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下書きのnoteがたくさん溜まってるワイ

下書きのnote。
今見ると17記事ある。普段定期的にnoteを書いている人は普通なのかもしれないが、最近全然書いていない私にとってはたくさん溜まっているように感じてしまう。ちなみにこのnoteも下書きだったものを編集して書いている。

なぜ下書きのままのnoteは溜まるのか?

公開に至るまでの質を高められていないからだと思う。

定期的になにかをアウトプットしたくなる。別にいい記事を書いてみたいとかそういうのではないんだけど、メモよりは長い文章で自分の頭の中を書いてみたくなる。そんな時にnoteに書いてみる。
文章構成は考えずにブワーッとテキトーに書いてみる。
そしたらあるところで少し満足する。正確に言うと満足というよりは、頭の中にある整理しきれていない思考を外に吐き出してちょっとスッキリみたいな感覚。このタイミングで自分の書いた文章を見返す。
さすがに心の声漏れすぎだし、構成ぐちゃぐちゃだし、そもそもこんなテーマの記事、誰が読むんだ?って思ってとりあえず下書き保存のボタンを押す。そうやって下書きが溜まっていく。

おそらく自分の中で《公開》のハードルが高いんだと思う。ちょっとでも面白くて共感してもらえそうな文章を書いて公開したい。要するに自分を良く見せたいのだろう。

そんな感じで、noteを書いては下書き、書いては下書きと繰り返していたある日、確かドングリFMのTwitterスペースでnoteの徳力さんがこんなことを言っていた。(徳力さんは一言でいうと発信の鬼。発信頻度が鬼)

noteって、友達と会話するような感覚で書いていいと思う。
そしたら投稿のハードルはグッと下がると思う。
友達になるとしたら全く隙のない完璧な奴よりも、ちょっとどこか抜けてるけど話してて楽というか、気楽に話聞ける人の方が良いと思う。
だから、「素っ裸の自分」と「完璧な理想の自分」のあいだくらいのnoteを書くといいと思う。

徳力さん(ドングリFMのスペースより)

これを聴いてすごく納得した。
確かによく会う友達が講演会みたいに会話を仕上げてきていたらちょっとしんどい。(最初はおもろいかも笑)
それよりも、ぼーっと話聞けて、

「え?あ。ごめんさっきなんて言ってたっけ?」
「おい!全然話聞いてねえじゃん!まあいいけど!」
「わははw」

くらいの方が友達としてはちょうどいいのかもしれない。

だから完璧なアウトプットを目指してしまい、結果書けないくらいなら、スカスカでもいいからとりあえず書いてみて晒してしまえ!えぃっ!ってな感じでいいんだろう。
そもそも量を書かないと質にも気づけない。(ちなみに質より量っていうタイトルの下書きもある笑)

何を書こうとしてたんだっけ?というようなタイトルの下書きも多くて、結局下書きのまま終わるやつもありそうだが、今後もマイペースに色々書いていきたいなと思う。短くてもいいよね。

最近noteチェックしたり投稿してなかったのにもかかわらず、いいねとかコメントとかいただけていてとても温かい気持ちになったので、久しぶりに更新してみた。きっかけをくれた皆様ありがとうございます!

ポッドキャストもやっているのでぜひ聴いてください!

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