今日で兄が亡くなって2年。
あの年は雨が少なく6月とは思えないほどだった。
毎日うだるように熱く、ピーカンの道のりをあるいて病院に向かっていた1週間。
抗癌剤をはじめた4月頭からの3ヶ月は目まぐるしく過ぎていって、今思い返そうとすると、あれは幻の時間だったんじゃないのか、と思うほど衝撃的な早さで、現実味が無いと感じる時もある。
でもそれはもちろん疑いようもない事実でしかなくて、毎日思い出し、話しかける日々はずっと続いている。
それでも私は、日々の仕事に追われて忙しく過ごしているし、40過ぎたけれど、未来のなりたい自分の姿をまだまだ懸命に追いかけているので、以前のようにその悲しみに囚われてしまうことや突然泣けてしまうようなことは無くなっている。
寂しいけれども、これが「生きている」ということなんだなろうな、きっと。
一方で、日々を淡々と過ごす80にもなる両親の深い悲しみはいかばかりか、と思うし、毎日家族としてともに過ごしてきた奥さんや息子の寂しさは想像できない。
それでもそれでも、私たちはみんないま生きている。
この2年の間に「あれは兄だったんじゃないかな」と思うような不思議なことがいくつか起こっているけど、その度に兄もどこか違う空間で生きているんだな、と思う。思うようにしているだけかもしれないけれど、これは幸せな思い込み。
今日の昼間はコロナのため3ヶ月以上あっていなかった両親、兄嫁、長兄家族とお墓参りへ。大好きなアサヒビールとKOOLをお供え。
夜は、仕事で来れなかった妹たちや甥姪も交えてLINE電話にて献杯。そしてこの日が誕生日の兄の息子の誕生日のお祝いもできた。
おにーちゃんの後を追って、着実にゲーマーに育っているよ(笑)
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