君と宇宙を歩くために
君と
振り返ると、小中高と比較的穏やかに学校に通えていたような気がする。
勉強がすごく出来ていたわけではないけれど、部活もしていたし、クラスでの人間関係も悪くなかった気が自分ではしている。
周りに恵まれていたのかもしれないし、自分が良いやつだったのかも、単純に過去を美化していて、こう感じるだけかなぁ。
今回のタイトル「君と宇宙を歩くために」は、現在発売中の漫画である。一話が無料公開中なので!読んでみて!
宇宙を
一つずつ数を重ねる度に、周りから強制されないことが増えたように思う。仕事は別として、自分が何かをしなかったからって、誰かにそれを咎められることもない。
小学生から大学生の時まで続けた(?)学生時代であれば、周りあるいは社会からの何となくの強制力って結構あったように思う。他人と毎日のように比較を繰り返して、自分はこれが出来ない、あれが出来ないと苦しんでもいた。
ところが大人になると、自分の出来なさを発見したり、周りと比較することも少なくなった。これを成長と呼んでいいのか、単にスマホに時間を取られて、自分の出来なさに向き合っていないだけなのか。。
歩く
紹介した漫画では、主人公の二人が自分の苦手な所や出来なさと、少しずつ向き合っていく。作品の世界観はおそらく平成、今よりもちょっと(?)前。今でいえば、宇野君はADHD、小林君はグレーと言われるのだろう。
小林君のセリフで
「例えばもしこの先どんなに頑張ってもこれ以上どうにもならなかったら?」
「そう思ってしまう日がきたら? それってちょっと怖いかも」
「こんなこと思うのが俺だけだったらどうしよう」
これは小林君が小テストで自分が期待していたよりも、テストの点が取れなかった時のセリフである。
努力には、限界も個人差もある。それらを決めるのは自分だとしても、自分自身や努力を信じられないことだってある。そっちの方が多いのかな。
出来ない事、知らなかった事を知る。それは怖いこと?楽しいこと?
出来ない事があっても、知らない人はいる。知らない人が知ったとしても、どうするかはその人次第。無視したり、向き合ったり、どっちもしてみたり。
ために
出来ない事を見つけると、苦しいなと最近思う。出来るようになってきたかも、なんて自負があるとなおさらコテンパンにやられる。
それでも「ふ~んまだまだあったか出来ない事」みたいな感じのRPGの主人公を気取っていきたいわ。知らない事、見たことない事、出来ない事。どうせなら立ち向かって、たまには反撃されて。人生の経験値もゲームと同じように減らないことを願いつつ。。
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