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ミミちゃん

その人は、まほうの手をもっていて美味しいものを次から次へと作ってくれた。食事が一段落すると、手を休めてその日も学校を休んでいた娘の話に耳を傾けてくれた。
元気で可愛い娘は(親ばか)小学校に入学すると、担任の先生にすぐ
「検査を受けたほうがいいのでは?」
と言われ、発達検査を受けた。IQは120で決して知能指数が低いわけではなかったのだけれども、ADHDであることが何回かのセッションで判明した。
その後も小学校では様々つらい目に遭い、このままではつぶれてしまう、と判断した私は娘に合う学校を探し、無理して国立の中学に入れるよう専用の塾に往復3時間費やしてほぼ毎日学校が終わると通塾させた。
それがたたったのか、娘はネフローゼという東京都指定の難病になってしまった。中学受験も残念な結果になった。
それでも、区立の中学で自由な校風で知られる学校を探し出し、今まで住んでいたマンションを引き払い、今の場所へ引っ越してきた。
これからは愉しく学校生活を送ることができる、と思った矢先に今度は聴覚過敏であることが判明、学校に通えなくなってしまったのだ。
これだけ失敗してきたのにも関わらず、私は娘に毎日学校へ登校することを望んだ。娘もがんばろうとしてくれた。
でも。
その日、私以外の大人で安心して心情を吐露できる人だと娘はミミちゃんを見て思ったのだと言う。とにかくどれだけ登校することが大変なことなのかを、どれだけつらいと感じているかを。
今までも私に話そうとしてくれてはいたけれども、耳をふさいでしまっていた。「でも」とか「どうして」とか言って話を止めてしまっていた。
しかしミミちゃんとの数時間にわたる会話を通してようやくわたしも決断できた。
その日、帰宅してから学校に電話した。年内は学校を休みます、と。
学校もよくしたもので、すぐに了承してくれた。
それが2020年の夏の頃の話。
年が明けたとき、娘は「今日から毎日学校に行けそうな気がする。」と。
それから本当に毎日登校するようになり、部活もやり、通塾もするようになった(長い間学校を休んでいたので勉強のことが気になっていた、と話してくれた。)
あの時、ミミちゃんに出会うことがなかったら、わたしは娘の声に心から耳を傾けることはできなかったかもしれない。
そうしたら不登校はもっと切れ切れに長く続いていたのだろう、と思うとぞっとする。
昔を振り返り娘は言った。
「親から学校へ行け、と言われるたびに心臓が止まるくらいびくっとした。」
それにしても親というのはなんて勝手な生き物なんだろう。
前は病気が治ってくれたら、と思っていた(完治することはない、と言われているが今は完解という状態)。
それが落ち着いたら、今度は毎日学校に行ってくれたら。
毎日学校に行くようになったら今度は成績が気になる。
上へ上へと常に望んでしまう、でもやめられない、中庸をとって最適化できるようなるのはいつの日か。そもそも何が正しいのか私はまだ知らない。


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