平安京
794年 第50代 桓武天皇によって遷都し、約1100年の間、都として維持された。
❶ 平安宮朝堂院 大極殿跡
(京都市中京区聚楽廻東町)
朝堂院は政務を行う大内裏の正庁で、北端中央に大極殿があり、高御座に天皇が座した。中庭を囲んで八省十二堂が並び、南には応天門があった。
❷ 内裏の数々
(千本通の東側 北:下長者町通、南:下立売通辺り)
内裏は天皇の住居で、朝堂院の北東にあった。現在このあたりには内裏を表す看板や碑が立っている。
❸ 様々な試みがされた神泉苑
(京都市中京区門前町)
平安京ができる以前から水が湧いていた場所(大内裏の外・南東)に、池のある苑を作ったもの。天皇や皇族占有の庭に使われたが、後世、空海らによる降雨を祈る修法や、第56代 清和天皇による疫病封じの祈祷の場となり、祇園祭の原型になった。干ばつの際には水場として民衆に開放された。
❹ 東寺と西寺
796年に国立の寺院として東寺・西寺が造られた。823年に第52代 嵯峨天皇が東寺を空海に賜り、教王護国寺と呼ばれる真言宗の根本道場となって残っている。
❺ 朱雀大路と羅城門
朱雀大路は平城京の中心を南北に走る通りで、造営された時には幅は約80mあり、南端には羅城門が造られた。現在は千本通となっている。平安京より北は葬送地となり、現在も千本ゑんま堂がある。南は鳥羽街道につながる。
❻ 4つの大将軍神社
(京都市北区西賀茂覚社町・京都市上京区一条通御前西入口・京都市東山区東三条大橋長子町・伏見深草鳥居崎町 京都市区藤森神社境内)
平安京は内裏を築き、桓武天皇は大内の大将軍神社を守護し、都の四方を祀りました。
【関連の史跡】
❶ 現在の京都御苑内の京都御所とは
(京都市上京区京都御苑)
京都御所は1337~1869年の皇居である。平安京の内裏は14回火災に遭い、再建する間、天皇は母方の実家(里内裏)に移り住んだ。北朝初代 光厳天皇から現在の京都御所に住することとなる。現在の京都御所には1855年に造営された紫宸殿や清涼殿、明治維新の舞台となった蛤御門などが現存する。
❷ 平安遷都1100年で復元された平安神宮
(京都市左京区岡崎西天王町)
❸ 平安京になるまで
国家ができた初期には、天皇が政務を行った宮の所在地は変っていった。次第に都となり、多くの人が住めるように、また新しい時代にふさわしい土地を求めて何度も遷都が繰り返された。
平安京までに造営された都の数々
飛鳥板蓋宮(奈良県高市郡明日香村)
難波京(大阪府大阪市中央区法円坂)
近江京(滋賀県大津市錦織)
藤原京(奈良県橿原市醍醐町)
平城京(奈良県奈良市佐紀町)
恭仁京(京都府木津川市加茂町)
長岡京(京都府向日市鶏冠井町)