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大学卒業3日前に無人島に行った理由
みなさん、こんにちは。はじめまして。
そしてこの文章を読んでいただき、ありがとうございます。
京都の大学を卒業し、2021年4月から新社会人になるKyoheiと申します。
私は卒業2週間前に友ヶ島という無人島へ行きました。
無人島と言っても、キャンプ場やお手洗いがあるなど、比較的観光地化されているところです。
1泊2日という短い期間でしたが、今の自分にとって意義のある時間でした。
自分の思いを形にして残すこと、それによって誰かの変化や気付きにつながるならと、恐縮ですがこの文章を紡ぎました。
どうぞお付き合いください。
1.無人島へ行ったきっかけ
無人島生活の目的 〜僕たちは本当に感謝できているのか〜
無人島上陸の目的は以下の通りです。
何も無い無人島にて“快適の対極“を味わうことで、自分たちの環境が当たり前でないことを実感し、自分が今生きていることに心の底から感謝できる人間に変化すること。
なぜこのように目的を設定したのか、そのきっかけを次に述べます。
その目的を得たきっかけ 〜人間らしさ・便利さへの懐疑・人との出会い〜
この目的を設定したきっかけは3つあります。
①インターンシップ
1つ目は、とある会社(以下株式会社Pとします)のインターンシップに参加した経験です。その会社は主に人材紹介・人材派遣の事業を手掛け、地方創生事業にも取り組んでいる企業です。
就活中だった私は、その企業の早期選考の切符を手に入れるべく夏期インターンシップに臨みました。ただ、そのインターンシップは特殊で、とある島で1泊2日住み込みで農業を経験するというものでした。しかも、それは株式会社Pのグループ会社(以下株式会社Tとします)が行っている事業でした。
「自分は人材業界を志望しているのに、なんで農業なんてしないといけないのか...」
そんなことを思いながら、京都の5畳半の部屋で準備を進めました。
インターンシップ当日。他大学の学生とアイスブレイクとグループワークを終わらせ、ついに畑へ。炎天下の中、土を移動させたり薪割りをしたり、気づけば皆汗だくでした。
久しぶりに体を動かしたということで、気持ちは良かったのですが、この農業の意味についてあまり理解はできませんでした。
そのインターンシップから1ヶ月後、株式会社Pから、株式会社Tが手掛けるイベント参加の募集がかかりました。農業インターンシップの意味がわからなかった私は、好奇心そして選考に有利に進むかもしれないという下心のようなものもあり、ひとまず参加申込みを行いました。その結果、参加が決定しました。
早速参加し、朝から晩まで2泊3日の農作業。これまた炎天下の中、土を運び、シャベルでウッドチップを掘り起こし、ユンボを使いこなし、休憩してはまた畑へ...。その間、これは何の意味があるのかずっと考えていました。
しかし、それを続けるうちに、あることに気づきました。
心地よい風の流れ、燦々と降りそそぐ陽の光、山の緑、海の青、久しぶりに触る土の感触、触ったことによる手の汚れ、汗をかく気持ちよさとその後の不快感、人との会話と笑い声。
その畑には、心地よさや汚さ、快や不快、楽しさや大変さといった感情のようなものが溢れていたんです。
こういったことは今まで全く味わったことがありませんでした。いや、というより過去味わったことはあるがもう忘れてしまい、非日常になってしまった感情。
その畑での農作業を通して、そういった感情を、どストレートに、何のノイズもなく、まっすぐに感じることができたのです。言葉に言い表すことのできない、なんとも言えないものでした。
私たちが生きている現代には、沢山楽しいことがあります(もちろん悲しいことも)。おしゃれなカフェ巡りだったり、スマホのソシャゲーだったり、飲み会だったり、カラオケだったり。お金さえあれば、程度こそあれ何でも楽しめます。便利・快適・満足です。
ただ、農業を経験した私には、そういった楽しみはどこかバイアスがかったもののように思えました。楽しみも悲しさも、綺麗さも汚さも、快も不快も本当はダイレクトにどストレートにまっすぐ感じることができる。
しかし、あまりにも便利で快適で満足感を享受できる世の中になってしまったことで、どストレートに感情を感じることができなくなってしまった。便利で快適な楽しさは、誰かが作り、発展した技術によってもたらされた、ちょっと複雑なものだから。沢山の人間やテクノロジーによってもたらされた楽しさ、私には少し複雑に感じます。
私たち現代人は、便利・快適・満足という鎧のようなもので身を固め、その内側にある本来の人間性・人間らしさに気づくことが難しくなってしまった。これが今の現代人の姿なのかなと私には感じました。
株式会社Pのインターンシップ、そして株式会社Tのイベント。これらを通して、このような現代でも、いやだからこそ人間性の獲得や本来の人間らしさへの気付きは必要だと、感じました。
②Stay home
2020年の4月頃からでしょうか。Stay homeということで外出自粛が叫ばれていました。
私も同様スーパーマーケットへの買い出しとアルバイト以外、全く外出することはなく家でまったりと読書をしていました。
そこでの気づきが無人島へ行くきっかけの1つとなりました。
Stay homeで感じたこと。
「家での生活、めちゃくちゃ快適じゃん」
家の中にいても、沢山問題が生じます。例えば、服を汚してしまった、汗をかいてしまった、作った料理が残ってしまった。しかし、その解決策は既にあります。服が汚れたならば洗濯機へ。汗をかいたなら風呂へ。料理が残ったなら冷凍庫へ。
私たちの日常に起こりうる問題は、家の中だけでも簡単に解決できてしまうのだと感じました(もちろんそうでない人もいます)。家の中だけでなく、世の中に解決策は溢れています。例えば、家電量販店に所狭しと並ぶ白物家電。課題に対して解決策が溢れているのが現代です。
そう考えるうちに、私たちの生活はどこかあまりにも便利すぎるのではないかという疑問も抱きました。
コロナ禍だからこそ、この快適な生活について気づくことができた。しかし、もしコロナウイルスが発生していなければ、今の便利で快適で満足のいく生活を当たり前に思ったままだったかもしれない。今の生活に感謝することができなかったのかもしれない。
「現代を生きる僕たちは、感謝しながら生きることができているのだろうか」
このような疑問を、Stay homeを通じて抱きました。
③BBQでの出会い
就活も終わり、コロナもだいぶ収まり、ある人の紹介でBBQに参加しました。
そこには、起業家の方々やサラリーマン複業家の方など、ビジネスの最前線を駆け抜けるビジネスパーソンが集っていました。
そのような方々とお話していく中で、ある方が悩みを打ち明けていました。その悩みに対して、その方の先輩がアドバイスしていました。そして一言。
「お前、無人島行けよ」
その一言から周りのメンバーが「お、いいね!」、「私も行く!」。私自身も好奇心故に無人島に行きたくなり、その場でグループLINEを作成。日程調整をしたものの、今を駆けるビジネスパーソン。多忙故にそのお話は流れてしまいました。
インターンシップを通じて得た、人間らしさの獲得の必要性。
Stay homeを通じて抱いた、便利・快適・満足な生活への懐疑。
BBQで得た、無人島という選択肢。
ダイレクトにどストレートに喜怒哀楽を感じることのできる本来の人間らしさに気づき、便利・快適・満足な実生活が当たり前でないことを確かめるためには、“快適の対極“を味わう必要がある。
このように考えた結果、私は無人島で生活するという選択肢を選んだのです。
2.無人島で感じたこと
上陸してみて 〜自然って凄い〜
上陸を決意し、早速準備をはじめました。宿泊時期は11月。
キャンプを楽しむことを目的に行くのではありません。ですので、持ち物は最低限のものに限定しました(テントと寝袋と某バランス栄養食と水2Lのみ)。
その時所属していたゼミ生に対してのみカミングアウトし、そこから仲間を募っていざ出陣。
しかし、天候不良ということで船が出ず1回目は失敗。その後も上陸を試みましたが、時期的に次第に気温が下がり始め、寒すぎて断念。
最終的に3月中旬、卒業式の3日前に私単独で上陸を果たしました。
16時30分、港に到着。
実際に上陸してみると、島の迫力に圧倒されました。ゴツゴツした岩肌に力強く木々が生い茂っていました。鳥の声も遠くから聞こえ、どこか不気味に感じました。モンスター○ンターみたいや。
上陸後、暗くなる前にキャンプを設営すべくキャンプ場へと急ぎました。
キャンプ場へ着くまでの道中、断崖絶壁の崖やマムシ注意の看板(そんなの聞いてない)、2日前に震度5弱の地震があったためか道の真ん中に落石が。山道は本当に険しい。それ故、汗をかいてしまいました。
そして無事にキャンプ場に到着し、テントの設営へ。
私以外に、キャンプをしている団体の方がいらっしゃいました。少し残念な気持ちと安心感。
そして無人島の夜は本当に寒いです。汗をかいたため体が火照って、テント内は丁度良かったのですが、時間が立つと気温が下がり一気に冷え込みました。
一言でいうと、自然って凄い(自然をなめていました)。
実際に寝泊まりしてみて 〜とにかく寂しかった〜
今回の無人島生活の目的は以下の通り。
何も無い無人島にて“快適の対極“を味わうことで、自分たちの環境が当たり前でないことを実感し、自分が今生きていることに心の底から感謝できる人間に変化すること。
無人島生活を経験した結果、私が抱く感情としては、
「今までの生活って当たり前じゃなかったんだなぁ」とか、「これから感謝して生きていこう」といったものかと、仮説を立てていました。
しかし、実際現地に行って1番に感じたことは、
「とにかく寂しい」
でした。
これは自分でもびっくりでした。
もちろん、持ってきた某バランス栄養食が切れてしまい常に空腹で、持ってきた寝袋も3千円の安いもの。寒さは凌げるはずもない。衣食住があることのありがたみは感じていました。
それなのに1番に感じたことは、人がいないことの寂しさでした。
この感情は、私にとって想定外のものでした。
つまり、私は、人がいないことに寂しさを感じないと考えて無人島に臨んだということ。
更に突き詰めれば、周りに人がいて当然、人に会えることが当たり前と考えていたということ。人に感謝できていなかったということ。
自分がこんなにも愚かな人間だとは思いませんでした。親に何不自由なく育ててもらい、ドイツへの1年間の留学中では様々な方にお世話になり、就活中には人生の恩師と仲間たちに恵まれて共に戦い抜いたにもかかわらず、心の底では感謝することができなかったということ。
あまりにも情けなくて数カ月ぶりに悔し涙がこぼれました。
こんな生き方で良いのか、なぜこのような生き方をしてしまったのか。
極寒の中、テントの中で1人凍えながらひたすら考えました。
考え、結論を出しました。
人に感謝することができていなかった自分の汚点は正直に認める。そしてこれから先は、謙虚に素直に正直に、生きていこう。私は神でも仏でもないので、全人類を幸せにして差し上げることはできないけれども、自分と関わってくださった方だけは少しでも幸せにして差し上げたい。
そこで人生の目的を1つ見出しました。
「自分と関わってくださった方を
少しでも幸せにして差し上げる生き方を貫くこと」
読者の皆さんは、胡散臭く感じるかもしれませんが、このように生きていくとテントの中で決意し、私は眠りにつきました。
3.無人島生活を終えて
あまり眠ることはできませんでした。寒すぎて十分に眠ることができず、気づいたら朝という状態でした。
始発の船は9時30分に出るということで、すぐに支度をし、なんとか船着き場へ。
船を待っている間、なんと野生のリスが!
可愛くて持ち帰りそうになりましたが、やめました。山へおかえり。
そして島とリスに別れを告げ、無事に乗船。帰路につきました。
この無人島生活を終えて、1番良かったことは自分の汚点に気づき、人生の目的を1つ見出すことができたこと。
実は就活中に人生の目的を2つ見つけていました。それに加える形で見出すことができたことは、自分の人生にとって価値あるものでした。そして、新社会人になる前に自分自身と向き合い、そして整えることができ、非常に有意義なものでした。
4.終わりに
私は、人生に目的を持つことで人は幸せに生きることができると考える人間です。
目的は終着地点でもあるし、自身の行動を監視する警察のようなもの。
そしてその目的は、必ず自分自身の中にあること。ただ、それに気づいていないだけ。
自分と向き合う時間は誰にとっても必要なのかもしれません。
私にとっては、無人島生活が自分と向き合う時間になり、無人島生活の目的を少なからず達成することができました。
そして幸運なことに人生の目的を見出すことができました。
私の拙い文章を読んだくださった皆様も、自分と向き合う時間を作っていただき、幸せになっていただきたいです。
長文失礼いたしました。
お読みいただき、本当にありがとうございました!
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