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「ふたつの住所」の話におもうこと —出会いが人をつくり、人生を豊かにする。だからこそ選別と活用をせよ。

 私が1月に読んだ本の中から皆さんに是非おススメしたい本が、次の二冊だ。絶版になっている可能性が極めて高いが、Amazonのリンクを貼っておくので、お時間があるときに是非手に取って読んでいただけると幸いだ。
 今回はこの二冊を読んで、私が考えたことや感じたことを書き綴ることにしたい。

・髙久多美男(2019)『葉っぱは見えるが根っこは見えない』フーガブックス
・丸山浩路(2013)『本気で生きよう!なにかが変わる』だいわ文庫

 先に挙げた『葉っぱは見えるが根っこは見えない』の中に、「ふたつの住所」(pp.84~87)という話がある。筆者(髙久)は、人には①住民票に記載されている住所(見える住所)と②見えない住所、のふたつの住所があると主張する。前者の住所は一般的な住所で理解できるが、後者の住所は我々には聞き馴染みのないことだろう。筆者は後者の住所について、本書で次のように叙述している。

同じところにいても、その住所が異なっていると、けっして会うことはない。つまり、心の交わりはない。(中略)それ以上に、「見えない住所」はその人そのものを表す。どうしてそういうことになるのか。同じような性質や価値観をもった人同士が集まるからである。
髙久多美男(2019)『葉っぱは見えるが根っこは見えない』フーガブックス、p.84

 この筆者の主張は大変興味深い主張で、納得する点が多い。日本の諺に「類は友を呼ぶ」という言葉があるが、それとこの筆者の主張は同じものといってよい。
 例えば、同じところ・地域に住んでいたとしても、ポジティブな人にはポジティブな人しか周りに集まらないし、悪さばかりしている人には悪(わる)しかしていない人としか交流を図ることができない。一見するとこの主張は新しい主張にように思われるが、当たり前の主張に過ぎないのだ。どうやらそのことを我々は忘れてしまっているようだ。

 そして、冒頭紹介したもう一冊の『本気で生きよう!なにかが変わる』の筆者の丸山は、この本の中で「人生は出会いで決まる——。」(p.4)と述べる。まさにその通りだ。素敵な出会いがあれば人生は豊かなものになる。それは髙久が主張する点(「見えない住所」)と通底している、と確信する。

 では、一体どうすれば良い出会いに巡り合え、ひいては豊かな人生を送れるのだろうか。そんな問いに私は辿りつき、少し考えてみることにした。そうこうしていると、ある出来事に巡り合った。

 先日、ある女性と友人を交えて電話で話しをする機会があった。彼らは電話越しでも「明るく」、常に「笑っていた」。これほど沢山笑う人に私自身あまり出会わないからか、とても面白く、本当に有意義な時間を過ごすことができた。
 彼らに出会えたことによって、「笑うことで人生は楽しくなる」という良い気づきが私にもたらされ、間違いなく私の人生が、いい方向に舵を切った。そんな彼らに出会えたことは奇跡であり、感謝でしかない。ありがとう。

 さて、そんな素敵な出会い(出来事)を通じて、先に立てた問いの答えは、次の答えに帰結した。

 それは「いつ」、「どこで」、「誰と」、交流を図るのかを強く意識して日常を過ごすということである。
 『葉っぱは見えるが根っこは見えない』の筆者(髙久)は、本書の中で、よい出会いをするため(「見えない住所」)には、「選別」することがカギを握っていると述べる。
 それに加えて、出会いを「活用」することも重要なことだと私は考えている。なぜなら、折角よい気づきを与えてくれたりする人と交流したり、出会ったりしたとしても、それを活用できずに終わってしまえば、良い出会いが無意味なものになってしまうからだ。

 良い出会いのために、日常生活において、いつ、どこで、誰と、交流を図るのかを強く意識するとき、「選別」と「活用」の二点を絶対に忘れてはいけない。
 人生は白紙のキャンバスに絵を描くようなもの。自分らしい絵を一生涯かけて描き切るために、一つ一つの経験を含む出会いを大切にしていきたい。だって、出会いが人をつくり、人生を豊かにするのだから。

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