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祭りについての考察。それは『一体感』ということ

偶然についてのことを書きたいのだけれど
今日は、なぜか、祭りについて。

この日曜日に、橋本のお祭りへ行ってきた。
といっても、観に行ったのではなく、
動画撮影という?、大役を仰せつかり・・・

要するにちょっとしたYoutube用の動画に使えるようなものを
iPhoneで撮影、というお手軽なものです。

気温37度という灼熱の中、神輿を担ぐ地元の人たち。

子どもから、お年寄りまで、いろんな人たちが
みんな法被を着て、参加していました。

エッサ、エッサ、という掛け声で、
街を練り歩き、神明宮までお神輿は運ばれていった。

私は、地元の人間ではないので、
撮影が終わると撤収。

地元の友人たちは、そのあと打ち上げがあったようです。

私はそのまま帰ってきたのだけれど、
打ち上げに参加した友人から、
夜遅くにメッセージが届いた。

今日は暑い中、本当にありがとうございました!
おかげさまで、祭りが滞りなくお開きになりました。
やっぱり、楽しかった。
何よりみんな、おじいちゃんもおばあちゃんもおじさんも、おばさんも、
子ども達もみーーーんな楽しそうで嬉しそうで、すごくうれしくなりました!
祭りって、どんな世代も一体になれる!
祭りに参加していなければ、こんな感動は無いと、ありがたく思います。
嬉しくて、泣けてきます。
来年の祭りも、今から楽しみです!

そうか。
そうなんだ。

祭りって、そういう役割を果たしていたんだなぁ、と改めて理解する。

そう、『一体感』。

昔から執り行われてきた祭りは、
神様も含めて、子どもから、若者、大人、そしておじいさん、おばあさんまでが
こころを一つにして、未来へ繋げていくこと、今に感謝すること、
そして一体感を感じること。

そういうものなんだなぁと。

最近では、ワンネスとかそういう言葉も
よく聞かれるようになったけれど
昔からの祭りの一端に、その役割があったのかもしれない。

今、地方でも失われつつある祭り。
だけど、こうしておこなわれることに
本当に深い意味がある。

撮影をしていた時に、うしろからこんな言葉が聞こえた。

「祭りは、続けていくことが大事なんだ」

消えゆくものと
残していかなくてはいけないものが
確かにある。

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