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「経済の高原」に向けてやっていきたいこと

少し前になりますが、山口周さんの『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)を読みました。

「物質的欲求を市場原理を通じて解決するという、ビジネスの使命はすでに完了している。」という本書のメッセージは私自身とても共感する部分が多く、世間に広がりつつある成長信仰に対するぼんやりとした違和感をすっきりと言語化してくれる素晴らしい本でした。とはいえ、本書で言及されている主張の多くは日本をはじめとする先進国における経済状況をベースにしています。日本国内でも市場原理がキャッチできない細分化された個別的な欲求について解決されず残存しているのはもちろんですが、市場原理で取り扱う難易度が高いとされる途上国の問題も、引き続き社会課題として残っている課題の一つです。

途上国開発の社会課題に対して「ビジネス」という形でアプローチしようとしている我々ができることは何か、埋めていくべきパーツは何かについてっモヤモヤと考えていることを言語化してみます。

ちなみに『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』の要約はこちらをご覧ください。NewsPicksの番組「Weekly OCHIAI」の、この本の内容をテーマにしたディスカッションもお薦め。ゲストのラインナップがアツい。


「経済の高原」で何が起こるか

タンザニアの話は一旦さておき、まずは本書また番組内で言及されている内容について私が特に重要だと感じたポイントについてピックアップします。

山口さんは物質的貧困が解消された「経済の高原」において次に重要になってくるのが、各個人が個別具体の精神的幸福のための行動を起こすことだと論じています。今までの歴史においては金銭的な価値観が一般的に共有しやすかったため、最大公約数的な価値基準として重視されてきました。また、個々人の幸福度は物質的な充足感に依拠するという前提があったため、金銭的な価値評価軸が個人の富、ひいては個人の幸福感と一貫している基準として採用されてきました。

しかし、社会における多くの人々が物質的にある程度充足感が得られるようになると、個々人の幸福感が依拠するものは物質的な充足感から精神的な充足感に移行していきます。例えば、働き甲斐や余暇の過ごし方など金銭的な価値観に落とし込みにくい要素がより重要になっていきます。このように価値が多様化する現代社会において、個々人の精神的充足が何によって満たされるかを各々が自らに問い直し、そのための行動を起こしていく必要があると述べています。

その上で、重要になってくるのが政府をはじめとする社会システムの存在です。本書では特にUBI(ユニバーサルベーシックインカム)の重要性を論じていますが、これは特にコロナ禍でその可能性が強く認識されたところではないかと思います。

また、物質的・精神的充足云々の話とは別途、ビジネスを通じて多くの人が抱えている「大きな社会課題」が解決されていった後も、個別の「小さい社会課題」は残っていきます。社会的に発言力の弱い人たちやマイノリティとされる人たちのニーズが解決されずに残っている様子は今日のアメリカや日本の状況を見ていても明白な点かと思います。

本書では、この課題に対する社会的な打ち手について特に明示されていませんが、ここも情報獲得コストの低下に伴い政府がフォローできる余地が増えてくる部分ではないかと思います。例えば、コロナ禍においてEU諸国はUBIの実行が非常に早かったのみならず、イギリスなど一部の国では国民の取得状況に応じたUBIの額面調整を実行そうです。この話を聞くと、政府によるセーフティネットとしての役割が個別最適化していく未来もそう遠い未来ではないのではないかと感じます。


アフリカでは何が起こるか

タンザニアを始めとするアフリカ諸国の話に移りましょう。ここからは本の内容に関係ない、ただの仮説です。

一つは、アフリカにおいても多くの先進国と同様、物理的欲求が満たされていくのは、ある程度時間の問題なのではないかということ。多くの先進国においてビジネスの経済合理性を通じて物理的欲求が解消されてきた歴史は、「ビジネスと資本主義の成果」を示すポジティブな結果と捉えていいのではないかと思います。もちろん、多くのアフリカ諸国の経済成長は非常に漸進的ですが、多くの先進国企業がアジアの市場を看過できなくなっていたように、アフリカにもこのトレンドは遅かれ早かれ必ず押し寄せてくる(というより押し寄せ始めている)のではないかと思います。

とすると、より課題として深刻なのはそのあと。国内の残存する個別具体的な欲求、すなわち「小さな社会課題」が拾われずに乱立し、先進国のように政府やソーシャルセクターがこれらのセーフティーネットとして十分に機能しない可能性についてです。

もちろん、アフリカにおいてUBIの導入可能性が議論されるのはまだ数十年は先になるとは思いますが、それまでの過程においても社会保障や医療保険など政府が果たすべき役割は多分に存在します。しかし、多くのアフリカ諸国の政府はガバナンスが未熟であったり、政府財政予算がGDPに占める割合が限定的なため、この役割を果たしていける可能性は当分非常に小さいと考えられます。

この課題のボトルネックは何か?

特に大きいのが、経済活動の多くがインフォーマルに行われており、課税対象にならないため、財政収入が増えない。また政府が各事業体や個人の情報を取得できないため、セーフティネットとして政策を打ち出してもそこからこぼれ落ちてしまう個人が国民の多くを占めることです。


WASSHAの新規事業で作っていきたいこと

実は、先日WASSHAのVisionは改訂され「Diversified world prosperity」から「Unlock humankind's limitation」に変更されました。(新Visionに対しての想いはまたどこかでまとめたいと思いますが一旦割愛します。)私は新規事業チームのメンバーという立場もあり、事業を通じて「人の可能性をUnlockする」とはどういうことかを考える機会が増えました。

「事業を通じて」という制約を抜きにして、いかにしてアフリカの人々の可能性をUnlockしていくかということを一般的に考えたときに、今後遅かれ早かれ政府の存在は非常に重要なものになってくるはずです。それまでに、WASSHAが準備しておかなければいけないのは「インフォーマルな市場をフォーマル化する」ための打ち手を複数の角度から持っておくことではないかと考えています。

例えば、今私は新規事業としてバイクドライバーに対してバイクの割賦販売の事業検証を行っています。その時に彼らの課題として挙がってくるのが「免許を持っていないために、警察にいちゃもんをつけられ賄賂を要求される」ということです。実際、インタビューを行っていても、ダルエスサラーム市内で働くバイクドライバーの半分以上は免許を持っておらず、日々警察の目を盗みながら事業をしているような人が多く存在します。(そればかりか、警察の取り締まりを避けるため、郊外のみで仕事をしており、市内への移動を頼まれても拒否して顧客をその場に残して走り去るドライバーもかなり多くいます)恐らく、このようにインフォーマル市場から抜け出せずに困っている人が各産業の中でかなりの割合、存在するはずです。

こういった人々をフォーマル市場に引き込んでいく構造を作ることができれば、税収の増加に伴い政府予算が増強され、より社会保険など政府のセーフティネットとしての機能に資金が分配されていくはずです。もちろん、税収が増えても結局官僚の懐に入るだけ、という見方もありますが、政府のガバナンスと財政の強度はニワトリタマゴの関係。長期的に考えれば財政予算の強化がより民主的な政府ガバナンスにつながっていくのではないかと考えています。(ここは楽観的過ぎるんだろうか。。ガバナンスと財政の関係性については是非誰か教えてほしいです笑)

「インフォーマルな市場をいかにしてフォーマル化させていくか」は長期的にWASSHAがVisionを達成していくうえで非常に重要度が高い論点ではないか。そんなことを考えながら割賦販売の料金取り立てに奔走する今日この頃の話でした。



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