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KHART-interview -

ペンにインクをつけ、紙に描き、生み出されたその作品はバンドのメッセージとして形を表す。時代が進化し、デジタルツールがより便利になっても、アナログな表現方法には今日も新たな発見があり、年代を超え魅了をさせられる。黒と白のコントラスト、点描の一貫したスタイルでハードコアバンド関連のアートワークを手がけてきた仙台出身のアーティスト「KHART」
10代~20代前半を過ごした仙台、そして東北ハードコアシーンは自身の人生を大きく変えたターニングポイントでもあった。魂は細部に宿る。

(Interviewer:KEN MAKABE)

-絵をはじめたきっかけ

元々物心ついたときから絵を描くのが好きで、幼稚園ぐらいから絵を描いたりするのは得意って感じることはありました。 授業中も、ノートに絵を描いたりしていて。 小学生の時に親の薦めで絵画教室に通っていた時期もありました。 ただ、テーマを与えられて、それを描きましょうみたいな感じだったので・・結局全然違うものを描いていましたね 笑

中学校入ってからは、小学からの親友のSROCK(T2C)がいて、当時彼と一緒にノートに色々なイラスト描いたりしていました。授業中も放課後も。 彼はアメコミとかが上手だったけど、自分はそういうキャラクターとかイラストが描けなくて。 自分はデッサンとか街の背景とか描くのは得意だったので、合作でノートに色々描く。そんなことして遊んでましたね。

本格的に絵の世界にのめり込んだのは高校に入ってからです。SROCKはスケートもやってたんですが、一緒にUSのスケートビデオ見ていた時に背景に映っていたグラフティを見て、ストリートアートに興味を持ちました。グラフィティにのめり込んだ時期もありましたが、所謂マスターピースやスローアップ等は自分にはセンスが無いというか、何かをリアルに描くのは出来ても誰かのマスターの背景だったり、主役ではなかったんですよね。

そこから、また原点に戻り、ひたすら紙とボールペンで絵を描くようになりました。その時は虫とか内臓とかグロテスクなものを描いていて、とにかくみんなを驚かせようと思って。当時はアーティストになりたいとか、何かを目指していた訳ではなく、とにかく純粋に描いてみようという感じでした。

今の点描のスタイルになったのはUSUGROWさんとSADAMさんの影響ですね。 親友のTOMO(SEIZE THE DAY)とSAM´Sによく遊びにいってて。ハタさん(現flag store)がいた時ですね。 お店にUSUGROWさんが描いたDESSERTのジャケットとか昔のフライヤーがあったので見せてもらい、そこでUSUGROWさんのことを知りました。 それと同時期にSADAMさんの存在も知るようになりました。

和(現和音)で開催されていた個展に行ったり、THUNDERにもよく行ってたので三浦さんから教えてもらったり。スケート関連でも絵が使われていましたし、色々なところでSADAMさんの絵を見るようになりました。 影響を受けた2人に共通していたが「点描」で、とにかくその時は、真似をして点描を描いていましたね。 書き始めは点がうまく描けなくて、だからこそ頑張って描き続けようとも思ったきかっけでもあります。

Jerusalem(2009)

-HARDCOREとの出会い、アートワーク

自分の場合は音楽より先にまず絵が原点としてあったんですね。 USUGROWさんやSADAMさんを知って点描を描き始めると同時に、HARDCOREも自然と聴き始めるようになりました。

最初に見たHARDCOREのライブは2008年のRISE AND FALL、SPIKE SHOES、EXORGRINDSTの3マン。 大学の同級生のOIDEが元々HARDCORE好きで、彼に連れて行ってもらったのがきかっけでした。TOMOと一緒に3人で。出演バンド全部カッコ良いし、お客さんの熱気もすごい。

その日の空間に、一発KOでやられたという感覚でしたね。 このLIVEを境にして、HARDCOREのライブを観にバードランドへ足を運ぶようになりました。 そこからBREAK OF CHAINを知るようになって。サウンドやバンドのスタイルがカッコイイなと思い、BREAKの出演・企画のLIVEを軸にしてハードコアのライブに行くようになりましたね。BREAKOFCHAIN、FOUR x FOUR、NOT ONE TRUTH、UNRESTRAINEDが一緒にLIVEをやっていましたよね。

思い出深いのはMAKE MENTION OF SIGHTの10周記念企画のライブですね。 県外からENDZWECK、NO CHOICE IN THIS MATTER、AND BELIEVE、BIRTHPLACE、LAST ONE STANDING、COUNT OF STRENGTH、COSMOS・・・とにかく県外・県内バンドが一同に集まった熱い企画だったと記憶しています。そこで全国の色々なハードコアバンドのスタイルを知ることができました。 場所はCLUB JUNK BOX。

ライブが終わった後フォーラス前で余韻に浸っていたら、たまたま坂井さん(MAKE MENTION OF SIGHT)に遭遇して、今から打ち上げあるから行こうよ!と声かけられて俺ら行っていいんですか??なんて思いながら付いて行きましたね! 笑

色々話してみたら、坂井さんとは高校も大学も一緒の先輩でしたし、その日をきかっけに自分の中で、いつも観に行っていた仙台バンドのシーンの人たちと交流が生まれて、少し打ち解けた感じがありました。

そんな感じで引き続きライブハウスに足を運ぶようになる訳ですが、その中で大きなターニングポイントとなったのが「STAND OUR GROUND 2010」のジャケットデザイン。

いつも通りバーランへライブ観に行ったとき、THCを運営していたノマさん・マッスルさん(BREAK OF CHAIN)、ミナカワさん(FOUR x FOUR)から次のSTAND OUR GROUNDのジャケットを依頼されました。ミナカワさんからのお題のイメージは「関所」。そこから具体化して描いていきまして。

それまでは自分が好きなものを描く、というスタイルでしたので、人に依頼されて描くのは実は初めてでした。 何回も何回も描いても、納得するものが描けなかったんですね・・・自分もそれ以前のSTAND OUR GROUNDのCDも聴いてましたし、そのジャケットを自分が描けるのは嬉しい!と思うのと同時に、沢山の人の手に渡る音源だからこそ、プレッシャーもありましたしね。

その当時向山に住んでいたのですが、なかなかジャケットの絵がうまく書けずに行き詰まっていて進まない状況で、ちょいと息抜きに自転車で外出たとき。 向山から坂を降りて五橋に抜けるとなると、愛宕橋通りますよね? その時にお題の「関所」のイメージと「橋」のイメージが重なって、インスピレーションが閃き、そこから一気に書き上げて完成した思い出があります。このジャケットの地面の菱形も実は愛宕橋の歩道橋の地面をイメージしています。今でも地面変わらず菱形なのかな?

このCDがリリースされる前に東京へ出てきたので、実際に仙台ハードコアシーンでライブ行ったり交流して過ごした期間って2-3年くらいなんです。 自分の今の人生に繋がるターニングポイントが、ここの期間に凝縮されています。

STAND OUR GROUND(2010)


-東京での生活・個展や展示について

東京へ引っ越して、早速都内でもライブに行きました。 初めて東京に行って見たライブは初台WALLでのINFIDEL企画。出演がDOMINATE、ETERNAL B、AT ONE STROKE、FIGHT IT OUT、VARIANT FACE。その日の物販での話しをきかっけに、VARIANT FACEのキトさん(VF/UNCOVERING)、クロスさん(VF/TRAGIC FILM)との交流が始まり、VARIANT FACEのTEEをデザインしたり、イベントのフライヤーを描かせてもらうようになりました。

フライヤー描いてライブに遊び行って・・・そこから更にいろんな人と知り合いなり、また依頼されることなども増えましたね。キトさん、クロスさんとの出会いは大きかったですね。 描く時はいつも企画の趣旨やバンド名をイメージして描いていくスタイル。 企画者の人や出演バンドのバックボーンなどを踏まえた上でイメージしていき描くことが基本です。

Diversity(2011)
VARIANTFACE(2014)

都内での初めての展示は2012年 小岩BUSHBASHにて。
VARIANT FACEとの共同企画ですね。コンセプトは自分の地元仙台のアーティストを呼びつつ、自分が東京で繋がった人、VARIANT FACEのバンド企画も混ぜ込んで・・・ それを組み合わせるとの意味合いを込めて「ASSORTMENT」というタイトルに。

また、東京の人・仙台の人、どちらの人にも自分が出会った素晴らしいアーティストを知ってもらいたいという気持ちがありましたので、続けて同様の趣向の展示を、その年2012年9月に仙台のパンゲアでも開催しました。 そこからは、色々なグループ展などに参加しましたね。高円寺、川崎、銀座、仙台ではもちろんHolongalleryでも。

ASSORTMENT(2012/東京)
ASSORTMENT(2012/仙台)


単独の個展としては、2013年に仙台のSEIZE THE DAYで開催したのが初めてでした。店主のTOMOが親友なのでね。 彼が店をオープンしたタイミングでしたので、お祝い兼ねて個展やっちゃえ!的なノリで。

TOMOと自分の周りの昔からの馴染みの面子が来てくれた感じで。これからシーンを盛り上げていこうって。やっぱり地元の仲間に支えられてるなって感じたし、もっとやってやろうって気持ちになりましたね。

SEIZE THE DAY(2013/仙台)

BLACK DALLASで開催した個展は2016年ですね。 元々仙台にいた時からBLACK DALLASに行っていました。影響を受けていたUSUGROWさんやSADAMさんが描いていたので。 自分で最初に作ったZINEはBLACK DALLASに見てもらいたい、自分を知ってもらいたいって思いで作ったんですよ。すごい憧れの存在だし、自分もいつかBLACK DALLASで描きたいと思ってました。

1st ZINE

東京に引越したばかりの時はライブに行くか、BLACK DALLASに行くかみたいな生活でしたね。BLACKDALLASのアイザワさんには本当に色々お世話になっていて、そんな中で2011年に初めてBLACK DALLASのTEEを描かせてもらうチャンスをもらいました。その時はすごい嬉しかったですね。 今でもコンスタントに書かせてもらっています。

あとはT.C.LのYAMADAさん(DEATHBONG/exGERONIMO)もBLACKDALLASでの繋がりですし、そこから絵を書かせてもらったりしました。
自分の中では東京での最重要スポットで本当にお世話になっている場所です。

自分で思うことなんですが、やっぱりライブハウスやBDのような洋服屋もそうですが、直接会ってのコミュニティを大事にしてます。 SNS見ててても、どんな人かまではわからないし。ライブハウスの現場で会ってバカ話して、仲良くなって、その繋がりでチャンスが広がり、どんどんデザインとかやらせてもらっていた感じですね。

KHART EXHIBITION@BLACKDALLAS(2016)



Retain(2013)
T.C.L(2013)


2019年にはカンボジアのプノンペンBong galleryでは「KEEP THE FAITH」と題した個展を。 きかっけはマイケル・・・元々仙台のcamisadoってバンドでDrを叩いていて、大学の後輩で仲いい奴なんですけど、彼は元々仕事でカンボジアに行ってて。それで現地在住のフランス人とギャラリーを作るので、それで個展できないかと。

カンボジアのプノンペンは地元の人も勿論いますが、ヨーロッパからの移民も多くて、様々な人達に作品を観てもらうことができました。作品をちゃんと評価して購入してくれる人もいました。あとプノンペンはハードコアだけではなくHIPHOPの人達に反応があったのは驚きでした。

今は家族や仕事のこともあるので以前より展示を行う回数は少なくなりましたが、例え自分のペースだとしても続けるというのが大事ですかね。こうやって振り返ると、幼い時から何かしらずっと描いてますね。描くことはもう生活の一部です。

Bong gallery(2019)


-デザインのモチーフ

イスラム建築の建物の曲線などからインスピレーションを受けていることが多いですね。モスクとか。あとはタイルの柄とか壁、床の模様のパターンとかもよく取り入れています。ロマネスク様式、ゴシック様式のように宗教的な特徴のある形も好きですね。 合わせてロゴに関しては、アラビア書道から影響を受けています。幼稚園の時・・・国旗のタペストリーを描くような時間がありまして、みんな、日本の日の丸を描く中、なぜかイスラエルとサウジアラビアの国旗を自分は選んだんですよね。 おそらく直感でかっこいいと思ったのか、幼い自分は無意識にそれを選んでました。

他国の文化を吸収し、自分なりに解釈してかっこいいものを出すという感じ。これは日本人の特有だと思うんですね。 海外の人からしたら日本の文化はCOOLと思われる面が沢山あるし、日本人からしたら、やはりアメリカの文化やアルファベットは、かっこいい憧れる感じがあるじゃないですか。 そこに関しては、自分の好きなアラビア文字を自分の解釈で組み合わせて、アウトプットするのが、自分流のスタイルでしょうか。 日頃から本屋や図書館で常に色々調べるようにしています。絵を頼まれて、そこからイメージはするけど、その土台となる資料収集は常にしていて、日々の生活の中で常にインプットをしていますね。

EXORGRINDST(2016)


-自身のスタイルについて

SNSに関しては・・・便利な反面、表現の仕方も変化していてSNS上で絵を並べて発信できるので、誰でもすぐにアーティストの様に見せれるというか、洋服も一緒ですよね、すぐにブランドを立ち上げられる時代ですし。SNSは知らない人ともやり取りできるけど、そんな現代だからこそ、「現場」のコミュニティを大事にしつつ、自分自身がぶれずに、やっていくのが大事だと思っています。自分はそれに憧れてやって来たので。

自分自身はこれからもずっと絵を描き続けていく訳ですが、 アーティスト活動などやってないけど、絵がうまい人もゴマンといるわけで。たくさんの先輩や本物の絵描きを見てきたからこそ、今後どのように、自分自身活動していくのか。ここの部分はより深く考えるようになった。

自分の作品はより内面的な・・・自分のネガティブな要素を書き表すことが多いんですね。 普段の生活と、絵を描く自分。どんな人間にも必ず二面性があると思うので、普段の生活で溜まったネガティブなことを全て絵で表し表現する、という感じがベースにありますかね。これが日常であり、絵を描くのが当たり前という生活。 単純に絵を描くのが好きなんですね。 楽器弾ける人がバンドで音楽で表現するように、自分は絵が描けるから描いている。とにかく自然な形で今の状態になっている訳です。

ぶれないことが大事ですね。同じことを続けるって、実は結構大変じゃないですか。書き続ける中でも今のスタイルを維持して崩さず、新たな発展をさせるということ。 このスタイル取り入れたら面白いな!と思うことも沢山ありますが、これを自分が描いたら今までの自分とスタイルとはかけ離れてしまう、違うのではないかと、留まってしまうこともよくあります。

バンドもそうだと思うんです、その人たちが作り上げてきたスタイルを、みんな求めていると思うんですね。 今ままでの軸は崩さず、そこを起点としてのちょっとした変化。 いかに自分を客観化して見るかが大事ですよね。バランス。 人間である以上、絶対変化してくものだと思いますので、常にここの点は意識しています。

-東北のハードコアシーンについて

あくまでも絵描き視点からの考えでありますが、東北・仙台はハードコアバンドに感化され、点描をモチーフとした絵、そこが原点としているアーティストを輩出している地域であると思います。

全国的に見ても、珍しいのではないかと。 もちろん、全国で沢山かっこいいフライヤーを描くアーティストはいる訳ですが、その中でもシーンに根付いて年代毎で脈々と続いている感じ・・・全国的にも、なかなか無いのでは、と改めて思いますね。 USUGROWさんから始まり、SADAMさん、UCANさん(Essence・BLACKEYEZ)、自分、若い世代で今だとTENKI(DIKTATOR)でしょうか。 自分は上の世代の人たちに憧れて始めた訳ですし、個人的な目線ではありますが、シーンの中で年代毎に絵描きが続いているってことは大変、感慨深い点だと思います。

ハードコアのジャケットやデザインって、メッセージ性が大変強い。 ストレートでわかりやすい点が、自分は惹かれる点であります。 マイペースに絵を描き続けながら、いつか仙台で個展やるのが目標ですね。

改めて、このタイミングで仙台の人達に自分の作品を見てもらいたい。 自分の育った街でもあり、仙台のハードコアシーンは自分の人生を大きく変えたターニングポイントであります。 今でも仙台のバンドのことはチェックしています。 だからこそ、沢山の人に知ってもらいたい。そんな想いです。

intoyohikaritokage(2017)


KHART infomation

instagram : @khartblkwht





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