見出し画像

ミュージシャン視点で見るアノ音のハナシ✨

 音を創る職業であるミュージシャンにとって、楽器の音のみならず、世の中の全ての音に関心がある、と言っても過言ではないでしょう。

何せ、どうやったら素敵な音が出るだろうか?とか、面白い音を出すためには、、などと日々アレコレ試行錯誤しながら生きているワケですから。

しかし、どんなに頑張ってもコレを超える事は出来ないな、と思う音がございます。

それは、、、ヒトの中から自然発生的に出てくる音。 

オナラとか、イビキとか、空腹時のお腹の音など😂

なんでこうも可笑しくて可愛くて愛しい響きなのでしょうか。。。😂😂😂

しかも、凄まじくアテンションが強いときたものだから、もうお手上げです。


母が若い頃の事。
勤めていた小さな会社の社長が危篤だというので、その後のお通夜やお葬式といった業務的な事をサポートして欲しいからと、社長の奥さんに呼び出され、社長の親戚の集まる病室に同席した事があったとか。。
社長がいよいよお亡くなりになった、とお医者様が仰った後、皆がシクシク泣く声が段々と高まり始めたその時、親戚の誰かが我慢できなかったのかプス〜と、オナラをしてしまい、ベッドの周りでワーワー泣いていた人々がその瞬間ピタッと泣くのをやめて、音の出所の方向を一斉に向いた、というのです。

どれだけ深い深い悩みの中にある時でも、重い重い現実を突き付けられて、どうしようもなくズドーンと落ち込んでる時でも、プ〜、とかプスーッとか、そんな何とも間抜けな音が鳴ったら、ハッとして我に帰るというか、何と言うのか、ある種の破調というのかも知れないけれど、その瞬間は悲しみや悩みはサッと消し飛んでしまうのではないでしょうか。

お笑いコントみたいなハナシだけど、これはれっきとした実話で、会社の実名を挙げるとプライバシーの問題があるから敢えて伏せさせて頂きます(笑)。

で、その後、そのオナラをした人はどうなったの?!泣くのをやめた人たちはその後どうなったの?!と、思わず母に聞き返してしまったのですが、オナラの主は申し訳なさから消え入るように『ごめんやす、、』と言ったらしく、奥さんが『こんな時に、ホンマ、もー、、スミマセン💦』みたいなフォローを入れたらしいのですが、場が場なだけに誰も笑うに笑えず、かといって派手に泣きに戻る事も出来ず、涙と笑いの綱引きはほぼ引き分けになり、シクシク泣く人も無かったわけではないけれど、なんともモワッとした時間が流れた後、どなたかが、口火を切り故人を偲ぶような話題になったそうです。

故人のお人柄が大らかで楽しい方だったというのもあってか、親戚の方々もオナラ事件にピリつく事もなく、極々自然な時間だったというのに、何となく納得してしまいました。

悲しくなり過ぎないように、神様がくれたプレゼントなんじゃないか、と母は笑っていましたが、居合わせたその瞬間はかなりの衝撃だったようで、かなり昔の事なのに、その時の事はハッキリと覚えているようでした。

その音が恥ずかしい音だとか、人前で出してしまったら大事件だ、というのは社会的生き物としてのヒトの都合で、そういうのが全くない幼児などは、自分のオナラの音に不思議そうな顔をしたり、ビックリしたり笑ったりと、自由な感想を持つものです。

逆にこの世に出て来た音の立場に立って考えたらば、悪気なく生まれて来たのに、関心を持たれつつも、やっぱり敬遠されて、歓迎されてるのか居ないのかなんなんだろう僕って、、と思っているかも知れません。オナラに気持ちがあるならば、ですが😆

画像1

江戸時代には放屁合戦があったとか。

オナラ(括約筋)を自在に操り、笛のようにオナラで音楽を奏でるミュージシャンも居た、というのだから、なんとも大らかで眩しい事です😂✨✨✨

愉しさとして愛しく迎えてあげたいヒトから出る音たち。

生きてるんですよね、ワタシタチ✨✨✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?