【下積み時代②】ジャパンオープンでのホロ苦デビュー

巣鴨のマンスリーで細々とコーラーをしていた私が、次に足を踏み入れた舞台はジャパンオープン。
日本を代表するトップ選手がプロアマ問わず参戦する、日本スティールダーツ界の頂点を決めるイベントの一つである。

私の壇上コーラー初体験は、ハンディキャップ部門決勝戦。
他部門の試合がまだ進行中だったことや、マイクを使わずにコールしたこともあり、特に注目を浴びることもなく粛々と終えたときに「まぁこんなものか」と自分なりに掴んだ手応えは、次のユース決勝で粉々に打ち砕かれた。

石森英彦vs中村周作。
ユースの中でも特に注目を浴びる若い才能同士の決勝は、それまでの私のコーラー体験を根本から覆した。
それまでの私は、毎月集まる顔見知りメンバー20人程度が見守る中で1レグを担当するだけの存在だった。
それが、突如ステージの上でマイクを持ち、100人以上が観戦し、ネット中継され、しかも「この試合で日本代表が決まる」などという話まで耳に入ってくる。(ユースは代表と関係なかったが、当時の私はそれを知らない)
根があがり症の私の足は、急に訪れた大舞台の壇上で、リフレックスポイントを使ったダーツよりも小刻みに震えていた。
そして、緊張で真っ白になった私の頭は、若い二人が繰り出すテンポの速いスローと頻繁なスイッチングにより更に白くなる。(人間、いざというときは案外漂白の余地があるものである)
私の計算が段々と追い付かなくなり、選手たちに小声で計算を訂正され、自信を失って弱々しくなってくる私の声と反比例して、観客席からの声が大きく聞こえる。
「彼…どう思う?」
「う~ん、英語はすごいけど…微妙じゃない?」

28歳の男が、15歳前後の男の子達に2桁の足し算の指南を受け、それを眺めている観客からダメ出しをくらう。

字面にすると、なんとダメな大人なのだろう。

私はもはやコーラーとしてではなく、一個人として打ちひしがれて、涙をこらえることに必死だった。

試合終了後、ユースのふたりや保護者に頭を下げて回る私を発見した師匠の入澤さんも、その他私を知る一部の友人知人も、スカウトしてくれた理事の方も、皆が私を優しく慰めてくれた。「あの緊張感は、やったことない人には絶対にわからないから。よく頑張ったよ漢君」と。そしてその直後「この後レディース決勝もあるけど…いけそう?」と尋ねられ、正直もう嫌だと思いつつ、汚名返上の機会を授けてくれようとしている周囲の優しさに気が付いた私は「やらせてください!」と声を大にして言った。

そして、その試合で私がコールすることになる選手の一人こそが、このわずか数か月後に初出場初優勝で世界女王に輝く鈴木未来(すずき みくる)選手だった。

(続く

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