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第55代 文徳天皇

827-858年[在位 850-858年]
父:第54代 仁明天皇 母:藤原 順子(左大臣 藤原冬嗣の娘)
妻子:  
 紀 静子(更衣) ー 惟喬親王・惟条親王  
 藤原 明子(藤原良房の娘・女御)ー 第56代 清和天皇  
 他 多数

文徳天皇は 842年 伴氏・橘氏が排斥された『承和の変』の後に、藤原良房に推され天皇となった。良房の娘・明子との皇子は、3人の兄達を退け第56代 清和天皇となる。文徳天皇は祖父・藤原冬嗣の願った藤原北家の興隆に立ち会うこととなった。

❶ 大原野神社

(京都市西京区大原野南春日町)
850年、文徳天皇は祖父・藤原冬嗣の願いを思い、藤原氏のため大原野神社に壮麗な社殿を造営した。大原野神社は750年創建で、桓武天皇が平城京から長岡京へ遷都した際、皇后の藤原乙牟漏が藤原氏の氏神である奈良・春日大社を小塩山麓に勧請したのが起こりと伝わる。境内には文徳天皇と藤原明子の間に生まれた皇太子、第56代 清和天皇の産湯の井戸(伝)がある。

大原野神社 この辺りを京春日と呼んだ

❷ 十輪寺(腹帯地蔵尊)

(京都市西京区大原野小塩町)
850年、藤原明子との世継誕生を、延命地蔵(伝・最澄作)に祈願し清和天皇が誕生した。その後、文徳天皇の勅願所となった。

十輪寺参道
寺院裏手には在原業平由来の塩竈がある

❸ 文徳天皇 田邑陵

(京都市右京区太秦三尾町)

文徳天皇 田邑陵