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ドイツリートの歌手たち

暑い毎日が続きますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか…。8月も下旬に入りました。コロナ禍で思うように動けず、ご自宅で過ごされている方も多いと思います。例年にも増して厳しい状況の夏ですが、音楽を聴くことが少しでも皆様の心の支えになれば…と思わずにはいられません。どうか残暑を健やかにお過ごしください。

さて、「とりのうた通信」4回目。今回は作品ではなく、演奏家についてのお話となります。これまでお伝えしてきたとおり、ドイツリートは多くの場合、ソロの歌手とピアニストによるデュオ(二重奏)の演奏スタイルですが、今回はそのうち「歌手」について、筆者なりの見解となりますが、代表的な方々を紹介してみたいと思います。

歌手の紹介に入る前に、基本のキとして一言…。ドイツリートなど歌曲を作る際、作曲家は当然ながらある特定の調で曲を書きます。これはもちろん音域の制約上、高声用(ソプラノやテノール向き)だったり、低声用(メゾソプラノ、アルト、バリトン、バス向き)だったりするわけですが、歌曲の世界では、作曲家が書いたオリジナルの調(原調)でしか演奏していけない、というわけでは決してありません。例えばシューベルトの曲はほとんど高声用がオリジナルですが、メゾソプラノやバリトンなど低声の歌手たちは、移調された低声用の楽譜を使います。その点が、オペラ&宗教曲のアリアや、主な器楽作品との基本的な違いでしょうか。歌曲の世界では当たり前のことなのですが、よくよく考えれば、移調して演奏してOK…なんて、他のクラシック音楽では基本やっていませんね。裏を返せば、原調がその作品の唯一の姿ではない、というこの点こそ、歌曲というジャンルの魅力ではないかと思います。例えばシューベルトの有名な〈鱒 Die Forelle〉D550 1曲をとっても、ソプラノで聴くのとバリトンで聴くのとでは、調も響き方も異なるので、まったく違った味わいで楽しめるのです。
(※もちろん中には、特定の声種のために書かれた歌曲もあります。また歌詞の内容から、性別上の向き不向きが生じる曲もあります。それでも、元来あまり性差にこだわりなく演奏することが歌曲では普通です。特に男性のセリフと思われる歌詞を女性歌手が歌うことなど、よくあります。)

さて、ドイツリートの代表的な歌手として、おそらく多くの方が筆頭に挙げるのは、ドイツのバリトン、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925-2012)でしょう。彼の残した膨大なレパートリーと、その緻密な解釈から生まれる名唱は、他の追随を許さないものと言えるでしょう。対する女声歌手としては、ドイツのソプラノ、エリーザベト・シュヴァルツコプフ(1915-2006)の名が挙げられるでしょうか。ドイツ語の響きを追求し、良くコントロールされた声で詩を細やかに歌い上げました。この二人は、20世紀のドイツリート界をリードした立役者と言って過言ではありません。

ただ筆者としては、ドイツリート初心者の方などに、この二人の歌唱をまず聴いてください…とお薦めするつもりは実はあまりありません。最初に申し上げたとおり、歌曲の魅力は様々な調で演奏されることであり、様々な声質で演奏されることなのです。声という楽器は、ひとつとして同じものはありません。あまり特定の歌手にこだわらず、一つの詩から生まれる多種多様な音の情景を楽しんで頂きたいのです。詩の解釈ひとつをとってみても色々ですから。そうしてたくさんの歌手の演奏を聴く中で、先ほどの二人を聴いてみると、「う~ん、なるほど…」と、より心に染みるものがあるのではないかと思います。この記事でお薦めする歌手についての情報も、あくまで参考程度に…。ご自身の耳で、お気に入りの歌手を見つけて楽しんで頂ければ幸いです。

シューベルトやシューマンの歌曲をまずは作曲家の書いた原調で聴きたい、ということであれば、テノールやソプラノの演奏がお薦めです。定評ある歌手でいえば、ドイツのペーター・シュライアー(1935-2019)、フリッツ・ヴンダーリヒ(1930-1966)は、美しいドイツ語とリリックな歌唱で、まさに双璧です。ソプラノではオランダのエリー・アーメリング(1933-)が、幅広いレパートリーを残しています。多くの歌手がオペラを歌いながらリートも歌うという中で、彼女は歌曲の演奏に専念し、ドイツ語に限らず多様な言語で温かみのある演奏を聴かせてくれます。また、特に古典的レパートリーでは、アメリカのソプラノ、アーリーン・オジェー(1939-1993)も数多くの録音を残しています。
(※ただし、シュライアーなどは原調の楽譜をさらに高く移調して歌っていたりもしますので、テノールだからといってすべて原調で歌っているとは限りません。彼に限らず、歌手は自分の声域の適正範囲で歌いたいものですから、しばしばその事情を優先して移調して歌います。ピアニストには、歌手の望みに応える移調演奏の心得も求められるわけです。)

同世代の同じ声種の歌手を比較して聴いても面白いですね。例えばフィッシャー=ディースカウに対し、同じバリトンのヘルマン・プライ(1929-1998)の歌唱、またシュヴァルツコプフに対し、同じソプラノのイルムガルト・ゼーフリート(1919-1988)の歌唱は、どちらかというと素朴でおおらかな気品があると言えるでしょうか。ゼーフリートの〈鱒 Die Forelle〉D550をどうぞ。

こうしたレジェンド歌手たちの後、1990年代あたりから活躍している世代としては、ソプラノでは、バーバラ・ボニー(1956- 米)、ルート・ツィーザク(1963- 独)、メゾソプラノでは、白井光子(1947- )、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(1955-   スウェーデン)、ベルナルダ・フィンク(1955- アルゼンチン)、テノールでは、クリストフ・プレガルディエン(1956- 独)、ヴェルナー・ギューラ(1964-  独)、バリトンでは、トーマス・ハンプソン(1955- 米)、ディートリヒ・ヘンシェル(1967-  独)、クリスティアン・ゲルハーヘル(1969- 独)など、優れたリートの歌い手だと思います。どちらかというと正統派といえるドイツ系(あるいはドイツ語圏内で教育を受けた)歌手に比べ、イギリス人歌手は個性的で、解釈にも自由な幅があるように思います。テノールのイアン・ボストリッジ(1964- 英)や、バリトンのサイモン・キーンリーサイド(1959- 英)は、美しいリリックの歌声もさることながら、理知的な解釈で説得力があります。筆者には、かつてウィーンで聴いたキーンリーサイドの〈冬の旅〉リサイタルのときの名唱が忘れられません。

近年のドイツリート界がまだ一段と喜ばしいのは、さらに若い世代から楽しみな逸材が次々と生まれていることです。2000年以降に活躍し始めた、現在20代後半から40代くらいの歌手たちが、従来の固定観念に縛られない自由で積極的な演奏活動を始めています。ソプラノでは、クリスティーナ・ランツハマー(1977- 独)、ユリア・クライター(1980- 独)、ハンナ・エリーザベト・ミュラー(1985-   独)、アンナ・ルチア・リヒター(1990- 独)など、いずれもドイツ系の美声ソプラノぞろい。それぞれに個性があり、聴き比べるのも楽しいです。メゾソプラノでは、オーストリア出身のミヒャエラ・ゼーリンガー。落ち着きある真っすぐな歌声が魅力的です。テノールでは、ユリアン・プレガルディエン(1984- 独)。彼は父クリストフと親子の共演での歌曲リサイタルも行っているほか、フォルテピアノやギターなど、モダンピアノ以外の伴奏楽器との共演にも積極的です。バリトンでは、ベンヤミン・アップル(1982- 独)、アンドレ・シュエン(1984- 伊)が、大変楽しみな逸材です。
ミヒャエラ・ゼーリンガーの歌うモーツァルト「夕べの想い」K523を。

アンドレ・シュエンによるマーラー「さすらう若人の歌」とシューベルト歌曲のミニ・ライブ(途中で映像が不自然に飛んでしまいますが、最近の彼の充実ぶりがわかる演奏なので、紹介します)。彼は伊語・独語のどちらにも長け、明るく風格ある声でなかなか大物の予感を感じさせます。

これら若手の歌曲リサイタルや録音では、選曲やプログラム構成などに従来の枠に縛られない自由なアイデアがあり、また伴奏楽器にも多様性があって、聴いていて非常に刺激的です。リートの未知なる可能性を感じさせます。また彼ら世代は、YouTubeその他のメディアでの配信などにも積極的ですし、(コロナ禍の現在は難しいにせよ)オペラやリサイタルでの来日にも前向きな姿勢でいますから、私たちにとっては身近に「リートの今!」に触れることができる存在です。従来からのリートファンの方には、ぜひこうしたニュー・ジェネレーションの演奏をどんどん聴いて、「リートとはこうしたもの」の殻を打ち破って楽しんで頂きたいと思います。

ドイツリートは過去の遺産にとどまらず、まさにいま現在進行形のジャンルです。特にリートにおけるピアノ、伴奏楽器は、いま大きなトピックです。
次回の「とりのうた通信」は、ピアニスト編をお届けします。

【今日のお薦め】ユリア・クライターは美声でスケールの大きなソプラノ。透明で豊かな、伸びやかな声で、シューベルトやリヒャルト・シュトラウスの歌曲にぴったりです。息の長いクライターの声と、ミヒャエル・ゲースの才気あふれるピアノから生まれる神秘的な「ドイツの森」の空間。輸入盤ですが、本のような装丁が素敵なCDで、詩集を広げるように、英訳つきの詩を読みながら聴けます。


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