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【追悼】賢者の右腕チャーリー・マンガーが投資家になるまで

2023年11月28日、ウォーレン・バフェットが会長を務めるバークシャー・ハサウェイ副会長のチャーリー・マンガー氏が99歳で亡くなりました。

半世紀以上に渡って「オマハの賢人」、「株式投資の神様」と呼ばれる彼の右腕として活躍。彼から相棒や家族同然と呼ばれたご意見番が旅立ったことは年齢から何も驚くべき事ではないとしても淋しい限りです。
お悔やみ申し上げます。

今回は以下の記事の続編となりますが、今回の訃報に際して下書きの段階での公開となります。

誤字や不備、文脈のおかしな箇所の校閲が出来ていない部分がいつも以上ににあると思いますがどうぞご了承下さい。


参考:



「ウォール街の最長老」との出逢い

後に「株式投資の神様」と呼ばれるウォーレン・バフェットが学生時代、「その本に出会ったことは人生の最も幸運な瞬間の一つだった」と語る『賢明なる投資家』の著者:ベンジャミン・グレアム

ウォーレンはグレアムがコロンビア大学(NY)で教鞭を取っていると知り、彼の元で大学を卒業したら学びたいとビジネススクール*への進学を目指しました。

*経営学を学ぶ大学院

幼い頃からずっとそうだったように、ウォーレンはグレアムについて徹底的に調べました。するとグレアムが保険会社ガイコ(Geico)の会長を務めていることが分かりました。

ウォーレンはコロンビア大学への合格が決まると、アポイントもなくガイコ本社を訪ねグレアムに会いたいと申し出ます。

しかしウォーレンが訪ねたその日、グレアムは不在で対応したのはガイコの副社長デービッドソン(当時)でした。
突然の来訪だったにも関わらずデービッドソンはまだ無名の学生を応接室に迎え入れました。

新学期からグレアムの元で学ぶ事になったので事前に色々伺っておきたいと、デービッドソンにガイコの様々なことを質問し、面会時間は4時間にも及んだとされています。

「ウォール街の最長老」と呼ばれていた凄腕の投資家だったグレアムは何故、保険会社の会長を務めていたのでしょうか?

私見ですが、保険会社は契約者から保険料を先に集め、契約時に約束した事故が起こったら後から保険金を支払うという仕組みです。

保険会社はすぐには保険金として支払わない莫大な保険料のプールを使って間接的に世の中の様々な企業に投資を安定的に運用のできる巨大な金融機関です。

それも銀行のような短期の資金流動性ではなく、かつ顧客が保護をされた間接金融の仕組みを持ちます。
また証券会社のように顧客が直接リスクを請け負う直接金融でもなく、かつ短中期の運用を念頭に置くのではなく、安定した利回りを中長期から超長期で確保するという両方の性質の良い所を取り合わせた仕組みでもあります。

資金力があるからと言って保険会社はどんな企業の株でも目をつぶって買う訳ではありません。
保険会社としてお金が必要になる将来時点においてできるだけ投資元本が毀損していない事が求められ、かつそれまでの保有期間は出来るだけリターンを安定的に出している事が重要です。

仮に課税を考慮しないとして年率5%の配当を安定的に出す株式会社があって、そこの株式を20年保有し続ければ受取額は投資元金と同額になり、元本+配当の合計は元金の2倍となります。

もしこれを配当を受け取らずに同じ株に再投資すれば"複利の効果"で2.65倍となります。

しかしそれでは一体どんな企業の株式ならこうした保険会社のニーズに応えられるのでしょうか?

日本の多くの保険会社は欧米の保険会社がグレアムの研究以前からあった伝統的な運用先として国債や社債など債券への投資、また不動産への投資を行っています。

不動産(例えばオフィスビル)のオーナーとなり、家賃が毎月少しずつ入ってくる仕組みは債券の配当が定期的に出る仕組みととてもよく似ています。

建物が倒壊したりしない限り、また利用者が利用し続けてくれる限りは家賃は入り続け、家賃は急激には上がったり下がったりしません。

もし現金が必要になれば建物を担保にお金を銀行などから借りることもでき、仮にまとまった資金が必要になれば売却をして現金を将来入ってくる家賃と耐用年数から上乗せの価値プレミアムが付くこともあります。

買う時でも銀行が融資をしてくれれば家賃・テナント料でローンを返済し、家賃よりローンの返済額が少なく余った分があれば利益(インカム・ゲイン)になります。

では株式は投資先としてどうでしょうか?

債券や不動産よりも大きなリターンが得られるかもしれませんが、それは株価というものが不規則に様々な要因によって変動するからで、大きな下落をして換金時に損をすることは避けなければなりません。

ルイ・バシュリエ
(1870-1946)

また「将来の株価は誰にも予測することはできない」と20世紀前半に活躍したフランスの数学者ルイ・バシュリエ(1870-1946)が唱え、「ランダムウォーク」と呼ばれる程、株価の将来予測は困難とされていました。

加えて時は世界大恐慌を経験した後の米国経済…銀行も証券会社も共に大打撃を受け、1933年にこのような暴落時に銀行と証券のような経済に大きな影響のある金融機関の共倒れを警戒して兼業禁止を定める法律「グラス・スティーガル法」が成立します。

『金融王』ジョン・ピアポント・モルガン
(1837-1913)

これによって銀行・証券を兼業し、米国の中央銀行にあたるFRBの設立にも尽力した偉大な創業者の名を冠するJPモルガン*は銀行として、証券部門(投資銀行)はモルガン・スタンレーと分離するなど今日に続く影響を受けます。

*金融王ジョン・ピアポンド・モルガン。モルガン・スタンレーはJPモルガンの孫ヘンリー・"スタージス"・モルガンに愛称"スタンレー"に因む。

グレアムの研究、値動きの大きな株式に投資をしながら元本の安全性を確保する事は可能なのでしょうか。

彼の研究全てをここで紹介するには私の言語能力では足りなすぎるため、研究の結果を仮摘むと、株価は海に浮かぶ船のようなものに例える事ができます。

気候や気温、風や波、他の船の動きによって船はゆらゆらと揺れます。

しかし船が錨を使って停留しようとすれば錨を起点として錨と鎖の範囲内で船は留まりどこまてまも流されていくようなことはなくなります。

また船はエンジンで運行すれば進みたい方向に進むこともできます。

ユダヤ人の家庭で生まれ、幼くして渡米したグレアムは若き日に株式で財をなします。しかしウォール街大暴落(世界恐慌)で財産の殆どを失う痛手を経験したグレアムはその悔しさから「元本の安全性を確保しつつ、リターンを得る」を生涯をかけて研究しました。

この結果、彼の卓越した半世紀に渡る投資経験とNYダウが元の水準に回復するまで25年を要した世界恐慌という絶好のデータサンプルをもって、暴落をする前に公開されていた企業業績から"理論株価を割り込む割安株に投資をすればやがて理論株価へ収斂しゅうれんされ、理論株価を大きく上回る株価はやがて理論株価に回帰してくる事を理論化"する事に成功したのです。

彼の一連の研究は一番弟子デビッド・ドッドとの共著『証券分析』や、それを一般の人向けに分かりやすく解説した投資会計学の集大成である『賢明なる投資家』で世界の一般の投資家に向けて分かりやすく解説され、ウォーレンは学生時代にこの時代を代表する一冊の本と出逢って師事をしたのです。

そしてこの研究成果に目をつけたのが保険会社でした。
保険は入ってきた保険料と支払った保険金の差額は今年たまたま発生しなかっただけで将来その分が遅れて請求されるかもしれないと考えます。

結果、今期の利益として計上できず、将来の保険金支払いのために積立をしなければならない仕組み(責任準備金)のためこの積立金の元本の安全性を確保しつつ、リターンが得られる企業を見つけて投資をするというグレアムの研究は打って付けだったのです。

しかも大暴落で多くの証券会社や投資家はあんな想いは懲り懲りだと廃業や撤退をしてしまった焼け野原の状態。

グレアムの理論を用いた米国の保険会社はこうしてこれまでの債券や不動産投資に加え、株式市場へ莫大な資金力を持って参入する無視することのできない機関投資家として経済においても存在感を増し、現在では非銀行系金融「シャドーバンキング*」と呼ばれています。

*銀行に匹敵する経済に影響を与える「影の銀行」

ウォーレンはコロンビア大学のグレアムの授業でただ一人、最高評価の「A+」を取り、当時の自らの資産の2/3もガイコの株式へ投資を行いました。

保険会社ガイコ

ところでグレアム自らが会長を務めたガイコとは一体どんな保険会社なのでしょうか?

ガイコは1936年に創設された会社で、元々は社名の由来である「The Government Employees Insurance Company」が示す通り、米国政府で働く公務員(国家公務員)を対象*とした団体自動車保険の会社でした。

*保険に限らず銀行や証券も過当競争にならないように当時はマーケットの棲み分けが行われていた

1996年にウォーレン率いるバークシャー・ハサウェイに買収され、1999年には一般顧客向けのCMを放送開始します。

ガイコのCM以前、保険会社のCM・広告は恐怖戦術と呼ばれ、火事や事故、病気で身近な人が亡くなるなどの場面を見せ、保険に加入をしていない人の経済的な不安を刺激することで保険に加入することを検討するようにする触発型のマーケティング手法を取っていました。

これは保険という商品の性質上、伝統的オーソドックスな方法であり現在も保険募集の現場でも変わらずに使われているものになります。

一方でガイコのCMが革新的だったのはGeico(ガイコ)とGeikoゲッコー(ヤモリ)をかけた今でいえばイメージキャラクターを登場させ、言葉をしゃべらせます。

ヤモリは自動車を運転しないのにも関わらずです。

ガイコのCMは1997年にアップルコンピュータ(現アップル)が公開した「Think Different」の系譜に連なり、当時コンピューターメーカーであったアップル社の商品やサービスについて一切触れていません。

自分たち(アップルコンピュータ)の考え、哲学を視聴者に発信するというものです。

ヤモリの他にも、ラクダや豚、原始人や異星人など実に様々なキャラクターたちが登場し、様々なドラマや映画などのパロディーを時代に合わせて展開。

そしてこれまで代理店や保険外交員を介して行っていた自動車保険の契約を、電話やインターネットを使ったダイレクトマーケティングに切り替え、直接訴求するようになりました。

折しもこの頃はWindows98やスケルトンカラーのiMacG3が登場した後の時代であり、インターネットが急速に普及を始めていました。

ガイコはこのCMを始める前はアメリカで第四位の自動車保険会社でしたが、CM以降は急速にシェアを拡大し現在では全米第2位と大躍進をしています。

バリュー投資

グレアムの投資手法の目標は「元本の安全性を保証しつつ適正な収益を得る」ものでした。

そのために以下6つの分析を行います。

①収益性
②安定性
③収益成長率
④財務状況
⑤配当金
⑥過去のチャート

そしてこれらを具体的に実践するために以下7つの基準を設けています。

①適切な事業規模か
②財務状況は健全か
③収益は安定しているか
④配当はあるか
⑤収益の伸びはどうか
⑥株価収益率は妥当か
⑦株価純資産倍率は妥当か

ここでは一つ一つを解説することはしませんが、平易に仮つまんで言えば「安く買って高く売る」ために企業の分析を徹底して行うのがバリュー投資のキホン的な考え方です。

1956年、グレアムが晩年に差し掛かり投資業からの引退を表明するとウォーレンは故郷のオマハに帰り、自ら資産運用会社を開設します。

そこに古くからの友人が訪ねてきて、今晩パーティがあるけど一緒に参加しないかと誘ってきました。会わせたい人がいるんだと。


不屈の右腕

チャーリー・マンガーは禁酒法発令の4年後の1924年1月1日に祖父はネブラスカ州判事、父アルフレッドも彼も弁護士をしている家の次男としてオマハに生まれます。

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