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泣きどころ

・泣かぬ生き物、それは父

とにかく父は泣かない。涙を流さない。
そりゃまぁ生理的に目に何かがしつこい感じに
入っちゃって痒いとかさ、それで涙は出るけど、
感情からくる涙は流さない。泣かない。

感動巨編みたいなドラマとか映画、
心が動かされるような美術、芸術、詩歌に
ふれても、果てには結婚式で、新婦である姉が、
父と母に宛てた手紙の朗読をした際でさえ
泣かなかった。アレにかけては俺が一番泣いてた。

えーっとね、俺や姉2人の学校の行事には
基本的に行かないし、血のにじむ努力をして
成し遂げた部活の大会の成果を報告しても
まぁ泣かない。嬉しいリアクションはする。
ただ、泣きはしない。まぁ別にね、それが
特にダメだとかそういう話ではないんだけどね。

うーん、何で泣かないんだろう。
そういうのに耐性?があって泣くような
ハードル?が高い、沸点?が高いんだろうなって
小さい頃からそんな解釈をしてた。

ちなみに、かなりの読書家ではあったものの
ビジネス書とかハウツー本とか自己啓発本ばっかり
読んでたから、“朝を制する者は人生を制する”
みたいな項目でティッシュまで取り出して
グスグス泣くみたいな事はないだろう。
そんな爆発的な感受性の豊かさがあったら大変。
俺の育ち方とかも変わりそう。
可能性からいって、読書で泣くことも
恐らく無かったかも知れない。

アレだ、ONE PIECEでさ、ゴーイングメリー号の
最期を全員が見守りながらしゃくり上げて泣く中
ゾロだけ口を真一文字に結んで泣かないみたいな、
それ程の泣かないメンタル。

・泣いたわ、1回泣いたの見たわ

泣かないまでも、いたく感動した事や
感謝した事があればたまに俺に嬉々として
報告したりするけど、感情は出てても
せいぜい浸ってる感じ。
「アレは良かったなぁ…ホンマに良かった…」
っていう言い方をするくらい。
過去のちょっといい話みたいなのを話しはじめても
話すうちに思い出して泣けてきたとかも無いね。

ただ、一度だけあるのよ。一度だけ。

・きっかけ

俺が確か中3の時だった気がする。夏休み。
父は土木関係の職人をしているから、
高野山周辺の現場に早朝から車で行って、
俺もバイト代欲しさに、父から作業着を借りて
カンカン照りの中「ヘルメットってこんなに
窮屈なんか、アゴの所はずっと違和感やわ…」
とか思いつつ、それはそれで楽しく父の仕事を
手伝った。

昼前か昼過ぎ、1台のバンが俺達の現場に
近付いてきて、やがて停車。
窓から父を呼ぶ男性の声。父が会釈。知り合い?
偶然ってあるんだね。へぇーって思いながら
遠巻きに見てるとバンの後部座席のスライドドアが開いて姿を見せたのが、父が信仰する宗教の
教祖さん。俺も軽くビックリした。
何でここに来たんですか、って思いながら
眺めてると父に何か大きめのものが入った
ビニール袋を渡していた。

…軽く2、3話した様子で短いやりとりが終わって、
教祖さんも俺にも目をやってくれたため、
お辞儀をして作業に戻った。
一方、父はたいそう嬉しそうであった。
自分の宗教の教祖さんと、仕事中に
バッタリ出会ったのだから無理もない。
よかったじゃん。
けどバイト初日から、夜12時近くまでその日の
現場が長引いて残業させられたのはキツかった。

・次の週

さっきの話が日曜日だったかな。
日曜日は、基本的には奈良県某所にある
教祖さんがいらっしゃる総本山に信者さんが
任意で行く日になっている。

いつかの記事で軽く触れたけど、
男性の信者は主に総本山の敷地内の土木工事、
小さな山?みたいなものもあるから林業みたいな
ことをやったり、小さな重機を使った工事なども。
女性の信者は炊事、園芸、軽い掃除に洗濯など。
…それらを奉仕活動としてやるんだけども、
月に1回ほど、◯◯堂と名前のついた会議室?
みたいな施設の中で数時間にわたり、
信者各々、その月間、教祖さんの教えを通して
どの様な事が起きてどの様に感じた、実行した、
又、こう教えを頂いたから感謝した、はたまた
懺悔をする、というのを発表し合ういわゆる
レポートを口頭でもって提出する行事がある。

所狭しと壁際や玄関際まで、だいたい20数人の
信者さん達が床に座って、順番に話を静かに聞き、
終わったら拍手をし、その発表に教祖さんが
コメントを入れる。
ありがたいお言葉ではあるんだけど、
むしろそっちがメインになってね?って思うくらい
コメントが長くなるときがある。

そんな調子で後半にさしかかった所でようやく
父が発表する段になった。
俺も出席はするんだけど発表はしないし、
終わるまではそこにおとなしく座ってないと
いけないし、居眠りはもってのほかである。

だが父の番が回ってきたので聞くことにする。
要約するとこうだった。


「先週、私が総本山から帰る際に奉仕活動で
使った自前の作業用長靴をそこの駐車場にうっかり忘れ、こないだの日曜日、息子(俺)を伴って高野山周辺の道路の工事へ出向いた際に、教祖さんが私が
ここで仕事があるのをたまたま把握していた為、
その日にそこを丁度通りかかる用事があったので
忘れた長靴を教祖さん御自ら届けてくださり、
教祖さんにとり、もののついでだったかも
知れませんが慈悲深い親切なお心遣い、
誠に感謝の至りです」

というようなものだった。

…あの時教祖さんが手渡していた袋の中身は
父が忘れて帰った長靴だったのだ。

そこでやっと初めて父が泣くのを見た。

父を父と認識して物心ついてこのかた、
彼が泣いたのを見た記憶が一切なかったが
思いがけずその場で泣くのを目撃した。
正直ビックリした。テンパった。
それまで、その宗教絡みでさえ、なんなら
宗教施設の中でですら泣いた所を見たことが
なかったから余計に。

上記の事柄の説明までは感謝を込めた口調で
話し続けていたものの、謝辞を述べるような
段階になった時に溢れ出てしまった。
「私の様な者に…御足労を頂き…!」と、
感極まった様子で言葉を絞りだして泣いていた。
ただ、斜め後ろあたりに俺が座ってたけど
何かこう、そこにあったとしてもティッシュ箱を
差し出したり、肩に上着でもかけて肩をポンポン
したり、水を差し出したりとか全部してはいけない空気がビンッビンに全体に伝わっていた為、
いつもの10分の1くらいに小さく見える
父の背中をぼんやり眺めてるしかなかった。

だいたい帰り道の車ではラジオを聴きながら
その日そこであった事を振り返りつつ話して
約3時間程度の道のりを戻るんだけど、
お互いそれがやはりフラッシュバックするせいか
その夜の帰り道はあまり話に弾みがなかった。

父は泣く所を何故か我が子に見せたことが
なかったし、俺も父さんが泣く所を見たことが
なかった。ましてや、何かを見聞きすると
自身の感覚で敏感に物事をとらえる思春期の
息子に見られたら立つ瀬がない。恥ずかし過ぎる。
俺が斜め後ろに座っていて、お互いに泣き顔を
モロに見ない、見せないようになっていたのは
不幸中の幸い?と言えるだろう。

狂信的に尊敬してやまない宗教の教祖さんが
自分なんかが使った薄汚い長靴をわざわざ
御自ら仕事場までお届けに来られたとあっては
恐縮至極。嬉しくもあり自分が情けなくもあり。
まぁそうだよな。

・泣くツボ

けどさ、なんか、うーん、別にいいけどさ。
いざ泣いてしまう瞬間そこなん!!ってなった。
誰がどこで何で泣いてしまうかは自由。
人にとやかく言われたくも、思われたくもない。
俺だって嫌だ。当然ね。

けど、なーって。
家族のことでホロリとすらしないのに、
宗教ではさめざめ泣いてしまうのはなーって。
家族の一員としての見え方的にはなんか
複雑だなーって。だなーって。なーって。
これまででも、宗教のせいで親子関係が
こじれた事がアホほどあったのにな。
阪神大震災の記事でも書いたけど、
感情も考え方も何もかも天秤にかけたら、

結局、家族より宗教なんだな。


まぁいい。
それから15年後にあっさり夫婦間の関係は
そのせいで険悪なものになって別れてしまった。
もう終わったこと。もういいんだ。

死ぬまで宗教にすがって泣き笑いすればいい。
家族と過ごすより幸せっぽかった。

小学生の時は日曜日に運動会やるよね。
年に一度の我が子の晴れ舞台は毎年、
前述のようにいつもの如く総本山に行って
我が子を顧みない。
応援にきた母はママ友達の「お父さんは?」に
対して始終困り顔だったな。

それを今更色々面と向かって涙ながらに訴えたい
とかもうそういうのは無いけど、
姉の結婚式では涙のひと粒やふた粒
欲を言えばこぼしてほしかったかな。
年に一度じゃない。一世一代の晴れ舞台だよ。

・最大級に多幸感のある余生(多分)

それでも曲がりなりにも父性は俺に対しては
あるらしい。よく分からないけど。
先週は俺が全く興味ない内容のYouTube動画の
URLを3つも寄越してきた。
息子に相手をしてほしいのだろうか。
俺は来月33歳だけどまだまだ全然
しょうもない動画で笑うのが好き。
基本的には面倒くさいから父からのLINEは
めっきり返さなくなったのに、
既読スルーで終わるのを分かりきっているだろうに
たまにそういうのを送ってくる。
家族より宗教をとった身寄りのない男の
哀れな末路といえるだろうか。
否、哀れではない。父には絶対的な宗教がある。
宗教さえあれば幸せなんだしな。無敵だ。
俺がLINEを返さなくても寂しくはない。
もし寂しくなりかけたら経典を読んだりとか
お題目か何かを唱えれば万事解決だからな。

今年ちょうど70歳を迎える。
LINEは返さないけど、まだきちんとした
形で会えるうちに飯でも連れてった方が
いいだろうか。どうだろう気はまだすすまない。
まぁ多分全然元気だろうけど。
次久々に会っても、また次に久々に会っても
ずっと元気だったらそれはきっと宗教の
お陰だろう。凄いじゃん、宗教。やるねぇ。

まぁせいぜい元気にやっててくれ。

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