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【反戦反論2】ウクライナ危機~権威主義への誤解とプーチンのロシアへの貢献⑬

ロシアによるウクライナ危機によって、かつての米ソ冷戦時代のような資本主義(西側諸国)vs社会主義(東側諸国)ではなく、現在の世界を二分する民主主義と権威主義(専制主義)の対立にも改めて注目が集まっているのではないでしょうか。

(え…そんなことない?驚愕!!)

ロシアについて考える際にこの考え方の基本をまず理解しておく必要があります。

民主主義も更に自由民主主義(日欧米)と、
選挙制民主主義(中南米・南ア・インドネシア)に分類される
出馬(被選挙権)に制限・規制があるケース。

歴史を学べば誰もが知っているように「民主主義」はアメリカ独立宣言(1776)とフランス人権宣言(1789)以降に認知・確率された比較的新しい概念です。


「民主主義」とは専制主義(権威主義)の対立概念です。

近代において「民主主義」とは専制主義(王政など)ではないこと全般を示す便利な言葉となり、「自由民主党」や、「立憲民主党」「国民民主党」など民主的かどうかは兎も角としてとりあえず"民主"という言葉を使っていれば正しいと受け取られやすい風潮があります。

「民主主義」と名前は付いているけど疑問に感じる国がありますよね?

自由主義と民主主義は常に重なるとは限りませんが、両方を指そうとする場合には欧米および日本では自由民主主義*などと呼ばれたりします。

*欧州とアメリカ、日本で自由民主主義の定義は微妙に異なるが、言葉遊びになってしまうので割愛。明確な定義は定められていない。

「個人の財産・思想・権利を認める代わりに、他人の財産・思想・権利も認めよう(侵害しないようにしよう)」が自由主義だとするならば、民主主義は王様のように生まれながら誰が国・地域を支配するではなく、投票によって人々の信任によって選ばれた代表者による統治をすれば広義の意味で「民主主義」と呼ぶことが可能です。


民主主義は投票(選挙権)によって、住んでいる国・地域の政治に間接的に参加できる点*に意義があります。

*人口が増えて古代ギリシアのような直接投票制で全員で話し合ってというのが現実的でなくなって役割分担がされ、近代に議会制が確立されると間接投票という方法が多くの国で用いられるようになった。

一方で民主主義は合議制(話し合い)を経ることで素早く意思決定をすることは多くの場合に困難で、変化の激しい時代に次々と正しいと思われる判断をし続けることは難しいという欠点もあります。

合議制のための議院制、議会制は様々な思惑や駆け引き。時には利権をめぐり足の引っ張り合いをすることが洋の東西を問わず民主主義の常でもあります。

こうした事を考えると民主主義が常に正しいわけでもなければ、権威主義(専制主義)がいつも間違っている訳でもありません。

(民主主義も権威主義もどちらも大概、汚職や利権の駆け引きのオンパレードですが…)


多数決は正しい?選挙は民意を反映しない?

有権者の投じた投票によって物事を決める民主主義は100人の投票者がいれば、100人全員に物事に対しての意見の賛否を問うことが出来る公平性があります。

しかし投票によって問われるテーマというのは常に一つとは限らず、複数のテーマにまたがることがあります。


例えば選挙一つ取ってみても単純に誰を選ぶかではなく、誰を自分たちの代表者として選ぶかを選ぶために政策(公約)について争点になります。

子育てについての問題(出産手当や産育休・待機児童)、高校無償化・給付型奨学金の問題、就業の問題(非正規雇用・最低賃金・社会保障強制加入)、高齢者の増加についての問題、働いている人の賃金の問題、NHK受信料の問題、国防・自衛隊についての問題、住んでいる地域のゴミ回収頻度や公害などの問題…

候補者はそれぞれ異なる公約を掲げるのが常ですが…(内容はイメージです)

挙げられた公約・政策の中には投票する人にとってそれほど関心がない事もあれば、関心の高い事もあります。

ある人が候補者Aの①という議論に対して賛成をしても、同じ候補者の他の議論への考え方②③には反対かもしれません。

完全に一致することなど自分が候補者として立候補するしかほぼないわけですが、多くの投票者は社会がより良くなるように全てのテーマを検討するのではなく、自分の関心があるテーマで考え方に近い人、賛同しても良いと考える人、または知名度の高い人を選ぶ傾向にあるでしょう。

しかしこの投票行動は本当に正しく、私たち投票者の民意を反映してくれているのでしょうか?

歴史を振り返っても民衆の多くはあまり頭が良くないため、自分で自分たちの将来のことを考えることが出来ません。
(日本語が通じない日本人、意図や思惑が通じない人、国語が苦手な人、理解力に乏しい人様々です)

誰かが甘い話をすればそれに尻尾を振って投票してしまいます。

誰かが分かりやすくあれは悪で、これは正しいから捕らえて罪を償わせると言えば愚かな民衆はそれに乗っかってしまうのです。
自分の頭で考えることができず、わかりやすい反戦に対する抗議・デモをしたつもりが思わぬ悪の片棒を担がされているとも気づかずに。

投票というのは誰をその選挙区の代表者として議会に送り出すのかではありますが、その候補者の掲げた考え方(公約)が社会で検討すべき優先順位の高いものかどうかも、実現するかどうかも全く別な話です。(議会に提出されて合議制の元で法律・条令が可決・施行されるため)

候補者(または選択肢)が3つ以上ある場合の投票によって生まれる矛盾を「オストロゴルスキーのパラドックス」と呼びます。

またそもそも論ですが、議論とは賛成が多い意見の正当性を決める事ではありません。

よく「民意を問う」などと言って解散総選挙や出直し選挙などの際に、勝利を「民意」と語る政治家がいますがはっきり言って詐欺師か、前時代的に選挙が学級会の多数決のようなものだと勘違いしている人間たちのたわごとです。

複数のテーマを問う選挙の場合、選挙結果は「民意」を必ずしも反映しないのです。


また理想的には議論の目的は論じることによって新しい視座・視点・視野を得、それによって目指す方向性に叶う意見に物事を動かしていこうとすることです。

この3つに加えて弁証法、自由7科目がないとなにも実現しない(つまりリベラルアーツ)

当然、足の引っ張り合いや罵声を浴びせたりすることが議論ではありません。

対案を出したり国家観や国家戦略を共有して様々な意見を論じ、そして実現するためにどういった法律や支援・改革などが必要なのかを考え話し合う場であるはずの国会・議会がどうして中学生の学級会のようなことを何十年も繰り返しているのでしょうか。(どの国のこととは言わないが)


権威主義の強みと弱点

前置きが長くなりましたが他方、権威主義(専制主義)は国の意思決定をする指導者が将来を見通す先見性や外交などに長けていれば、民主主義よりも素早く物事を動かすことが可能です。

一方で権威主義において最大の問題は権力者の暴走と後継者です。

どんなに聖人君主のような名君がいたとしても人である以上は歳を取り、判断力が鈍り、健康状態も悪化しますし、やがて必ず死を迎えます。

またそもそも聖人君主のような理念と人格とが誰からも素晴らしい人など気持ち悪いだけです。どんな人でも叩けば何らかの埃が出てくるものです。


ロシアでいえばプーチンの後は誰が大統領になって国を率いることが出来るのでしょうか。

またプーチンが暴走をした場合に抑制する事はできる体制になっているでしょうか。

中国では習近平国家主席の後継者は誰でしょうか?
それをけん制する政敵は粛清され、4人の候補者がいるとされていますが…。

北朝鮮は金一族ですね。後継者は今のところ、妹とされていますが…。

シンガポールはリー一族ですが、一族で後継者について揉めています。
建国の父で初代首相となったリー・クワンユーは太平洋戦争末期にイギリスに疎開留学。

名門ケンブリッジ大学で「百年に1人の秀才」と呼ばれた智性で帰国後に弁護士を経て政治家となりマレーシアとの独立運動、そしてマレーシアから追い出されるように独立をして空気以外全て輸入の国を開発独裁を宣言して一代で世界有数の金融立国として育てます。

その成功は1990年代以降の東南アジアの新興国にも受け継がれています。

現在のシンガポール首相は彼の長男リー・シェンロンですが、彼も今や既に70歳。
次の指導者が誰になるのか。一族の分裂で揉めています。


権威主義はこうした意味で企業の経営(後継者問題)ととてもよく似ています。

国家は永続しなければなりません。
どんなに優秀な指導者もいつか必ず亡くなります。
しかし国民は生きていかなくてはなりません。

民主主義…日本は、アメリカは、イギリスは、ドイツは、フランスは…難しい舵取りかもしれませんが代わりは誰かしら可能ですよね?

またよく混同されている方がいますが、冒頭で触れた資本主義は「神の見えざる手」を説いたアダム・スミスの『国富論』に始まり、封建主義(君主制・専制政治など権威主義)という政治・経済一体の体制(国家体制)から政治思想と経済思想の分離(細分化)から始まりました。

資本主義と社会主義、そして共産主義は対立(垂直)概念ではなく並行(水平)概念です。

(政治思想は垂直思想で専制政治・寡頭制・貴族制~民主制、共和制があり、その中の右派左派などがあるのは垂直における水平概念があるから)

資本によって社会で生み出された資本(利潤)を、再投資することによってさらに資本を増やそうとする複利の効果を目指す資本主義。

社会で生み出された利潤を、社会の格差是正のために持てる者から持たざる者に社会全体から再配分する社会主義。

資本主義の格差是正として国家・政府さえも最終的にはなくして完全なる平等な社会を目指す共産主義(無政府主義)というマルクスの妄想。

日米欧や世界の各国はどこに位置されるでしょうか?

じぶん年金セミナーAdvanced2 セミナー資料より

歴史の変遷を経済学と政治思想から観てもお互いに近づいたり離れたりを繰り返し、バランスが取れる距離感を模索するように互いに変化してきた経緯があります。

これを考えると今回のロシアのウクライナ危機*はメディアで報じられている欧米から見た報道も大切ですが、ロシア側はどんな正義(価値観)に基づいて行動をしているかを考えようとする事は見落とされていないでしょうか。(戦争、力の行使は憎むべき行為だと私も思いますが)

*私はキューバ危機になぞらえてウクライナ危機と呼ぶことにしている。

プーチンは独裁者か?解放者か戦争犯罪人か?
寄る年波で判断を誤ったのか?

そしてそれがほぼ全く報じられることなく、「ロシア=世界の敵」になってしまっています。

(それが観えにくい、観えないというのが大きな問題なのだが…
あなたはどう思うだろうか?)

下記リンクはフランス革命(1789年)から今日までの世界の政治体制(権威主義か民主主義か)の変遷を観る地図のページです。

https://www.newsweekjapan.jp/ichida/2021/03/post-22.php

もし先ほど触れた多数決で多い方が正しいという理論がまかり通るのであれば、2021年時点の世界人口76.7億人の今日において少数派は欧米諸国や日本などが採用する自由民主主義(青)で併せて14億人(18%)程度です。

ここに選挙制民主主義(水色)を加えても40%に届きません。

その他の世界では権威主義(赤、中国など)または民主主義の体裁を取りながら実質的に権威主義である国々ということになります。(オレンジ・ロシアはこのパターン)

また気が付かないうちに選挙民主主義から選挙権威主義へ移行されていることもあります。

国民が投票権(選挙権)をもって選挙が行われているから、自由が保障された民主主義国家とは言えない時代になっています。


プーチンの経歴とロシアへの貢献(駆け足)

ウクライナ侵攻を指揮しているロシアの大統領(指導者)ウラジミール・プーチンとはどんな人物でしょう?

彼の出生から経歴、そしてロシア連邦大統領(首相含む)としての実績を駆け足で振り返ってみたいと思います。

文章が苦手な方はコチラのマンガを参考までに。


ウラジーミル・プーチンは1952年にレニングラード(現サンクトペテルブルク)で父は無神論者共産党支持者、母は敬虔なロシア正教徒の元に誕生します。(なので彼もロシア正教会のクリスチャン)

父は第二次世界大戦で負傷して、戦傷者として戦後は工場で技師として働いていました。

プーチンが生まれる前に二人の兄がいましたが、長男は幼くして、また二人目の兄もレニングラード包囲戦の中、ジフテリアで死亡。

ソ連を建国したウラジーミル・レーニンと後継者ヨシフ・スターリン

プーチンの父方の祖父は料理人でレーニン、スターリンというソ連の英雄たちに仕えていたとされています。

*ウラジーミルは地名やキエフ大公(聖人・亜使徒・聖公ウラジーミル)に由来する名字。日本で言えば藤原(中臣)鎌足・道長の系統である佐藤・伊藤・加藤さんを名乗るくらいのよくある名前。使徒や王の名から「世界を支配する者」の意味があるというのはロシアン・ジョーク。

子どもの頃は悪童だったとされていますが、小学六年生の頃に柔道と出逢い、ピオネール(共産党のボーイスカウト)へ入団。

成績も上がり始め、中学は化学専門中等学校へ進学。
この頃、ゾルゲ(スパイ)に憧れてKGB(ソ連国家保安委員会、アメリカのCIAに相当)を志すようになります。

大学卒業後にKGBに就職したプーチンは、28歳で最初の妻リュドミラ・シュクレブネワと3年交際の後に結婚。

1985~1986年(33~34歳)で長女、次女を授かります。
(KGBの仕事でドイツ滞在の頃)

そしてソ連崩壊の前年1990年(38歳)、KGBを退職。家計のために個人タクシーの運転手をしていたという時期もあったそうです。

サプチャーク氏と副市長時代のプーチン氏

ソ連崩壊の1991年、故郷のレニングラード市長(現サンクトペテルブルク)でソビエト議長の一人サプチャーク氏(1937-2000)によって見い出され国際関係担当顧問へ。
対外関係委員会議長を経て、40歳の時にサプチャーク氏によってレニングラード改めサンクトペテルブルク副市長(第一副市長)へ任命されます。

モスクワ-サンクトペテルブルクは710km、東京-岩国(山口県)間に相当

プーチンはソ連崩壊後のロシアに外国企業の誘致に尽力して頭角を現しますが、仕えていたサプチャーク氏が選挙で敗戦し退陣。

1994年(44歳の時)にロシア大統領府総務局次長(旧ソ連の法務と資産移転管理)に抜擢されモスクワに移ります。

大統領府ではロシア連邦保安庁FSB(旧KGB)と連携してエリツィン大統領のマネーロンダリング疑惑を調査していた検事総長を失脚させるなど憧れだったスパイさながらの活躍でクーデターを未然に防ぎ、エリツィンの信頼を得ます。

1999年8月(47歳)の時にエリツィン(1931-2007)に後継者として第一副首相に指名され、1週間後には正式にロシア首相へ。

12月にはエリツィンが健康上の理由で引退を宣言し、大統領代行を指名されます。

ロシア連邦憲法の写しをエリツィンから渡されるプーチン大統領代行(1999年12月)

こうして2000年にロシア大統領代行となったプーチンですが、すぐさま同年の選挙で決選投票なしの勝利をして正式に第二代ロシア連邦大統領に就任。

最初の仕事は大統領経験者とその一族の生活を保障するというもの。エリツィン一族による汚職やマネーロンダリングなどはこれによって封殺され、自身の将来引退後の身も保証する体制を整えます。

そして「強いロシア」を掲げ、地方行政府と中央で矛盾している数々の法案を再整備。

ロシア全土85地域を7つの連邦管区に再編成、各地域の知事を大統領全権代表に監督させています。

ソ連国歌を元に歌詞を変えて、強かった「ソビエト連邦」時代を彷彿とさせるロシア国歌国威高揚を促し、法律でテレビ・ラジオなどは1日に2度は国歌を流すことを定めているほどです。

プーチンはロシアを広大な土地から採掘される豊富な資源(産出量で2015年世界石油3位、天然ガス2位)を経済を立て直す柱に掲げ、周辺諸国に資源を売り出します。

1998年、ハイパーインフレによってロシア金融危機(3ケタのデノミ)が起こり大打撃を受けたロシア経済ですが、3段階の所得税を13%フラットとして脱税を抑制し、働きがいのある社会構造へ見直したところに1993年にはEUが誕生すると旧ソ連だった中欧・東欧諸国の資本主義化と共に資源需要も急拡大。

ほぼ同じ頃に中国も市場経済の導入が始まり、資源の輸出先として安定した供給が求められ資源価格の高騰を追い風となりロシア経済は急回復。

ロシア国民の大部分から支持される盤石な体制が構築されます。

(ソ連崩壊後のロシアは権威主義ながら経済は資本主義を採用している。この構造は中国と似ている。中国がレアアース輸出を柱の一つにしていたのはロシアを参考にしていると考えられる)

ソ連崩壊によって自国通貨ルーブルではなく外国資本(ドル)へ資産を退避させて台頭していた新興財閥オリガルヒ。1990年代に彼らはソ連崩壊によってルーブルが急落すると対ドルで莫大な資産を得ることに成功します。

オリガルヒは再スタートをしたロシアが旧ソ連の国有企業の民営化を進めていたところを次々に持てる資産で買収し富を独占。

ロシア・オリガルヒ

しかもオリガルヒはエリツィン大統領との汚職にまみれ、国有地や国有企業を破格の値段で彼らに譲ったりしていたのです。

(あれ?日本でもなんか似たような事件があったような…)

2022年に70歳(写真は2019年なので67歳)の肉体…

2000年にプーチンが大統領になると警察・軍出身者によって組織されているシロヴィキによって反政府的なオリガルヒの脱税やスキャンダルは厳しく取り締まりが始まり次々と投獄などをされ、数々の国内問題も徐々に沈静化。

2001年にアメリカで同時多発テロ(911)が発生すると、対テロ(対イスラム)米露協調路線となり、ロシアの裏庭である中央アジアへ米軍基地を設置することにも合意。

米ソ冷戦時代には考えられなかった雪解けの時を迎えました。

(米露協調は後半でも触れます)

2007年にはエネルギー資源の輸出に依存したままでは危険と判断して、製造業・ハイテク産業を推進する6つの経済特区を承認し、プーチン政権は当初2期8年でGDP6倍、貧困は半分となり、ロシアの労働者の平均月収は月80ドルから640ドルになりました。

メドベージェフ大統領に自身を首相に任命させ、大統領になると首相に任命(2008/2012年)

また当時のロシア大統領の任期は4年でしたが、2004年~2008年に2期目を終えると、2008~2012年にはメドベージェフ大統領を立てて、彼に自分を首相として任じさせます。

この時に憲法の任期を"任期6年"へ改正し、2012年には再び大統領へ就任。

(任期改正によってリセットされ、”連続”二期が上限という言い分)

2018年に4期目の大統領就任を果たしたプーチン大統領

2018年に4期目に入ると2024年以降は大統領にはなれないはずでしたが、2020年7月の国民投票で最大2036年(+6年×2期)までプーチンが大統領でいられることを可決しました。(終身大統領説は否定)

元KGBという強権でなければ不正や癒着、大きな改革はできないというソ連崩壊後の混乱期からロシアを現在まで導いてきた実績や豊かさという強烈な体験から中高齢者に熱烈なプーチン支持者がいる一方で、プーチン自身の財産や大統領経験者と一族の保証をする制度や欧米資本主義と自由民主主義に触れた若い世代からは不満と懐疑心も芽生えています。


2014年のクリミア併合は国際社会から観ても明らかな侵略戦争ですが、ロシア国内ではプーチンの支持率が高まるきっかけとなりました。

この支持率の問題は2022年のウクライナ危機とも連動する大切な部分です。


国境が陸続きで他国と隣接していて、いつ侵略されるか分からないという不安は日本で生まれ育った人にとっては分かり得ないものかもしれません。

また悲願の不凍港を得る戦果を挙げたことは「強いロシア」が陸軍・空軍に加えて、海軍を行使できる環境が整う意味でも不可欠だったと考えられます。


忘れてはいけないグルジア紛争(2008)

遡りますが2008年8月7日、北京五輪開会式の最中にロシアは旧ソ連領で独立を求めるグルジア(現ジョージア)へ侵攻しグルジア紛争が始まりました。

ロシアによる五輪パラ会期中は戦争・紛争休戦協定違反は今回が初ではない

グルジアはソ連構成国家の一つでしたが、ソ連解体後にロシアが主導する独立国家共同体(CIS)への加盟をバルト三国と共に拒否

彼らはロシア支配ではなく、欧米に接近しようとしていました。

しかしグルジアも一枚岩ではなく、南オセチアアブハジアではグルジアからの独立自治を掲げ対立。

南オセチアはロシア領の北オセチアとの統合を目指し紛争が起こりますが、ロシア側は関与を否定。

アブハジアはソ連時代にも自治を認められていた地域で、ソ連崩壊によってグルジアと一緒になってソ連から独立します。

しかし1980年代に入るとアブハズ人による民族で自治独立を求めてグルジア政権と対立。1991年4月には独立宣言が出されます。

ロシア・プーチン大統領とアメリカ・Wブッシュの会談2001年11月3日

2001年にアメリカ同時多発テロ(911)が発生し、ロシアとアメリカは対テロ(対イスラム)で米露協調路線になるとロシアの裏庭である中央アジアにアメリカ軍の基地が一時的に設置されるほど急接近します。

しかし2003年3月に「大量破壊兵器」保持の疑いを理由にイラク戦争が始まると米露の関係は再び悪化。(結局、大量破壊兵器は見つからず…)

2003年11月のグルジア・バラ革命

この頃にグルジアではバラ革命、ウクライナではオレンジ革命、キルギスではチューリップ革命という民主化運動が連鎖的に発生。


これまで旧ソ連だった国々の多くは権威主義(専制主義)体制を敷いていましたが、民主化の波及を恐れロシアの直接介入が始まります。

ロシア軍は2008年8月7日に侵攻を開始。グルジアが治めるポチ、ゴリを制圧。

ロシア軍がグルジアに侵攻した正にその日、北京五輪開催式へ出席していたプーチン首相は中国の胡錦濤国家主席、W・ブッシュ大統領と協議。

帰国後にロシア軍の侵攻の正当性を主張を始めます。

欧州理事会の議長国だったフランスが仲介に入って、8月12日に休戦。
ロシアのメドベージェフ大統領は停戦を発表しますが、実際にはロシア軍は攻撃を止めておらず8月16日にモスクワでの署名を持ってよってようやく停戦

この間にロシア軍は軍事中立地帯を確保して、8月26日に国際的にはグルジアである南オセチアとアブハジアの独立をロシアが承認

10月8日に国際合意を得て、ロシア軍はようやく完全撤退をしました。
(侵攻から撤退まで約2か月)

このグルジア紛争の時にもアメリカ軍およびNATOは停戦や人道支援、復興支援にこそ軍隊を動かしますが、紛争への直接介入は見送りました。

国連やアメリカから観ればこれらは国連常任理事国である旧ソ連というかつて同じ国同士。いわば身内の小競り合い。

その国の人たち同士の問題は、自分たちの力で解決するしかないことでそれに関与するのは内政干渉であるとも言えます。

(アメリカはモンロー主義によってアメリカ大陸の外の問題に関与しないことはアメリカ外交の伝統理念でもある。但し、アメリカにとって国益や問題となる場合には介入する)

暗殺?感染?を警戒(?)かつてと違って絶対打ち解けられない距離感で会談…

2022年のウクライナ危機はこのグルジア紛争を下敷きにしていると考えられます。というか、基本的に介入せずフランスが仲裁に入る所なんかそっくりですね。

グルジア紛争は南オセチア紛争やアブハジアを含めたロシア・グルジア戦争と呼ばれることもありますが、停戦までの期間を取って"五日間戦争"とも呼ばれます。

"ロシアはウクライナ侵攻を4日ほどで想定していた"

尤もウクライナの人々の士気の高さや思わぬ反撃、欧米からの武器などの間接的支援など想定より長引いてしまったことでロシアがより強硬な姿勢を取ってしまう危険性が考えられます。

また必要だという前提はわかるとしても、武器などをウクライナに送る間接的支援はロシアが報復という行動に出る場合の理由を与えてしまう温床でもあります。

(それでも現状は直接軍隊を送ることでの戦火を交えることを避けようというのがEUの狙いだろうが)

さて次回③はEUとウクライナの置かれた状況について書いていきます。


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