パーマ屋のおばちゃん

私が子供の頃に住んでいた家の、2軒隣に美容室があった。
あの頃は母も近所の人もみんな「パーマ屋さん」と呼んでいた。


今のように昼間に女友達とランチに行ったり、飲みに行ったりすると陰口を叩かれるような時代。
パーマ屋さんは近所の主婦達の憩いの場所で社交場だった。

パーマ屋さんは最新のファッションやヘアスタイルを知ることができ、どうでもいい世間話をして、夫や姑、嫁の愚痴を吐き出す場所でもあった。

母がパーマ屋さんに行く日は、早めに夕飯を済ませ、いつもは終い風呂に入る母が父の次にお風呂に入り、それからパーマ屋さんに行った。
パーマをかけながらお店にあるテレビで、夜8時から始まるホームドラマをゆっくり観るのを楽しみにしていた。

家では父にチャンネル権があって、母も私達子供も好きな時間にテレビを見る事はできなかったから、月に1度の母の贅沢な時間だったはず。月に一度じゃ、ドラマのストーリーなんかわからないだろうけど、そんなことはどうでもよくて、自分だけの時間を持てるのが楽しみだったのだろう。今になれば理解できる。

パーマ屋さんに来るお客さんそれぞれが、悩みや嫌なことを吐き出し、気分もヘアスタイルも気持ちよくなって帰っていく。
そんな場所がパーマ屋さんだった。

近所で愛されていたパーマ屋さんのおばちゃんは、夏以外は着物を着ていた。
袖のある白い作業エプロン(割烹着ではない)が、よく似合っていた。
艶のある髪は後毛のないふっくらとしたアップにまとめられ、子供ながらに色っぽいと感じたものだ。

おばちゃんには夫らしき人はおらず、住み込みのお弟子さん2人と暮らしていた。

パーマ屋のおばちゃんのお店は自宅の1階で、奥に炊事場や居間があり、2階に寝室と
住み込みのお弟子さんの部屋があった。
母についてお店にいくと、たまにお弟子さんが部屋で遊んでくれたから、鮮明に記憶している。

私が家に帰るにはパーマ屋さんの前を通らないといけなくて、学校への行き帰りにはおばちゃんに挨拶する。
その時間のおばちゃんは大抵すっぴん。そのすっぴんがより美人に見えた。

思春期に入った頃は、親に話せないことをこっそりおばちゃんに話に行く。
おばちゃんはただニコニコ笑いながら聞いてくれて、たまにアドバイスをくれる。
ただそれだけで満足できた。

きっと母も近所の主婦達も、おばちゃんと話すのを楽しみに通っていたのだと思う。

ほんの小一時間一緒にいて、話しているうちにモヤモヤがクリアになり、スッキリして帰る。
おばちゃんはすごい人だ!

弱っている人を元気にして帰すのは大変だと思う。
でも、それが年長者の私にできることの一つだとも感じている。

自分から寄り添いに行くのではなく、静かに来るのを待つ人。

私の老後の目標は、パーマ屋のおばちゃんのようになることだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?