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【アーカイブ記事(2016/10/15公開記事)】「#龍神NIPPON総括 ① 〜ロンドン五輪後4年間の軌跡〜 」 #コラム #volleyball2 #vabotter #バレーボール

 リオオリンピックが終わり、また新たなスタートを切ることになるバレーボール日本男子代表「龍神NIPPON」。ロンドンからリオまでの約4年間の間に何が起こったのか。それを振り返る機会が今こそ必要だと感じ、本稿をあげようと決意しました。


 ロンドンからリオまでの4年間というのは、アメリカ出身のゲーリー・サトウ氏が2013年に監督として就任するも1年足らずで解雇となり、翌2014年にパナソニックパンサーズ監督の南部正司氏が就任するという、ここ何年もなかった任期途中での交代劇があったのが記憶に新しいです。


 最近では1997~2000年シドニー五輪OQTまで寺廻太氏、2001~2004年アテネ五輪OQTまで田中幹保氏、2005~2008年北京五輪・2009~2012年ロンドンOQTまで植田辰哉氏、いずれもほぼ4年サイクルで任期満了をもって交代するのが通例で、途中交代というのは、男子ではみられない出来事でした。


◎ 最も大きな出来事(2013年)
〜 初の外国人監督就任、そして突然の解任劇〜

 日本のバレーボール界において、男女を通じて初の外国出身代表監督となったゲーリー氏が掲げた「スマート・バレー」というテーマは、革新的なものとして響きました。今までの日本のバレーに欠けていた部分、長く龍神NIPPONを見てきた私が、随分前から必要だと感じていた「戦術的な部分」が、今後伸びていくのではないかという期待を抱いたからです。

 ゲーリー氏が日本のバレーに何かをもたらしてほしいと強く願いました。

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 ところが現実は残酷なもので、ゲーリー氏は就任後わずか1年も経たずに解雇となってしまいました。

 日本バレーボール協会(JVA)が、その一番の理由として挙げたのは成績不振です。2013年は、翌年の世界選手権(通称・世界バレー)への出場権を賭けたアジア予選の開催年でしたが、そのアジア予選で日本は敗れて、世界バレーの出場権を逃してしまったのです。


 世界バレーはオリンピックの次に重要な4年に1度の大会で、オリンピックよりも多くの国が参加できる大会です。当時の世界バレーの予選方式は、アジア大陸で出場枠が4枠あり、アジア各国を4つのグループに分け、各グループ最上位国が出場できるというものでした。日本のグループにはイラン・オーストラリア・中国がいなかったため、比較的条件に恵まれていましたが、結果として出場権が獲れなかったことが痛かったです。

 その後、日本で開催されたワールドグランドチャンピョンズカップ(通称・グラチャン)においてもゲーリーJAPANは全敗を喫し、最下位という結果に終わりました。


 グラチャン終了直後の段階では、強化委員会や当時のジェネラルマネージャー(GM)はインタビューで「ゲーリー監督は続投の方針」と答えていました。その証拠に、ゲーリー氏は2013/14シーズンのVプレミアリーグ、チャレンジリーグ、大学カテゴリーの試合など多くを視察しています。

 彼は翌年の代表選出のため、選手の発掘に乗り出していたのです。


 実は2013年の日本代表メンバーというのは、あらかじめゲーリー氏がリサーチして選考したものではありませんでした。ゲーリー氏にとっては、2014年の代表選出こそが自らの目で選手選考できる初めての機会だったにも関わらず、それすらも奪う形でJVAは、彼に解任を言い渡しました(*1, 2)。


 確かに結果だけ見れば、手痛いものであったことに間違いはありません。しかしゲーリー氏の解雇にはファンから多くの批判の声が上がりました。「まだこれからだ」と。

 ゲーリー氏とのバレーは、まだ始まったばかりだったのです。

 当時のゲーリーJAPANの試合を思い返してみると、「やろうとしている形」「完成形」はうっすらと見えてはいるものの、そこに到達できるだけの技術力やチーム内での戦術意識の浸透が足りなかったという印象でした。その結果、チームがバラバラで、どう戦っていいのかわからない、そんな様子に見えたと思います。

 目の前のボールを追うことで精一杯のような。


 しかし、それは当然のことだったのです。

 「#眞鍋JAPAN総括 ②」で書かれていたように、ゲーリー監督は、バレーそのものの土台から作り直す方針を打ち立てていました。土台がきちんとできていない日本代表ですから、「基本というのはどういうことか」を教えるところから、彼はまず始める必要があったのです(*3)。

 まだ完成形もわからないのに、監督が途中で解雇されてしまったことに対し、当事者である選手達からもSNSを通して不安の声が上がりました。


 そうした産みの苦しみを乗り越えられれば、それを土台にして次に、日本にとって必要な戦術が見えてくるはずだったのですが、JVAは我慢ができませんでした。基本的な技術力や戦術よりも、目先の勝ち星が重要と考えて、JVAはゲーリー氏を解雇したのです。


 2014年5月からは南部監督が指揮を執ることとなり、ワールドリーグそして、同年秋に控えたアジア大会での優勝という目標に向かって、新生・龍神NIPPONが始動しました。


◎ 日本人監督への方向転換がもたらしたもの(2014年)
〜期待高まるメンバー選考、一方で後退した戦術面〜

 南部監督が就任当初にキャプテンとして選んだのは、JTサンダーズの越川優選手でした。

 彼こそ「今の日本代表を変えてくれる選手だ」と期待する声も大きかったと記憶しています。

 私自身も、こんなにいい人選はないと感じました。北京五輪出場経験があり、イタリアへ渡ったり、実際に北京五輪OQTを勝ち抜いた実績もありますので、国際舞台での戦い方を新しく選出されるであろう若手選手たちに伝えていってくれるはずだ、と考えたからです。

 彼なくしてリオ五輪出場権の奪取は不可能だろうと思いました。


 私の予想通り、南部JAPANの初年度には社会人1〜2年目や大学生といった若手選手が数多く選出されました。後に「NEXT4」として名を馳せることになる石川祐希選手、柳田将洋選手、山内晶大選手も含まれていました。

 また、シニア代表とは別に、2020年の東京五輪に向けての強化指定選手で「Team Core」を結成し、その中から伏見大和選手、出耒田敬選手らがシニア代表にも選ばれました。発足すぐのワールドリーグの多くの試合では、彼らがスタメンとして起用されていました。


 石川選手、柳田選手は私も名前を耳にしたことのある選手でしたし、ゲーリー氏も2014年に選出するつもりだったとインタビューで挙げている名前でした(*4)ので、2人の選出に不思議はありませんでしたが、一番衝撃だったのは山内晶大選手の登場でした。

 山内選手はいわゆる強豪校出身ではなく、ユースやジュニアなどの国際大会の経験も一切ありませんでしたが、シニア代表の初戦でいきなりスタメンに大抜擢されました。体の線は細いですが、204cmの長身MBで、ネットから離れたところから繰り出す高いクイックは、名のある他のMBと比べても見劣りしませんでした。


 当時の南部JAPANは、キャプテンの越川選手がコート内の監督であるかのようにチームを牽引していました。得意のビッグサーブでチームを助ける場面が多く、世界との戦い方はこういうものだと実践して見せてくれているかのようでした。

 2014年アジア大会決勝イラン戦では、リードを許した場面で回ってきた彼のサーブから、5点以上も連続ブレイクをして1セットを獲ったことはまだ記憶に新しいです。

 考えてプレーすることの重要性や、サーブで攻めてブレイクを重ねれば強豪相手でもセットを奪えるし、試合に勝つこともできるんだということを、若手選手に向かってプレーで見せて教えてくれているようでした。


 目標の金メダルには届きませんでしたが、イランに次ぐ銀メダルを獲得したことは評価に値する成績と言えるでしょう。2年後に控えるOQTのことを考えれば、アジア勢にはきちんと勝っておかなければなりません。近年アジアですら勝てなくなっていた日本でしたので、JVAが重視した目先の勝利という意味でも、南部JAPANは幸先のいいスタートを切ったように見えました。


 しかし戦術面では、ゲーリー前監督時代と比較して、後退しているのが見て取れました。就任当初のワールドリーグで、世界を相手に国内仕様のパンサーズ・バレーを展開しようとしていたように見えたのです。

 パンサーズのバレーというのは、南部監督時代からのブレーンであり、南部JAPANでもコーチを務めた真保綱一郎氏のバレーのことです。高い能力を持つ選手の存在を前提にした個人技によって強さを発揮するシステムと言えます。

 たとえば、後述するとおりワールドカップ2015でも多用されましたが、守備面はリード・ブロックを軸にしながら、相手セッターのセット配分のデータやゲーム状況(点数)、相手の1st touchの状況(Aパスかどうか等)をもとにブロッカーが推測で判断するオプションを多用するシステムです(*5, 6)。また、リベロの推測によるコミット・ブロックの指示や守備配置を行います。選手の守備範囲を細かく分析した上で配置を決めるもので、推測が当たらなければまるで機能しなかったり、控え選手が出場した場合には同じように対応できなくなる危険性をはらんでいますが、高い推測力を持つブロッカーやリベロを起用しつつ、攻撃力も代表クラスの選手を集めているのがパナソニックパンサーズです。

 しかしそうした個人技を前提にしたバレーだけでは、世界で勝つことはできないのです。確かにパナソニックパンサーズはVリーグを何度も制覇している強豪であり、代表選手も多く抱えていますが、戦術のアップデートが足りず、ここ数年は国内でも優勝から遠ざかっています。


 南部JAPANの初年度を振り返ると、キャプテンの越川選手の牽引によって一定の評価に値する戦績を残し、初選出の若手選手達はもちろん、ゲーリー氏解任後の混乱があったはずのベテラン選手達にとっても、自信を取り戻すことができたシーズンだったと思いますが、その一方で、越川選手をはじめとする高い能力を持つ選手の個人技に依存していた部分が大きく、戦術面についてチーム全体で理解を深めることや、詰めるべき部分が、翌年への課題として残ったと思います。

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◎ 「固定観念の排除」がもたらした転機(2015年)
〜アーマツ氏のコーチ就任、そして、人気に火がついた
ワールドカップ2015〜

 2015年の南部JAPANでは若手育成という観点から、前年キャプテンを務めた越川選手が選出されませんでした。この点については、私としてはとても残念でしたが、一方でイラン出身のアーマツ・マサジェディ氏をアドバイザーコーチとして新しく招聘したという点は、功績に値すると思います。

 アーマツ氏は、イランがジュリオ・ベラスコ監督(現アルゼンチン男子代表監督)のもと急成長を遂げていた頃に、2年間コーチを務めた経験がありました。彼がベラスコ監督から学んだ指導を、龍神NIPPONに伝えてくれることを期待しての招聘でしょう。

 実際、彼が短期間のうちに選手達との間に築いた信頼感というのは、試合中の随所で伺えました。特定の選手のファンでなくても、選手達と抱き合い、喜び合う姿を見て好感を覚えた方も多かったと思います。

 コート上で牽引する越川選手の代わりを、ベンチのアーマツ・コーチが務めてくれているように思えました。


 2015年はワールドカップを控えており、その前哨戦となるワールドリーグで南部JAPANは「固定観念の排除」をテーマに掲げました。戦績自体は褒められた結果ではありませんでしたが、確かに選手達のプレーの中身が大きく変わった印象を受けました。

 まずスパイクですが、ブロックに当たって砕けてしまうようなスパイクが多いというのが日本男子代表の以前からの課題でしたが、スパイカーが「ブロックアウト」「フェイント」など、相手のブロックやコートをよく見て、考えながらプレーするようになったように感じました。

 セットについても、「速さを重視したもの」から「高くふわっとしたもの」に変わったように感じられました。このことは、正セッターを務めた深津英臣選手が、「石川選手から『世界に通用するトス(セット)は、もっと高く、スパイカーに選択肢を与えるトスです』と教えられた」と記事にもありますから(*7)、間違いない事実だと思います。

 ブロックについては、リード・ブロックをベースにオプション(コミット・ブロック)を多用したもので、前年のパンサーズ・バレーを踏襲していましたが、チーム全体で意思統一をはかり、完成度を高めてワールドカップ2015に挑むこととなりました。


 技術や戦術面で前年に比べて着実に進歩が伺えたのとは裏腹に、南部JAPANへの世間の注目度はほとんどあがりませんでした。事実、ワールドリーグ2015の頃は「ワールドカップの日本戦では無事に席が埋まるだろうか ... 」と心配になる程、観客席がスカスカでした。

 今では想像がつかないと思いますが、チケットの売れ行きがあまりに酷く、客引きのために試合後に選手達との握手会までしていたんですよ。

 案の定、ワールドカップ2015の開幕戦も、初代表の石川選手が「(ワールドカップなら)もっとたくさんお客さんがいるかと思っていたのですが … 」と語った程の(*8)客の少なさでした。そうですよね … と思わず頷いてしまいました。

 シニア代表という立場で日本開催の大きな大会に出場するのは彼も初めてでしたから、テレビの画面で見たであろう昔のワールドカップのイメージと比べてしまうのは、仕方がないことでしょう。


 しかし日が経つうちに、客席はどんどん埋まっていきました。最終3連戦の会場、代々木第一体育館は前売り券が事前に完売し、会場では当日券を求めて朝早くからファンが長蛇の列を作る大盛況ぶりでした。

 思い返してみると、ほんの1年前の出来事なんですよね。世の中、何が起こるか本当にわかりません。ワールドカップ2015では近年になく勝ち星を稼いだので、それが現在の人気に繋がる一因となったのは間違いないでしょうが、やはり何より、選手達が格上の強豪相手に「臆することなくぶつかって、勝ちに行っていた」というところに、心を射ぬかれたんだと思います。


 ◎ 勝負の年、リオ五輪OQTでの惨敗(2016年)

 「お客さんもたくさん入るようになって、良かった良かった」ではなく、本当の勝負はここからのはずだったのですが、私自身見ていて、むしろ心配事が増えていきました。集客力を得てどこか安堵してしまったのではないかと思うほどに、リオ五輪OQTではめちゃくちゃでしたね。若手で挑んで若手が手負いになってしまった、という状態でした。

 近年のOQTの中でもある意味最悪かなと思うほどの、酷い負け方でした。

 しかし、ロンドン五輪OQTでも、清水選手の怪我を押してまで戦わせたりする(*9)ような監督がいましたので、結局その二の舞だったと言えるかもしれません。4年前の反省が全く活かされていませんでした。


 OQT後のワールドリーグ2016を最後に、龍神NIPPONのロンドン後の4年間の活動は1つの終止符を打ちました。次期監督が誰になるのか、まだ決まっていないということもありますし、次回は東京五輪ですからOQTのような苦しい思いをすることはありませんが、それでも五輪本戦で予選敗退に終わるようでは「日本の恥だ」と他のスポーツファンからも叩かれることになるでしょうから、今から強化を進めなくてはなりませんよね。


 ◎ リオ五輪OQTでの敗因の真相は?

 ワールドカップ2015からバレーを見始めたファンの人達にしてみれば、OQTでの惨敗に「なぜ? どうして?」という疑問を持った方も多いかと思います。だって、ワールドカップで勝った相手にも負けていますからね。

 「それだけOQTは厳しいものなんだ」という月並みな言葉で納得できる試合内容ではなかったと思います。

 ワールドカップとはうって変わって、選手達のプレーに迷いが伺え、覇気が感じられませんでした。一体何があったというのでしょうね。内部の人間ではないのでわかりませんが、ワールドカップからOQTの間に何かがあったことは、恐らく間違いないでしょう。


 OQTの敗因として、「準備が足りなかった」「海外との試合に慣れていなかった」などを挙げる的外れなメディア記事をよく見かけます。「準備が足りなかった」ではなく、「怪我人が多く、コンディションが整わなかった」と言う方が正しいでしょうし、たとえ怪我人が出てメンバーが入れ替わったとしても、ある程度戦えるようなチームを作っていなければ、まともなチーム作りとは言えません。

 結局のところ「石川選手、柳田選手と心中する」というだけの、コンセプトのないチーム作りだったことが露呈した結果ではないでしょうか。


 石川選手のコンディションを整えたければ、ワールドカップ直後の大学秋季リーグや天皇杯に出場させる必要はなかったわけですし、本人が出たいと言っても止めるべきです。その後の若手中心のイタリア遠征や国内合宿なども行かせなければ良かったのです。怪我を抱えながら、誤魔化しながらプレーし続けた結果、1番大事な時に限界を迎えてしまいました。


 また「海外との慣れ」を口にするメディアは多いですが、では「なぜ日本のバレーと海外のバレーは戦い方が全く異なるのか?」「それは日本の戦術が遅れているという意味ではないのか?」という、核心に迫る声は全く上がりません。「日本人は体格が劣るから、独自の戦術が必要だ」というのは本当に便利な言い訳で、そういうことは日本が海外と同じ戦術で実際に戦ってみてから、言ってほしいものです。

 日本のバレーが海外と同じような戦術・コンセプトで戦ったことは、今まで1度もありません。戦う前から「できない」と決め付けることは良くないです。それこそ成人し社会人になってまでバレーの第1線で戦っている選手達に対して、端から「できない」と決め付けるなんて、失礼この上ないと思います。


 ゲーリー氏がバレーそのものの土台から作り直すことに着手したのは、日本が海外と同じ戦術・コンセプトで戦うためにはそれが必要不可欠だったからです。その意味でも、目先の勝ち星を優先して、彼を任期途中で解雇したJVAには憤りを覚えます。「(日本の)選手は自立していない」「アメリカバレーは日本にはできない」などと言い訳を並べていました(*10)が、結局そう決め付けて、日本の戦術・コンセプトをアップデートするチャンスを自ら手放してしまったのです。

 JVAのこういった高圧的な態度や体制が変わらない限り、監督が誰になっても、同じことを繰り返してしまうだけかもしれません。「日本人は体格が劣るから独自の戦術が必要」という考え方こそが、JVAはもちろんメディアやファンも含め、日本のバレー界から今すぐに排除すべき「固定観念」だと思います


 では、今後の龍神NIPPONが東京五輪で好成績をおさめるには、具体的にどうしていけばいいのか。次回はその点に関して、述べていきたいと思います。

(*1)【男子バレー】全日本監督交代の舞台裏。新監督は未来を切り開けるか(『スポルティーバ』より)

(*2)ゲーリージャパンはなぜ1年で幕を閉じたのか
(『バボChannet(バボちゃんネット)』より)

(*3)【男子バレー】グラチャン最下位。いま全日本に何が起きているのか(『スポルティーバ』より)

(*4)ゲーリー・サトウ氏インタビュー
(『バレーボールマガジン』より)

(*5)『Coaching & Playing Volleyball』74号(2011年5/6月号)p18-25, バレーボール・アンリミテッド

(*6)仕掛けるブロック戦術で世界に挑む、新生・全日本男子
(『バボChannet(バボちゃんネット)』より)

(*7)【男子バレー】19歳のエース、石川祐希がリオへの道を切り開く(『スポルティーバ』より)

(*8)男子バレー代表、まさかの会場満員!? 若いエースと爽快な試合が面白い。(『Number Web』より)

(*9)バンキシャ日記・男子|ゴリ復活!(TBS 2012ロンドンオリンピックバレーボール世界最終予選)

(*10)南部正司氏、全日本男子監督就任記者会見
(『バレーボールマガジン』より)

photo by FIVB

文責:『バレーボールのミカタ』管理人・リオ
http://volleyball-2d3d.net

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