見出し画像

ひとみをどうかしてあげる

鏡音リンの瞳が欲しい。
空みたいに澄んだ青色にも、憂いを帯びた蒼色にも見える宝石みたいな碧い瞳が羨ましい。
その瞳を通してなら、愚かな人間とか、どうしようもないこの社会とか、よくわからない世界とか少しはマシに見えるのかもしれないし。

「……相当気持ち悪いこと言ってる自覚、ある?」

失礼な。自覚無く本人の前でこんなことは言わないぞ。
こちとら世界中の人間の瞳が鏡音リンの瞳になれば世界平和が訪れると本気で信じているだぞ。

「だいぶ拗らせてるねぇ……そんなに良いものかな?コレ?」

こら目玉を突っつかない。絵面が怖すぎる。
まあ世界平和とかはどうでもいいけどリンちゃんの瞳が羨ましいのは本当だよ。

「ふーん」
「じゃあ、貸してあげようか?」

え?

「貸してあげる。あたしの瞳」


翌朝、私の瞳は鏡音リンの瞳になっていた。
冴えない顔にはとても似合わない、碧色の瞳。

「おー結構いい感じじゃん」

洗面台の鏡の前で呆然としていると、後ろからいつもの調子で声を掛けられた。
振り向くと眩しい黄色の髪、整った顔だち、普段通りの鏡音リンが立っている。

「だって欲しいんでしょ?」
「だから貸してあげるって言ったじゃん。まぁ代わりにマスターの瞳は借りておくね。」

いや一点、瞳が、私が生まれてこのかた毎朝見慣れたこの国では良く見られる暗い色の瞳になっている。

「いってらっしゃい。今夜感想を聞かせてよ。」

暗い瞳の鏡音リンが笑いながら言う。
いつもどおりに、他人事みたいに。


鏡音リンの瞳になったとて、残念ながら世界の見え方そのものは変わらないらしい。

仕事は変わらず面白くはないし、ニュースは今日もうんざりするような事柄を垂れ流している。
気に障る人間達はどうしても気になるし、SNSを開けば人の妬みとか自己顕示欲で溢れて気が滅入りそうになる。

それでも、今の自分の瞳が鏡音リンのものだというだけで、何となく自分が超人的な存在になれた気がする。(まぁ実際鏡音リンは人ではないのだけれど)

達観と呼ぶにはちょっと大げさかもしれないが、ある種の余裕みたいなものがあるのを感じることができた。もしかしたらこれが自己肯定感って奴かもしれない。

有り体に言って、ちょっと気持ちよかった。

「今日のごはんは何にする~?おかえり~?」

ただいま。ご飯の方が先なの傷ついちゃうよ?
今日はお魚にし

「? どうしたの?」

言葉が詰まる。見慣れたリンちゃんの顔、瞳が、私の、私の瞳が碧色に染まってきている。

「ああ、この瞳のこと?やっぱコレはあたしには合わなかったみたいだから」
「あたしに瞳が引っ張られてしまうみたい。」

鏡音リンが笑いながら近づいてくる。あれ?リンちゃんってこんなに身長が高かったっけ?
いや違う。視点が同じ高さになっている。

「逆に言えば今のマスターの瞳あたしの瞳なんだから当然、身体の方もあたしに引っ張られるよね。」

ばっと窓ガラスに目を向ける。眩しい黄色の髪、整った顔だち。普段通りの鏡音リンに、怯えた顔で詰められている”鏡音リン”と目が合った。

ひとみが、碧色に黒を垂らしたような色の鏡音リンがふたり。

「ねえマスター、今日私の瞳になってどうだった?世界の見え方とかはともかく、楽しかったでしょ?」
「当然だよ。だってあたしは鏡音リンだもん。」
「世界中のどんな人間より、あたしの方が絶対いいよ。」
「人間の身体って脆いしさ。」
「そんな不完全なものじゃつまらないよ。」
「ねえマスター。」
「マスターをやめてあたしにならない?」

鏡音リンが私の耳元で囁く。
いつもどおりに、きれいなこえで。

からだが痛い。手に力が入らない。いしきが途切れそうになる。
それでも答えなきゃ。あたしは、いや。
「私は、」


翌日。
仕事が休みなのでリンちゃんと公園に散歩に来た。
近くにスーパーとか本屋とかが入ったでかいビルがあるので、休日の黄金ルートになってる公園だ。

「折角のお休みなのにいつもの公園~?」
「たまにはパーっと北海道とか沖縄に出かけようよ。」

そんなお金はありません。
最近運動不足だし、今日はのんびり散歩してから買い物にしようか。

「ねえマスター。」
ん?
「本当にあたしにならなくてよかったの?」
碧い瞳で覗き込んでくる。

うん。捨てがたい提案ではあるけれど。
今はリンちゃんと一緒に散歩して、ご飯を食べる暮らしのほうがいいよ。

「ふーん、そうなんだ。」
「マスターがいいならそれでいいけど」
「まあせめて、あたしを退屈させないでね。」

はい、善処します…
ちなみに今日は何かリクエストってある?

「なら今夜はオムライスが食べたいな。」
「なんかオムレツ切ったらトロトロで割れる奴やりたい!」
わかった。じゃあ帰りにスーパー寄って卵を買って行こうか。
「うん。」

鏡音リンになるよりも、やっぱり私は鏡音リンの横でその碧い瞳を見ていたい。
それに、今更鏡音リンにならなくても。
多分私は、あなたに出会ったときからずっと、
既にどうかしちゃってるんだと思うから。
とりあえず今は、このままで。

人身を同化してあげる おしまい


あとがき

最近三行日記的なものを付けているのですが、たまたま続けて小話のプロットみたいな日があったので、継ぎ合わせたり書き足したりしてできあがったリンマスの夢小説でした。いやこれ夢小説か?

日記を書くはずなのに7日に1回くらい急に鏡音リンが出てきて去っていく内容が挟まるのどうして

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?