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ドイツリートの形式って?その2

花々が芽吹き、春の訪れがここかしこに感じられるこの頃。風は柔らかになってきているけれど…今年もまた、なかなか心穏やかにはなれない春かもしれません。平凡な日常がどれほど大切なものかと思うとともに、ただただ、世界の安寧を願う気持ちでいっぱいです。

今回の「とりのうた通信」は、前回に続き、歌曲の形式について話を進めていきます。前回は、詩に対する作曲法として、有節形式と通作形式という2つの型があることをお話しました。今回はそれ以外のタイプで、実際にはかなり多くの歌曲で採用されている「変化有節形式」(あるいは「変奏有節形式」とも呼ばれる)について取り上げます。

それでは次の詩をご覧ください。

In einem Bächlein helle,
Da schoss in froher Eil’
Die launische Forelle
Vorüber wie ein Pfeil.
Ich stand an dem Gestade
Und sah in süsser Ruh’
Des muntern Fischleins Bade
Im klaren Bächlein zu.


Ein Fischer mit der Rute
Wohl an dem Ufer stand,
Und sah’s mit kaltem Blute
Wie sich das Fischlein wand.
So lang dem Wasser helle
So dacht’ ich, nicht gebricht,
So fängt er die Forelle
Mit seiner Angel nicht.


Doch endlich ward dem Diebe
Die Zeit zu lang.
Er macht das Bächlein tückisch trübe,
Und eh’ ich es gedacht
So zuckte seine Rute
Das Fischlein zappelt dran,
Und ich mit regem Blute
Sah die Betrog’ne an.

澄んだ小川で
きまぐれな鱒が
うきうきとして
矢のように通り過ぎた
私は岸辺にいて
穏やかな気持ちで眺めていた
元気な可愛い魚が
澄み切った小川を泳ぐのを

釣り竿を持った漁師が
岸辺に立っていた
そして冷ややかな心持ちで
可愛い魚の泳ぎを見ていた
私は思った
この水の透明さが失われない限り
鱒がよもや
漁師の竿にかかることはあるまいと

ところがついにこの盗人は
待ちきれなくなったのだ
彼は狡猾にも小川をかきまぜ濁らせて
そしてあっという間に
彼の竿が動いたと思ったら
その先っぽで可愛い魚がバタバタしてた
私は煮えたぎる思いで
欺かれた魚を見つめていた

この詩は、皆さまご存じ、シューベルトの歌曲〈Die Forelle 鱒〉D550で有名になりました。詩の作者はC.F.D.シュールト(1739-1791)。元々この詩にはもう1節続き(軽率に男にひっかからないように…という娘たちへの教訓)がありましたが、シューベルトはその部分を省き、上記の3節構造で作曲しています。

まさに、この歌とピアノの軽快でリズミカルな動きは、小川で泳ぐピチピチした鱒をイメージさせます。シューベルト自身が《ピアノ五重奏曲》D667の第4楽章にも引用し、ポピュラーになったこの旋律が、詩の第1節、第2節…と繰り返されるので、はじめは有節形式の歌曲のように聴こえますが、表情が変わるのは第3節です。漁師の取った行動が、それまでののどかな情景を一変させてしまう…この、第3節の1行目から音楽は短調になり、ピアノの音型は低音部で激しく動きだし、Das Fischlein zappelt dran(その先っぽで可愛い魚がバタバタしてた)の箇所まで、急速に展開するのです。そして、その後に再び元の旋律が戻ってきて、全体を閉じる…という形をとります。

変化有節形式というのは、このように有節形式の形をとどめながらも、詩の内容上の変化に音楽も臨機応変に対応する、いわば有節形式と通作形式の「いいとこ取り」のような形式です。これは実際のドイツリートの作曲においてシューベルト以降かなり多く取られている形式です。前回にもお伝えしたとおり、有節形式には「民謡」に由来する歌の本来の素朴さ、親しみやすさという長所があるので、歌曲としてその形態は保ちつつ、詩に含まれる劇的(あるいは繊細)な要素については機敏に音楽に反映させて、通作形式のような動的変化を付け加える…というわけです。なかなか上手い手法ではないでしょうか。

この変化有節形式は、詩の節構造の都合で生まれるというケースも多々あって、メンデルスゾーンの有名な〈歌の翼に Auf Flügeln des Gesanges〉Op.34-2などもその一例。全部で5節から成る詩構造のため、第1~2節を1番、第3~4節を2番、そして第5節を3番とし、当然短い3番だけが一部変形された節回しとなって、美しいクライマックスを作ります。この最後の部分はドイツリート史上、類を見ない美しさだと思うのですが、その鍵はこの変化有節形式という形を取っていることなのです。(〈歌の翼に〉については、「とりのうた通信」2020年7月配信の「蓮の花と月」の回で、詳しく解説しておりますので、ご参照ください。)

同じシューベルトで、次の例を見てみましょう。

Still sitz’ ich an des Hügels Hang,
Der Himmel ist so klar,
Das Lüftchen spielt im grünen Tal.
Wo ich beim ersten Frühlingsstrahl
Einst,ach so glücklich war.

Wo ich an ihrer Seite ging
So traulich und so nah,
Und tief im dunklen Felsenquell
Den schönen Himmel blau und hell
Und sie im Himmel sah.

Sieh,wie der bunte Frühling schon
Aus Knosp’ und Blüte blickt!
Nicht alle Blüten sind mir gleich,
Am liebsten pflückt ich von dem Zweig,
Von welchem sie gepflückt!

Denn alles ist wie damals noch,
Die Blumen,das Gefild;
Die Sonne scheint nicht minder hell,
Nicht minder freundlich schwimmt im Quell
Das blaue Himmelsbild.

Es wandeln nur sich Will und Wahn,
Es wechseln Lust und Streit,
Vorüber flieht der Liebe Glück,
Und nur die Liebe bleibt zurück,
Die Lieb und ach,das Leid.

O wär ich doch ein Vöglein nur
Dort an dem Wiesenhang
Dann blieb ich auf den Zweigen hier,
Und säng ein süßes Lied von ihr,
Den ganzen Sommer lang.

僕は丘の斜面にそっと腰を下ろしている
空は澄みわたり
緑の谷間には風がそよぐ
ここで僕は早春の日差しのもと
ああ あの頃とても幸せだったのだ

ここで僕は彼女と並んで歩いた
とても心地よく 仲よく
暗い岩底の深い泉のなかに
青く明るい青空が見え
空のなかに 彼女が見えた

ほら もう色とりどりの春が
つぼみや花々から のぞいている
どの花も僕にとっては同じでなく
一番のお気に入りを僕は枝から摘んだ
彼女が摘んだのと同じ枝から

まだすべてがあの頃のまま
花々も 野原も
太陽は 同じように明るく輝き
泉には 同じように親しげに
青空の像が泳いでいる

ただ 意志と幻想は移り変わる
意欲が争いに入れ替わり
愛の幸福は過ぎ去っていき
ただ愛だけが残る
愛と ああ苦しみが

おお 僕がせめて
あの草原の斜面にいる鳥だったなら
そこの枝の上にとまって
彼女を想い 甘い歌を
夏の間じゅう歌うのに

これはシューベルト晩年期の名歌曲〈春にIm Frühling 〉D882の詩です。詩はE.シュルツェ(1789-1817)作。ある春の日、丘の斜面に座って、過去の恋を思い返す男の歌。春の明るさと心の底にある失意の対比が切ない歌です。全6節から成るこの詩に、シューベルトはどう曲づけしたでしょうか。先に解説してしまいますと、シューベルトは、第1~2節を1番、第3~4節を2番、第5節を3番、第6節を4番…とする音楽構造を構築して、詩の内容上、苦しみの度合いが大きくなる第5節(=3番)のみ、短調に転調して、心の底にある感情を歌い手に吐き出させるのです。つまりこれも変化有節形式なのですが、この作品で大事なのはピアノの役割です。ピアノに注目して聴いてみれば一目瞭然、これは一種のピアノ変奏曲のような形をとっています。1番がいわば提示部にあたるような部分で、そこから第1変奏、第2変奏…というふうにして、4番にあたる最後の節に至るまで、ピアノの音型が変奏し続けるのです。この曲では、確かに「変有節形式」という言い方のほうが的を得ているとも思われますが…。ともかく歌い手のみならずピアニストからも大変人気のあるこの曲。歌曲作曲家&器楽作曲家として成熟した晩年のシューベルトならではの作品だと思います。

さて、このシューベルトの例と同じように、ピアノパートを変奏曲のように変化させることによって、有節形式の歌曲に変化の味わいを与えることを好んだ代表的作曲家はブラームスです。彼は、ヴァーグナー全盛期の19世紀後半においても、素朴な「民謡」こそ歌曲の理想の姿だと唱えました。もちろんブラームスが通作形式の手法を受け入れなかったわけではありませんが、基本的には変化有節形式に近い型で作曲することがほとんど。また自作リートのうち、彼みずから最も気に入っていたのは〈甲斐なきセレナーデ Vergebliches Ständchen〉Op.84-4でした。まずはこの詩を見てみましょう。

Guten Abend,mein Schatz,
guten Abend,mein Kind!
Ich komm' aus Lieb' zu dir,
Ach,mach' mir auf die Tür,
mach' mir auf die Tür!

Meine Tür ist verschlossen,
Ich laß dich nicht ein;
Mutter,die rät' mir klug,
Wär'st du herein mit Fug,
Wär's mit mir vorbei!

So kalt ist die Nacht,
so eisig der Wind,
Daß mir das Herz erfriert,
Mein' Lieb' erlöschen wird;
Öffne mir,mein Kind!

Löschet dein' Lieb';
lass' sie löschen nur!
Löschet sie immerzu,
Geh' heim zu Bett,zur Ruh'!
Gute Nacht,mein Knab'!

こんばんは、恋人よ!
こんばんは、かわいい君!
君が恋しくてやって来たんだ
ああ、ドアを開けておくれ
僕のために開けておくれよ!

このドアは鍵をかけているの
あなたを入れてはあげない
お母さんが私に忠告するのよ
あなたが当然のように中に入ったら
私とはもうおしまいだって!

夜はひどく寒いし
風は氷のようだから
もう僕の心は凍えてるよ
僕の愛も消えそうだ
ねえお願い、開けておくれよ!

愛が消えるというなら
もう消してしまいなさい!
ずっと消えてしまうなら
家へ帰ってベットに入りなさい!
おやすみなさい、坊や!

これは男女の会話で構成される典型的な民謡詩ですが、夜訪れてきた恋人の男性に対して、女性のほうはずいぶんと冷たいようですね。でもシンプルなだけに、これをどう演じるか…味つけによって、いくらでも感情の幅を表現できそう。これをブラームスがどのように曲づけしているか…、もう特に解説はいらないでしょう。聴いてみましょう。

これも先ほどのシューベルト〈春にIm Frühling 〉にきわめてよく似て、ピアノ変奏曲ふうで確固たる形式感を持ちます。いかにもブラームスだなあと感じさせる曲です。短調に変化したのは、冷たい風に凍える第3節でした。そこから最終第4節のクライマックスも実にチャーミング!器楽的構造でありながらも、歌詞の内容と見事にマッチした音楽化であることに、本当に感心させられます。この作品を男女二人の歌手で歌い分ける演奏例も実際まれにあるようですが、通常は一人の歌手によって男女のセリフを歌い分けますので、歌手の表現力の幅を楽しむことができますし、まさにリートの醍醐味を味わえる名曲ですね。ブラームス自身が愛してやまなかったのも、うなずける気がします。

なお、ブラームスが19世紀後半において「民謡」の理想を声高に唱えたのも、それだけ当時の歌曲の作曲法が通作形式に大きく傾いていっていたこと、それに対してブラームスが危機感を抱いていたことの証でもあります。交響曲や室内楽で見せたのと同様、古典的形式感を重んじた彼の基本姿勢です。そのブラームスに対して、より進歩的なヴァーグナー派陣営から辛辣な批評を行い、歌曲の作曲においても真向から反対する立場をとったのが、フーゴー・ヴォルフ(1860-1903)です。ドイツリート史上、最強の(最も強烈な個性の…と言ったらいいでしょうか…)作曲家とも言っていいヴォルフについてはあまりにも書くべきことが多い。言語化が難しいのですが、書きたいと思っています。回を改めて取り上げます。

まだ歌曲の形式については、いくらでも話が続きそう…。「その3」でまたお会いしましょう。そして蛇足ですが…、前回「とりのうた通信」で取り上げたモーツァルトの〈すみれ Das Veilchen〉K476 と、今回取り上げたシューベルトの〈春にIm Frühling 〉D882、この両作品を4月の東京 成城でのコンサートで筆者は歌う予定です。ピアノ伴奏はウィーン式のフォルテピアノ(1830年代ゾイフェルト&ザイトラー社製スクエアピアノ)による…というのも魅力。ご興味のある方、お近くの方はぜひいらしてください。お待ちしております!

(本文中の訳詞は筆者訳による。無断転載はご遠慮下さいませ。)

【今日のお薦め】ブラームス歌曲の決定盤。歌曲集《ジプシーの歌》Op. 103をはじめ、〈甲斐なきセレナーデ〉Op.84-4はもちろん、代表的歌曲の多くを含む。ヴィオラを加えた名作2曲( Op. 91)が入っているのは魅力的。メゾソプラノ歌手オッターの知的かつ艶やかな歌唱に加え、フォシュベリのピアノが見事なリードで全体を引き締め、冒頭から聴き手の心をつかんで離さない。リート演奏を志すピアニストの方にも一聴をお薦めしたい。ドイツリートはもちろん、ブラームスが好きになるアルバムだ。


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