見出し画像

そんな風に考えていた時が私にもありました

ニート生活してえ〜〜〜〜!!!!(出オチ)

今回のnote、タイトルのおかげで何言っても許されるような誤魔化せるような感じしませんか??(しません)

いきなりハイテンションで失礼しました。ぐりーんです。昨年も今年もミク誕にはnote出さなかったくせに、鏡音誕にはnoteを出しにきています。リンレンおめでとう🎉(次のミク誕は何かしたい。理想は曲を書いてくることなんですけど…!)

今年はリンレンが二人で歌ってる曲の中で特に好きな曲の一つについて語ろうかなって思います。鏡音誕に際してvocanoterたちの間で企画をやっているようなので、テーマだだ被りみたいなことになった方がいたら本当にごめんなさいと先に謝罪しておきます!

HAKOBAKO PLAYER

アゴアニキさんの処女作です。これが処女作って本当にセンスの塊だよなあ。

この曲、同好会でも好きな先輩がいて、推してもらったりしてたんですが、僕がはっきりとこの曲が好きってなったのは1年前のことでした。

そう、TOKOTOKO(西沢さんP)のカバーです。格子の心臓、君色に染まる、四角い地球を(ryなどなど、過去にもざわその曲をvocanoteでは多々取り上げていますが、やっぱり氏のアレンジとか調声とか好きなんだろうなあと改めて感じます。

そこから原曲に立ち返りまして、歌詞読んで、曲たくさん聴き返して、おおいい曲だ刺さる曲だ…って。僕はヒッキーでもニートでもない…と思うんですけど、心境として『ハコ』の中に閉じこもりたくなる時ってありますよね。…ありませんか?

『ハコ』と躁鬱感

『ハコ』と申しましても色々ありまして、例えばバンドマンやクラバーにとってはライブハウスをハコと表現するのは珍しいことではないと思います。

この曲については、"ヒッキーニートの歌"とアゴアニキが明言してるため、多くの人は"わたしのおうち"…つまり"自宅"を思い浮かべると思うのですが、必ずしも引きこもる先がそうであるとは限らないことを踏まえた上で、比喩的かつより広汎な表現であるハコというのは言い得て妙だと思うわけです。

もう一つ。この曲の歌詞を読んでいると、形あるハコではなく、"心のハコ"に閉じこもってしまうというような捉え方ができると思います。

周りの声が聞こえないように 自分をギュッと抱いて目を閉じた

もうハコの中から手を伸ばす ちょっとの気持ちもなくなった

こういう捉え方になると、必ずしもそれはヒッキーニートだけを指す歌ではなくなるわけです。

というよりは、多くの皆さんは改めて考えるまでもなくこちら側の解釈を組み込んで曲を聴いているんじゃないかなと思います。僕を含め。こういう意味でも、そう考えさせられる『ハコ』というシンプルな表現の秀逸さを改めて感じます。

そして、『HAKOBAKO PLAYER』というちょっと茶化したタイトルと、今ではお馴染みのどこか腑抜けた雰囲気がクセになるアゴアニキ's ドット絵と、爽やかなギターに軽快なリズムと、そして後述の適度に力強く、しかし必要以上には心に踏み込んでこないボーカルが、ちょっと強いメッセージ性を持つリリックと中和して軽やかな躁鬱感を表現します。これを処女作でやってのけるんだからすごい。

鏡音の歌声、不思議です

"ボカロの声には感情がない"という、一見すると当たり前な、でもファンからすると憤りを覚えるような、比較的ありふれた言説はこれを読んでくださる皆さんなら一度は目にしていることと思います。

例えばこれに対する反論として"作り手の感情がある"という意見があると思いますが、それはあって然るべきだし、僕もそう思う節はあります。

そしてこれもありふれた解答になってしまいかねないんですけど、"歌声に感情がない"ことは必ずしも悪いことではないんじゃないかと思います。

この歌声に表現される感情の有無や、それによる聴衆の心の動きを心理学的に検証して取り扱うのが僕の卒論のテーマの一部(予定)だったりするんですが…それはまたの機会に話せれば。

今回したい話は、"歌声に感情がない"ことを一旦受容した上で、それが適度な距離感を生むという考え方もあるんじゃないかなという話です。この手の話や意見が苦手な人にはごめんなさい。

『HAKOBAKO PLAYER』の歌詞、もといアゴアニキ楽曲の歌詞は高いメッセージ性が魅力の一つだと思うんですけど、これを人が歌うとなれば、そこに主観的な表現というのは多かれ少なかれ入ると思うんです。別にそれが良い、悪いという話ではありません。僕は歌ってみたも好きで聴いている身ですから、歌声それ自体に優劣や善悪を付ける気は断じてありません。ご本家が創作の原点として尊重されるべきであるのはそうとして、その上でどちらにも魅力があると思います。

さて、その人間の情操表現と、強いメッセージ性が組み合わさると、時として、あるいは聴き手によっては、くどさを感じる場合があるのではないか、というのが僕の考えです。しかし、同時にボカロの歌声だとメッセージが入ってこないという意見も出てもおかしくないだろうな、とも思います。

今でこそその障壁は薄くなりつつありますが、当時はまだVOCALOID2の時代なので、ボカロがあたかも感情を持っているかのような歌声を作り手が表現するのは今の比ではなく難しかったでしょう。

しかし、薄く、軽くなりがちな歌声を、力強く放てるボーカリストがボカロにもいた、その最たる例こそが、"鏡音"なんじゃないかと思うわけです。

鏡音の歌声の魅力については過去にもnoteに書いています。

パワフル。重みのある声。なのでメッセージ性の強い曲を、適度に力強く歌い上げてくれる鏡音の歌声は、そのメッセージと共に印象に残るような感じがします。これは他の子たちにはなかったであろう鏡音の魅力だなあと。

あとは、彼らが14歳、多感な思春期の少年少女の様相を呈しているのも大きいと思います。なんとなく鏡音絡みは、感情が豊かに表現された曲やイラストが多いように感じますが、上記のこととは無関係じゃないのかもしれません。リスナーを取り込む、彼らだけの不思議な魅力があるように感じてなりません。好きだ、鏡音。

コタツは今日も暖かい

北海道には、今週末にかけて大寒波が襲い来るらしいです。僕は家に、もっと言うなら暖かいコタツという『ハコ』に収まってのほほ〜んと冬休みを送りたいと思います。

というのは4割くらい冗談ですが、今年も鏡音誕のnoteを書いているということは年の瀬なんだなあと思います。昨年ほど年末感がなくて驚くばかり。

隙自語というやつですが、今年は上半期にはnoteいっぱい書いたり、VOCALOIDと歌ってみたデビューしてみたり、同好会でファンメイドライブやったり、DJも挑んでみたり、下半期にはオリジナル曲を出したり、初めてのマジカルミライに行って皆さんともお会いできたり、同好会でボカロのローカルイベント開いてみたり、コミケのアンソロに寄稿させていただいたり…改めて疾風怒濤の日々を過ごさせていただきました。

来年の予定はいろいろ未定で、まずは就活と卒論との激闘が待っています。創作も細長〜く続けていきたいですが、見通しがなさすぎるのでのんびりやります。新曲出せたら是非聴いてください。もともと年内と告知していた1つは少なくとも来年上がるだろうと思いますので。

あと、東京にはまた何かしらのイベントにかこつけて参加したいな〜とは思っているのでその際にはよろしくお願いします!雪ミクも行くんで、いらっしゃる方いたらそちらもよろしくです!

noteも時々ふらっと戻ってきて好きに書き殴りたいんでよろしくお願いします!のべ3万ビュー到達していたようで嬉しいです!ありがたや!

っていろいろ抱負語ったけど今このnoteのタイトル見に戻るんじゃねえぞ!フラグ立ってるみたいになるじゃねえか!ちゃんとやるからな!たぶん!

とまあオチを付けれたと思うので(?)こんなところで!ぐりーんでした、来年もよろしくね!よいお年を!

#26 .【一応鏡音誕2018】HAKOBAKO PLAYER【曲紹介・感想】

#vocanote #曲紹介 #感想 #音楽 #music









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?