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世界石巡礼ブログ ギリシャ

🔴2009/07/07 クレイジー・ホリデーズ 

6月4日 カイロからイスタンブールへ飛び、オトガルで22時発のギリシャのテッサロニキ行の夜行バスに乗る。 二階建てのリムジンバスは、実に快適な乗り心地だった。 翌5日、1時にトルコの出国手続きをして、ギリシャへの入国手続きが終わったのが3時を過ぎていた。かなり簡単な荷物検査だった。 バスは、ギリシャで4箇所くらい停まりながら終点のテッサロニキに到着した。すると、収納ボックスに預けていた妻のリュックだけが無かった。すぐ、バスの運転手、乗務員に問い合わせると、どうも、他の場所で間違えて降ろしてしまったらしいのだ。今日は日曜なので事務所は休みで、明日、確認するとのこと。バス移動で荷物が無くなるなんて、信じられない出来事だ。 リュックには、引き換え証が付いていて、明らかに乗務員の確認ミスだった。我々は、かなり強く抗議したが、英語が理解できず、しばらくしてバス会社の現地スタッフがやってきた。とにかく、もし無くなった場合、ポリスレポートが必要なので警察に連絡することを伝えると、会社側は、慌ててホテルの手配をするという。 

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メトロバスとドライバー トルコ在住で、先日お世話になったマサコさんに電話をしてトルコ語でドライバーと話してもらうと、明日、荷物は無事に届くだろうから用意するホテルで待機してくれとのこと。 しかし、途中の町で降ろされた妻のリュックは本当に返ってくるのだろうか・・・。 バス会社の現地スタッフは、会社持ちでテッサロニキ駅に近いホテルに案内して宿泊手続きをしてくれた。 妻は、しばらく放心状態で慰める言葉も見つからなかった。 アフリカの旅を終え、これからヨーロッパの石巡礼に気合を入れようとしている出鼻を挫かれたような気分になった。しかし、今は待つしかどうしようもなかった。幸い、バス会社が用意してくれたホテルは悪くわなかった。エアコン付きで、フリーインターネットができ、窓から海も見えた。 休日のテッサロニキは、町も寂しいくらい店が閉まっていた。 夕方、我々は気分転換に海を見にでかけると、素敵なカフェを見つけた。そこは、観光客や地元の人々で賑わっていてコーヒー一杯で4時間近く寛ぐことができた。海と満月と素敵な音楽は、しばし頭を空にさせてくれた。 

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        カフェから見えるテッサロニキに海と満月 

翌6日、朝、バス会社に電話をすると、妻のリュックが見つかったことを知らされる。本当によかった。 ただ、リュックが届くのは夜の9時以降だと言い、もう一泊ホテルに泊まる事になった。お陰で、ゆっくりインターネットで旅の準備をしたり、身体を休ませることができた。 夜9時過ぎ、バス会社の人がホテルにやってきて、妻のリュックを届けてくれた。 彼は笑顔で言った。「君達はラッキーだ!二日間もホテル付きのホリデーを過ごせたのだから。」 結果良ければすべてよし。荷物の中身も無事で、彼女もホットしていた。 この小さな事件は、またしても石神様(?)のプレゼントかも知れない・・・。 そういえば、このバスの旅は、クレイジー・ホリデーズというタイトルがあった。 

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この二日間は、まさにクレージーなホリデーに違いない。 それどころか、世間から見れば一年間の世界石巡礼そのものがクレイジー・ホリデーズではないかとも言われそうだが・・・・。 とにかく、気を取り直してメテオラへ行こう~ 

ギリシャ・テッサロニキにて 郡司 拝 


🔴2009/07/09 

岩上の修道院、ギリシャ正教永遠の聖地~メテオラ

 7月7日 テッサロニキから列車で約3時間、メテオラの拠点の町カランバカに到着した。ホームに下りると、町の背後に巨大な岩山が聳えていた。ようやく、ギリシャ正教の聖地・メテオラにやって来たことを実感した。 カランバカの町は、観光地としてかなり洗練されている感じで、レストランは多くの観光客で賑わっていた。我々は、事前に決めていたホテルにチェックインすると部屋のベランダから修道院が建つ岩山が見えた。 

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それにしても凄い山だ。久しぶりに岩山を見て興奮してしまう。買い物をして、さっそく岩山に向かう。 ホテルの裏道を上ってゆくと岩山の真下にいくつかのゲストハウスがあり、オリーブ畑を通り過ぎると登山道になった。

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 所々、道の背後に巨石が転がっていた。 

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見上げると、岩山のでかいこと。こんな岩山の上によく修道院を造ったものだと驚いてしまう。 登山道は、途中から石畳になり30分程で岩山の上に出た。そこから、カランバカの町並みが見下ろすと、統一された赤瓦の屋根が美しく広がっていた。 

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             アギア・トリアダ修道院 

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           アギオス・ステファノス修道院 

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                起立する巨岩 

聖メテオラは、ギリシャ正教にとって聖アトス山の次に重要な聖地とされている。ここに最初の修道院ができたのは14世紀の初めで、当時は24の修道院があったという。しかし、今では多くの修道院は廃墟となり、見学できる修道院は6つのみだ。その当時の岩山に建つ修道院をイメージすると、壮大な岩の聖地だったことが想像できる。 

翌朝、9時。カランパカ発のバスでメガロ・メテオロン修道院に向かった。山道はくねくねとして途中、多くの巨岩が林立していた。この修道院の創建は1356年で聖メテオラの中心的な存在で、さっそく中を見学する。博物館のように整然と展示され、そこからの景観は絶景であった。 

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           メガロ・メテオロン修道院 

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           メガロ・メテオロンの入口

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            聖メテオラを象徴する絵画 

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                食堂の間 

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                巨大な木樽

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                 髑髏の部屋 

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         メガロ・メテオロン修道院からの光景 

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             ヴァルラーム修道院

 標高586mの修道院からの景観は絶景で、修道僧たちはこの天に近い環境の中で祈りと瞑想を続けてきたのだ。岩の聖地は、人間により研ぎ澄まされた精神性を与えてきたのだろう。 聖メテオラの修道院は、ビザンチン時代後期、トルコ時代に迫害を受けたキリスト教修道僧たちによって500mあまりの岩山の上に聖域を造った。 

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             ルサヌー修道院と巨岩

 メテオラで多くの巨岩を見ていると、岩は宗教を超えた聖地性を持っている、そう強く感じた。 

ギリシャ、アテネにて  須田

🔴2009/07/11  

古代ギリシャの岩の聖域、デルフィとアクロポリス 

7月9日 デルフィ(デルポイ) ラミアの街からアンフィサを経由したバスは、急な坂道を登り始めた。背後に岩山が聳え立ち、やがて坂の上の町デルフィに到着。そこから徒歩15分あまりでデルフィ遺跡のアポロンの神域の入口に到る。 暑い日ざしを浴びながら、聖なる道と呼ばれる坂道を上がって行くと辺りは古代遺跡が広がっていた。 標高2457mのパルナッソス山の麓にあるこのデルフィ遺跡は、古代ギリシャの都市国家(ポリス)で、古代ギリシャにおいて世界のへそ(中心)として信じられギリシャ最古の神託所でもあった。 

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伝説によるとデルフィは紀元前2000年頃よりガイア(大地の女神)を祀る聖域として発展したという。ガイアはデルフィの洞窟で大蛇ピュトンに守られ信託を行っていたが、アポロンが大蛇ピュトンを殺してここに自分の神殿を建てた。 紀元前6世紀頃になるとアポロンの神託の名声が高まりギリシャ中から人々が神託を求めて訪れるようになり、一大繁栄期を迎えた。しかし、アポロンの神域も、360年頃「もはや泉は尽きた」という最後の神託を受けて、1800年代に遺跡の発掘が行われるまで長い眠りについた。 聖なる道の坂の入口に台座に乗った卵形の石があった。 

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               へその石 

これは、「へその石」と呼ばれ、本物は博物館の中に展示してある。 

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               へその石 


また、復元されたアテナイ人の倉庫の隣に「巫女の岩」と呼ばれる自然石があった。 

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                巫女の岩 

草の蔓に覆われた岩は、独特な存在感があった。この岩の上で巫女が神がかりになったのだろうか。 

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               アポロンの神域 

デルフィの巫女(シビュッラ)が神がかりとなり謎めいた詩の形で告げられた神託が、神意として古代ギリシャの人々に尊重されポリスの政策決定に影響を与えたという。 アポロンの神殿跡から、劇場跡を過ぎさらに上がった処に競技場跡があった。 

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               アポロン神殿跡 

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                競技場跡

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                 美しい地層   

 古代遺跡デルフィは、パルナッソス山がとても重要な役割があるように思えた。 帰りがけ、デルフィ遺跡の外れに割れた岩を見つけた。その岩は、まるでデルフィの入り口を守るかのように佇んでいた。

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 7月10日 アクロポリス デルフィからバスでアテネに移動し、お昼過ぎにホテルにチェックインする。 昼食を済ませてからさっそくアクロポリスに出かける。 地下鉄アクロポリス駅から3分ほどでアクロポリスの入口に到着。そこから巨大な丘を見上げながら歩く。ギリシャ最古のディオニソス劇場(BC6世紀)を見て、大理石の石段を上がるとアクロポリスの丘に到る。 

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               パルテノン神殿

 そこには、修復中のパルテノン神殿、エレクティオン神殿が建っていた。 アクロポリスは、古代ギリシャの都市国家(ポリス)のシンボルとなった小高い丘のことで「高いところ、城市」を意味し、アテナイのアクロポリスに建つパルテノン神殿は、守護神アテナに捧げるために紀元前432年に造られたものだ。今の神殿はペルシャ戦争後に建設されたもので南北約30m、東西約70m、石柱の高さ約10mあり、ローマ時代にはビザンチン教会として、中世のオスマン・トルコ支配下にはモスク寺院として使われていたという。 アクロポリスの丘には、世界中から多くの観光客が訪れていた。 

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           丘からアテネの街を望む

 最後にフィロパポスの丘に上ると、アテナイのアクロポリスの全体像が見えた。岩上に立つパルテノン神殿に夕日があっていた。2000年の歴史を刻んだパルテノン神殿の大理石は、今でも荘厳な輝きを漂わせていた。 

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             フィロパポスの丘から 

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デルフィは岩山に守られた聖域、アクロポリスは岩上の聖域といった印象を強く持った。 

ギリシャ、アテネにて 郡司 拝

 追伸:今後の予定 今夜、ギリシャ・パトラ港からバーリ港行きのフェリーに乗り、イタリアに向かいます。