【私が見た五輪】青空に欠けた五輪を観て思う事⑨
東京五輪の開会式を夜に控えた7月23日昼過ぎ、東京都心の上空を航空自衛隊松島基地所属のアクロバット飛行チーム”ブルーインパルス”が五輪を描く飛行に挑戦しました。
開催した以上は各国選手の皆さんの活躍を見守っています。
※私は五輪に賛成も反対もない。ただ自分の生活が脅かされなければいい派です。但し自粛でそれなりにダメージは受けています。
が、五輪を楽しむという意味で東京五輪のここまでの道のりを振り返るのは大切です。
これを噛み締めてこそ、味わえるものでしょう。
ポジティブな人は「前を見て生きよう」とかいうかもしれません。
それはそれで大切なのですが、過去に起きたことを忘れて良い時と忘れちゃまずい時ってあると思うんですよね。
過去にこんなことがあったからとか、前にこういうことがあった上にコレがあるから楽しめる事ってのも世の中には沢山あります。
先日、102.2億円の興行収入を記録して終劇した「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」などもそういったものですよね?(エヴァに限らず、アニメだけでなく小説でも映画でも人生でも歴史でも)
ということで小学校の卒業式とかでよく児童がやるアレで東京五輪2020が誘致されてからのアレコレをダイジェストで振り返っていきたいと思います。
「「〇〇〇〇」」内をみんなで復唱のイメージ
では、いきますよ?
色々あった「「東京五輪」」
盗作疑惑の「「エンブレム」」
招致に水差す「「買収疑惑」」
トイレ臭漂う「「トライアスロン」」
コンパクトは何処へ「「新国立(競技場)」」
真夏に開催「「アスリートファースト」」
暑いなら「「傘を差せばいい」」
時代錯誤の「「森失言」」
みんなで反発「「聖火ランナー」」
引責辞任で「「後任指名」」
パワハラとメンツの「「オリンピッグ(PIG)」」
被災地で7試合だけの「「復興五輪」」
二転三転した末の「「無観客開催」」
バブル(隔離)は何処へ「「六本木ウェイ*」」
*ウェイ系…「ウェーイ」と言ってハイタッチをすればOKのノリとイキオイの万能コミュニケーション。パリピや若者の間での掛け声。
生活が厳しいと「「選手失踪」」
住所不詳の「「五輪バイト」」
やられた側の傷は消えない「「いじめ問題」」(涙をすすり泣く演出希望)
テレビも、冷蔵庫も、トイレも足りねぇ「「ROC*」」
*国家ぐるみの組織的ドーピング違反のためロシアとしては五輪参加禁止中のため、IOCから潔白が証明されている選手のみで出場「ロシア・オリンピック委員会(ROC)」として出場。ROCの事前確認不足。
フェイクに揺れる「「段ボールベッド」」
無料配布で「「感染予防」」(失笑)
ひと夏の思い出に「「日本らしさ」」
スポンサーに忖度「「ラベル剥がし」」
時々見かける「「便乗値上げ」」
有名無実の「「プレーブック」」
分量課金で炎上「「プレスセンター」」
(美味しいと評価する人もいて個人の好みの問題をいちいち取り上げてるのでは?)
繰り返してはいけない「「ごっこ遊び」」
不名誉で辞任したのに「「名誉最高顧問」」
本当に、本当にいろんなことがありましたね。(´Д⊂ヽ泣けてきます。
某所で観てなるほどなと思ったのですが、
東京五輪と言えば「お・も・て・な・し」ですよね?
「表なし」で「裏ばっかり」という事ですよね(涙)
私がこの記事を書くために知っている情報だけで挙げてきましたが、もしかしたら他にもいろいろあったのかもしれませんね。
え?台風が接近中?
そんな珍しい角度で来る?
しかも陸地経由しないから勢力落ちないかもしれない…
五輪開催中の首都圏直撃?大丈夫?
本当に「呪われた五輪」なんだなぁ…(・_・;)
東京五輪1964で五輪を描いた隊員たちのインタビュー
ということで、ここからがこの記事の本題です。
「この閉塞感を吹き飛ばしてくれ!!(>m<;)ブルーインパルス!!」
この様子をABEMA TIMESの中継を観ながら私は見守りました。
1964年、57年前の東京五輪の開会式で秋空のキャンバスに五輪の輪を描いた自衛官のうち、3番機(西村氏)と5番機(藤縄氏)に搭乗していたご本人がABEMA TIMESに出演されていました。
当初の依頼は国立競技場の上空をまっすぐ飛ぶというものだったそうです。
しかし「これでは物足りない」とチームの中から意見が出てきて、1番機の松下さん(故人)が「空に五輪でも描こうか」と言い出したと西村氏は振り返ります。
飛行機で輪を描くことはそんなに難しい技術ではないけれど、五機でお互いの距離感を保ちながら一斉に描くとなるとそうはいかない…
機体の長さが11m、機体同士の間隔を7000フィート(2000m)保ちながらだとお互いの機影はほんの小さくしか視れない…
一点狂わずみんなが一緒に回るのは難しかったと言います。
練習でもなかなか揃わなかったという、ほぼぶっつけ本番で当日を迎えた彼らは入間基地から江の島上空を旋回しながらその時刻になるのを待ちます。
お互いの距離感だけを意識して国立競技場の上空へ向かい、そして開会式の上空で見事な五輪の輪を描くことに成功しました。
地上からの無線で「うまく行っている」と報告を受けると、マスクの中で大声をあげて喜んだと言います。
後輩(今回のパイロットたち)に呼び掛けたい事はありますか?と問われると
西村氏は…。
「舞台が違うし、私がやってから57年経っていますので、そんなこと言える立場ではないので。飛行機が違いますしね。だからすごくいい飛行機になってると思いますし、問題ないと思いますよ」と語り、本番を待ちます。
藤縄氏は「成功するでしょうね、今の人たちはね。それは信じています」と西村氏と共にスタジオでその時を待ちました。
二人はその後もブルーインパルスの飛行の中継が終わるまで見守りました。
以下は日刊ゲンダイのこの時の飛行の様子を動画などにしたもので、色々と比べてよく撮れている方だと思います。
さて、皆さんは何を思ったでしょうか?
ABEMA TIMESではお二人へのインタビューやブルーインパルス飛行の際の映像を流していましたが、現在Web上ではそこは公開されていません。
ABEMAの撮影チームがブルーインパルスの飛行を某局のように撮影しきれなかったのではありません。
五輪の輪をどこのメディアも取り上げていないことに中継を観ていなかった人たちは気づかないのかもしれません。
また都心のあちこちでカメラを構えていた人たちも「撮影に失敗した」とSNSなどで慰め合っていますが、これはミスリードです。
是非、ご自身で「五輪 ブルーインパルス 失敗」と検索してみてください
今回、五輪の輪を撮影しきった人は誰一人としていません。
何故なら、「五輪の輪を描く」ことにブルーインパルスは本番で失敗をしたからです。(飛行の失敗ではないが演出としての失敗)
カラースモークで彩られた5つの輪は機体がおよそ3分の1ほどを描く頃には消え始めていて、輪を描き切る時には既に最初の3分の2は消えているという有様でした。
まるで今回の東京五輪のこれまでの、または日本のこれからを暗示しているようでした。
しかし本当に恐ろしいのはここからなのです。
ブルーインパルスの飛行と描かれる五輪の輪を見ようと、撮影しようと新国立競技場周辺には…。
密!密!密!!??
ソーシャルディスタンスどこ行った!!!?(笑)
そして、ネット上では…
いやいやいやいや…。
「撮影失敗」なのではなくて、ブルーインパルスが五輪を描けなかった方の失敗をメディアは口を貝のように閉じました(笑)
本当におめでたいですね。
嘘でしょって思うくらいの連帯感!
え?本気で言ってる?もしかして…目が悪い?
それともまさか…思考停止しているの?
なお、ABEMA TIMESに出演されていた元隊員の方々は描き始めた飛行機を見ながら「円が大きすぎる…」「風が強いみたいだ」と機体が飛行する様子を見て心配そうに指摘していました。
そしてブルーインパルスが再挑戦をしない様子を確認して、上空からの中継が終わると、言葉をかなり慎重に選びながら「私たちがやった時代は秋で今は夏だから雲が低い。当時は綺麗な青空だった」「湿度が高いからスモークが消えやすい」「エンジンが良すぎて速度が出るから大きく描かざるを…」とフォローに必死でした。
しかしその表情からはまさかという心境を物語っていました。
そしてこの部分の収録は意図的なのか何処かへの忖度なのか分かりませんが、ABEMAのWeb上で確認をすることが出来ません。(ABEMA PREMIUM会員なのに…)
ちなみに前々日にはカラーではないまでもスモックを炊いての飛行で輪を描くことに成功しています。
3月には松島基地でカラースモックを使った練習でも成功しています。
で、本番。
で、これを「上空の五輪マーク再現ならず」と真摯に報じたのは私が調べたところ、NewsWeekか東京新聞くらいでした。(メディアや新聞社の回し者ではありません。)
知っている限り、最も綺麗に撮れている五輪の映像のがコチラ。
誤解がないように断っておきますが、別に失敗を非難したいのでは断じてありません。
輪はしょせん煙です。すぐに消えるものです。(煙に巻く…)
雲がぶ厚かった…(暗雲たちこもる…)
風も強かったのでしょう。
しかし飛行してくれた隊員たちには大きなプレッシャーだったことでしょう。だから労いの言葉を贈りたい。
お疲れ様でした!(本心)
欠けた五輪の輪をみてあなたは何を想うか
どんなに科学が進歩・発展しても人間がやることに絶対はありません。
むしろ失敗をした時にそれをどう受け止め、これからに活かすのかの方が私は大切だと思っています。
今回の「ブルーインパルスの失敗」をメディアやネットでは失敗そのものをなかったことにしようというまるでどこかの組織委員会のような風潮があります。
首をすげ替えればいい、
過去のことで今は活躍しているからいい
問題の根本を理解していない日本という国、組織、日本人の多くに植え付けられているのではないかというほどの問題先送り意識、臭い物には蓋、なかったことにという問題を次に活かそうという発想の欠落を計らずも露呈させたことになるのではないでしょうか。
これまで政府や官僚、五輪組織委員会の体たらくや電通・既存メディアなどの利権に群がる人たちの腐敗などが日本の停滞感を招いているのではないかと少しは思っていた私でしたが、これが大きな誤解であると今更ながらやっと気づきました。
日本人の大部分がもうヤバイ段階だということに。
認知症だったらMCI*の段階を通り越して、中度認知症か重度認知症では?
*MCIだと回復する見込みがまだある程度あるが、これ以上進むと手遅れになってしまいやすい。
私は元隊員のお二人のインタビューでとても印象に残っている言葉があります。番組の再視聴ができないため、記憶だけで書きたいと思いますが…。(ABEMAなんとかしてくれ)
この時代を生きた人たちの多くが口をそろえて言っていますね。
この五輪の輪は、今の日本そのものではないでしょうか?
分断され、格差が生まれ、頑張っても豊かになれるかどころか今を生きるのにさえ必死な日本の人たち。
コロナ禍はそれを加速させ、より分かりやすく露呈させただけなのではないでしょうか。
日本には元々潜在的にこうした分断や格差が眼に見えづらいカタチでもうずっと前からあって、そして私たちはそこに目を向けることをしてこなかったのではないでしょうか。
臭い物に蓋をするように、なかったことにするように。
まるで子どものいじめのような話です。
この欠けた五輪の輪をみて、大勢の書き込みや報道のように「五輪は成功した」と大本営発表を信じるのでしょうか。
「失敗だ、日本はもうかつてとは違うことを暗示しているのでは」と思うのでしょうか。
(偶然?にも代表選手のスーツの配色がこれまでと逆なんですよね)
なお私は今回のブルーインパルスの五輪の輪についてはこう考えています。
どうでしょうか?
問題が起きた時、問題の多くは本当の問題ではないことが多いのです。
本当に解決しなくてはならないものはその陰に隠れています。
自分に都合の良い情報だけをつまみ食いをしているとこの問題には気づけないのです。
五輪は世界の人たちが集まって、この開催期間中は戦争の休戦協定が結ばれます。
コロナ禍の大変な状況の中で、様々な制約の中で世界中の多くの国と地域の選手たちが日本にやって来ました。
触れ合うことも、手をつなぐことも控えなければいけないという時勢ですが、五輪の役割は終わったともいわれますが、私は五輪には五輪の意義があると思います。
ひとつのスポーツではなく、多様なスポーツの競技・種目に様々な国の人たちが一堂に会するのです。
これは「世界陸上」とか「世界水泳」とか「〇〇W杯」などの競技ごとのそれとは役割が少し異なります。
こんな時代だからこそ、私たちは目に見えないけれど世界中の人々と心を通わせ、人類が繁栄をしていく未来のためにできる事は何か。
心の手を取り合って歩むための絶好の機会にしたいと思って試合を私は応援しようと思います。
しかし、開会の挨拶が長すぎでした(´_ゝ`)
色々な思いはあるでしょう。
でも私なら選手たち、世界中の人に向けてこう言います。
たった3行で十分です(笑)
Welcome to TOKYO,2020-2021
Let's overcome the difficulties together.
Face the challenge without running away.
開催にあたり来日された関係者、出場される選手の皆様のご活躍を期待しています。
P.S.
8月24日にブルーインパルスがパラリンピック開会式で再び挑戦します。
失敗を糧に、前へ進みましょう。
失敗は成功へのステップなのですから。
開会式での一幕
ちなみに開会式のあれこれですが、こういう見方もできると思うんですよね。
王貞治・長嶋茂雄という昭和のスーパースター。そして愛弟子である松井秀喜。
脳梗塞で倒れて麻痺の残った恩師を必死に支え、長嶋茂雄も必死に歩く姿。
そして次の世代に聖火の火を託す…
長嶋茂雄はもう寝たきりだと言われたところから、ここまで回復されたということにも驚きですし、長女三奈さんの献身的な介護などもきっと支えだっただろうと思います。
これから益々高齢化が進む日本で介護の問題は不可避の大問題です。
これからの日本はこうした、かつて活躍した人たちを支えながら生きていくのだという一幕。
またあのスーパーヒーローの右腕が折れそうなほど薄く、ついているのが嘘のように、まるで壊死しているのではと思うほど黒く変色して、手袋でそれを隠す姿は別な意味でも衝撃的でした。
また聖火ランナーの最後、聖火台に火を灯す役割を大坂なおみ選手が行いました。
大坂なおみ選手と言えば今や女子テニスのスーパースターです。
またNBAで活躍中の八村塁選手も選手団の旗手の一翼を担いましたね。
須崎優衣選手(女子レスリング)と代わる代わる国旗を持っていました。
活躍している若手選手が大役に起用されるのは良い事だと思います。
大坂選手は父親がハイチ人、母親が日本人。
八村選手は父親がベナン人、母親が日本人です。
彼らは日本国籍を持ち、日本人の親を持ち、また日本で生まれたり育ったりしました。
国と国籍がある以上は父母は〇〇人という表現は今は残りますが、今後はそうした区別さえも差別的と言われてしまいかねません。
ましてや五輪に限らずですが、肌の色で人をあれこれ言うのはもはや時代遅れでしょう。
しかし同時にこうも思いました。
これから日本は移民を受け入れていくというメッセージなのかもしれない、と。
だから肌の色の違う、たとえば日本人と外国人の子どもと学校や職場で一緒に過ごすことがあっても許容しようと。
まぁ、私の世代(40代)にはあまり肌の色でという感覚はないのですが、もしかしたら現在の50代以上の世代の中にはこの辺りに抵抗感がある人もいるかもしれません。
大坂なおみ選手が「あなたが受け取ったメッセージは?」と問うそれは、これからの日本と社会が世界に対して避けては通れない問題であるということなのでしょう。
誰かがこう言った。こう言っている。だから私もそう思う。
そんな時代は彼女が聖火ランナーの最終走者として選ばれたことで本当に終わって、これから始まるのではないでしょうか。
私は彼女を起用した人が誰かは知りませんが、政府(与党)系の人の周辺で今後の争点になりそうな少子高齢化問題に対して事実上の移民受け入れを進めていくための布石として選んだのではと予想しています。
(テニスの試合が翌日に控えていたのを順延してまでという点についてはもはやモノが言えませんが…。)
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