追悼Lamont Dozier。名ソングライターの訃報から振り返るモータウンの功績
TBSラジオで毎週金曜日8時30分~午後1時まで放送の「金曜ボイスログ」
シンガーソングライターの臼井ミトンがパーソナリティを務める番組です。
このnote.では番組内の人気コーナー
「臼井ミトンのミュージックログ」の内容を書き起こし。
ちなみにyoutube版では動画も公開しているのでそちらも是非。
モータウンの黄金期を支えたLamont Dozier
先日、8月8日にLamont Dozierという作詞作曲家が亡くなったというニュースが入りました。この人の名前に馴染みのある人はあまり多くないかもしれませんが、今かかっている曲をどこかで耳にしたことがある人は多いと思います。
彼はモータウンというレコード会社の専属ソングライターだった人で、
3人組のソングライターチーム、その名も「Holland-Dozier-Holland」の一員として、数多くのヒット曲を世に送り出しました。
彼らはあくまでも裏方さんで、アーティストとして表に名前が出たわけではありませんが、この3人組が1960年代後半の五年間で全米チャートのTop10に送り込んだ曲は30曲近くにも及びまして、そのうち12曲が全米No.1を獲得しているという、モータウンの黄金期を陰で支えていたとんでもないヒットメーカーだった。そんなソングライターチームの1人が先日亡くなってしまったんですね。
「モータウン」とはデトロイトのインディレーベル
で、そもそもモータウンとは何かというと、1960年代から70年代にかけて、大ヒット曲を量産したレコード会社。もともとはアメリカ北部のデトロイトという街の小さな小さなインディーレーベル。ビートルズのメンバーたちも大変大きな影響を受けていることを公言しているくらい、60年代に一斉を
風靡したソウル系のレコード会社です。
このモータウンというレコード会社が生まれたデトロイトという街は、
自動車産業で大変に栄えた街で、アメリカの自動車メーカーのビッグ3と
言われるフォード、ゼネラルモーターズ、そしてクライスラー、いずれも
この街で創業された。アメリカ自動車産業の中心地なんです。
なので、デトロイトのことをアメリカではモーターシティとか、モータータウンなんて呼ぶんですけど、そんなモータータウンで生まれたレコード会社だから、それを略して「モータウン」と名づけられたわけです。
過去にも同じような話してますけど、とにかく産業が発展する街には南部から黒人労働者が集まります。そうするとそれに伴って、黒人音楽文化も花開くんですね。しかも産業が発展するということは街そのものも経済的に豊かになりますから。やっぱりなんやかんや文化っていうのはお金がある場所で花開くんですよ。
こないだ話したキッズヴォーカルのときに話したDoo Wopの文化っていうのも、北部の都市部で生まれたものですし、ロックンロールという言葉が生まれたクリーブランドも鉄鋼業で栄えた北部の街ですしね。
しかも1960年代なんていったら、戦後生まれた赤ちゃんたちがティーンネイジャーになって、国も豊かになって、まさにレコード産業が大きく成長していく時期です。さらにElvisを始めとする白人ロックンローラーのおかげで
既にブラックミュージックも市民権を得ていた。
そんな流れの中で、デトロイトで生まれたレコード会社がモータウン。
Berry Gordyというアフロアメリカンが興した会社で、彼自身も曲を書くソングライターだったんですが、デトロイト郊外の一軒家がオフィス兼レコーディングスタジオ兼社長住居だった。本当に小さな小さな会社だったんですね
自動車製造をヒントに楽曲を量産
でもそんな小さな会社だったからこそ、Berry Gordyという社長の感性や哲学が隅々まで行き届いた。彼は他にも専属のソングライターチームを複数雇って競うように曲を作らせ、同時進行で曲をじゃんじゃん書かせるんですね。
そしてその曲のアイディアをすぐさま形に出来る専属のスタジオミュージシャンを24時間待機させる、そして楽曲制作と並行して歌手にはボイストレーニングやダンスのレッスンを朝から晩まで受けさせた。
そして、毎週社員全員を集めて、新曲をみんなで聴いて、多数決を取って
リリースするかどうかを決める、品質管理のための会議を開く。
実はこれ全て、社長が若い頃、自動車工場でアルバイトしていたときに、
ベルトコンベアで車が組み上がって、最終的に品質管理のテストを受けて
出荷されていく自動車製造の過程にヒントを得て、それをポップソング制作に落とし込んだということだそうです。
小さい規模の会社ながらも完璧な分業制で効率良く楽曲を量産したことで、たくさんのヒット曲を矢継ぎ早に世に送り出すことが出来たわけですね。
先日亡くなられたLamont Dozierというソングライターは、そういう分業制が敷かれたモータウンで日夜ひたすら曲を書き続けた専属ソングライターの一人だった、というわけです。
Berry Gordyがやった一番画期的だったのは…
でも、社長のBerry Gordyのやったことで一番画期的だったのは…
レコード会社に所属する黒人アーティストに、歩き方とか、喋り方とか、
白人的な上品な立ち居振る舞いを徹底的に教え込んだことなんですね。
これは一体どういうことかと言うと・・・。
Elvisをはじめとする白人アーティストによってブラックミュージックが広く白人にも聴かれるようになったとはいえ、やっぱりマーケットとしては白人が歌うレコード、そして黒人が歌うレコード、と、綺麗に真っ二つにわかれていたのが現実なんですね。当時の白人はブラックミュージックを白人の
アーティストを通して存分に楽しんで消費していたにも関わらず、
それが本家の黒人が歌うレコードっていうことになると、なかなか大手の
ラジオ局ではかけてくれないし、レコード屋さんに置いてもらえない。
その保守的な白人たちにも抵抗なく受け入れてもらうために、Berry Gordyという人はマナー講師を雇って、所属アーティストたちに上品に振る舞うように指導したわけです。それまでの黒人アーティストのイメージっていったらやっぱり白人の間ではワイルドで、猥雑で、と思われがちだったところを、白人に抵抗なく受け入れてもらうために衣装も振る舞いも歌い方もなるべく上品にしたんです。
そのちょっと前に白人のElvisがセクシーに腰を振りながら歌って一大センセーションを巻き起こしましたけど、ワイルドかつセクシーに振る舞って許されるのはこの国では白人だけだ。ということをBerry Gordyは悟った上で、我々黒人は敢えてその逆を行こう、と決めて、アーティストたちに徹底的に上品な所作を仕込んだんです。
まぁ理不尽な現実があったときに、そこに徹底的にプロテストすることも
大切だし、それも一つの手ですけど彼はむしろ、合わせられるところは相手に合わせちゃえば良いんじゃないの?っていう、柳のように去なすしなやかな考えというか、ある意味ずる賢いとも言えるかもしれないですけど、
クレバーというか、頭の良いやり方だなぁと思うんですよね。
マーケティングの成果によってヒットを量産
こういう細かいマーケティング戦略によって、つまり白人にも抵抗なく受け入れてもらえるような雰囲気作りを徹底することによって、まずSupremsという国民的なアイドルグループが生まれます。
アフリカ系アメリカ人でここまで国民的なアイドル人気が出た女性グループっていうのは間違いなく彼女たちが初めてでしょう。
そして、Stevie Wonder。さらにその後このレーベルからデビューしたのがMichael Jacksonです。彼が在籍したJackson5は、アフロアメリカンで初めて国民的なアイドル人気を博したボーイズグループになりました。
モータウンの計算高いマーケティング戦略と彼らの音楽的な才能が結びついたことによって、やっと、初めてアメリカでは黒人が演奏したレコードを
当たり前に表通りで白人が聴くようになった。
モータウンが存在しなければブラックミュージックが当たり前に聴く世の中になるのはもっともっとずっと後のことになっていたのは間違いない。
さぁ、今日はLamont Dozierを含むソングライターチーム
「Holland-Dozier-Holland」がモータウンに残した大ヒット作から1曲お聴きいただきましょう。
Four Topsで「I Can't Help Myself (Sugar Pie, Honey Bunch)」
youtube版では動画で同様の内容をご覧いただけます。
金曜ボイスログは毎週金曜日8時30分~午後1時にて放送。
AM954/FM90.5/radikoから是非お聞きください。