カタカムナとの出逢いーその4

中に通されると、そこは落ち着きのある広い西洋風リビングだった。
私は長年にわたる訪問家庭教師の経験で、自分が入った家の様子からその家に住む人のアタマの中の様子を観察しようとする癖がある。
家具、書棚、絵画、彫刻、植物・・・・。こうした物はその家に住む人の有り様を示唆する。『徒然草』第10段に、「大方は家居にこそ、ことざまはおしはからるれ」とあるが、うるさい調度が一切なく、しかもものを書いたり考えたりするのに理想的な空間。奥の方に掛かる静物画や台の上にある美術品も部屋の雰囲気と一体化していて隙がない。密かに以前に訪問したワイマールのゲーテハウスを想像したが、まだこの時は宇野先生がゲーテ研究家でもあられることは知らなかった。とにかくそこは「波動に満ちている」としか言いようがないところだった。
―あなたはどちらの方ですか?
「東京中野です。ずっとそこで育って大学も都内の大学を卒業しました」
―何をしている方ですか?
「個人指導の家庭教師です。傍で文章を書いています」
―何を教えていらっしゃるのですか?
「なんでも教えます。一応中高大受験のプロということになっていますが、主として国語を指導しています。今日は実はそのことでお許しをお願いしたいことがあるので参上させていただきました。実は小生現在カタカムナの音読を生徒に教えているのですが、今回西荻窪のナワプラサード書店で、カタカムナ音読会を開催したところ大変大勢の方が集まりまして、これをこのまま続けていくとなれば、一度本家の先生にご挨拶に伺って、そのお許しを得なければならないと思ったのです」
―カタカムナの音読ですか?やってみてください
「今ですか」
―そうです
「では、ヒフミヨイ マワリテメグル ムナヤコト アウノスベシレ カタチサキ ソラニモロケセ ユウェヌオヲ ハエツウィネホン カタカムナ」
―う〜ん速いのねえ。もっとゆっくりかと思いました。で、それを子どもたちに・・・・」
「そうです。カタカムナを一音一音切って歌うように読ませるのです。そうすると、それを起点に驚くぐらい子どもたちの国語力が上がっていくのです」
―それは簡単に想像できることだと思います。実は既に、あなたの講演を聞いて本が欲しいと連絡してきた人が何人かいるのです
「それは、僕は音読の専門家ですが、カタカムナや相似象の研究家ではないので、詳しいことが知りたい人は、相似象学会に聞いてくださいと言っているからです。勝手なこと言ってすいません」
―いいんですよ。でも、カタカムナの音読というのはあなたが初めてであることは確かなんですよ。
「これを続けてもいいですか?」
「もちろん構いませんよ。カタカムナは私のものではありません。日本民族全体のものです。誰が学ぼうが研究しようがそれは自由です。でも、軸=本線を外れる人が多いことも事実です。あなたも気をつけてください」
「わかりました」
―ところであなたは相似象には関心がないのですか?
「もちろんあります。でも今はやっていることが手一杯で、その時間がありません。いずれその時が来たらよろしくお願いします」
こうして晴れて本家にカタカムナ音読を実践し続けるお許しを得ることができたわけである。
以上は20年余り前の古い記憶を辿って書いたものなので、必ずしも上記通りではないかもしれないし、またそこにはもっと多くの会話があったはずであるが、残念ながら正確には思い出せない。しかし、概ねそのように、あっさりとご許可をいただいたのは事実なのである。後にこのことを、宇野先生を知る人に話すと、宇野先生が初対面の人にそうした優しい態度を取ることは信じられないとのことだった。しかし、何がその理由かは分からなかった。
また、正直に言うと、限りなく無神論に近い哲学人である自分も、それまでややカタカムナを怪しく思うところがないでもなかった。しかし、宇野先生が高い理性と鋭い感性を共有する次元の高い「マトモ」な方であることが分かったので、その心配も払拭された。
そしてやはりカタカムナは日本語の大本であると思われた。
この道は険しいとした判断はある意味で正しかった。カタカムナの研究は他の人に任せて、その音読を行うことだけに専念すること、そしてそのことでかえって本道から外れないことが可能になるとも考えた。

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