。

1929年、40歳の頃に家族とヨーロッパへ外遊。

ロンドンやベルリンなどに滞在し、1932年、絵の勉強を続ける太郎をパリに残したまま帰国。

帰国後、それまで書いていた仏教のエッセイなどが反響を呼び、仏教に関するラジオ、講演、執筆などの依頼が増える。

44歳の頃から川端康成より小説の指導を受ける。

47歳のとき、芥川龍之介をモデルにした『鶴は病みき』を出版。念願だった小説家としての活動を本格的に始める。

小説家としての代表作に太郎への愛を『母子叙情』、自由と虚無感を描いた『老妓抄』、女性が主体的に生きる姿を諸行無常の流転と共に描いた『生々流転』などがある。

49歳の頃、宿に滞在中に脳溢血に倒れ、2月18日に東京帝国大学附属病院小石川分院で死去。戒名は雪華妙芳大姉。


岡本かの子の言葉


常に変化して、進化し続けている自然界では、
完成することはありません。

極致に到達すること、極めることは、
あり得ないのが自然界でしょう。

これより先がないと感じていることは、
単に、その先の道が見えていないだけと、
考えた方がいいでしょうね。

極められることがない世界で、
極めることを目的としてもあまり意味がないでしょう。

それよりも、少しでも深くまで、遠くまで、
辿り着こうとすることですね。

与えられた時間は限られていますから、
その生を与えられた時間の中で、
どこまで辿り着けるかが人生でしょう。


そして、その無限に広がる追求のフィールドの中で、
どこまでも、深く、遠くまでの道を見つけるのは、
自然界の一員であることを自覚することでしょう。

人間界の中だけで考えていると、
たぶん、早々に行き詰まってしまいます。

人間は、自然界を支配している。
最も進化した存在だと錯覚していますが、
人間が、自然界を把握しているのは、
ミクロにもマクロにも、ごく僅かな部分だけです。

自然の前では、人間は無力ですし、
全ての根本が、自然界のルールで成り立っています。

そのことを、自覚し認識していけば、
夢や才能、能力の追求には、
無限の奥深い道が見えてきますね。


岡本かの子作品一覧(青空文庫)


代表作『家霊』『老妓抄』を含む短編と、和歌や岡本太郎との手紙のやり取りなどが掲載されている岡本かの子の入門の一冊。


息子である岡本太郎が晩年に書いたエッセイ調の代表作。

面白いねぇ、実に。
オレの人生は。
だって道がないんだ。
眼の前にはいつも、なんにもない。
ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ。


ストーリー漫画の原型を作り出したとも評される夫、岡本一平と日本初の「少女漫画」を生み出した北澤楽天の二人を軸に日本漫画の歴史を遡る一冊。


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