11幕・昔取った杵柄
紅子ちゃん、椿山の公民館で銭太鼓やるから一緒に行こ。先生が待ってるって。
幼なじみが誘ってきた。
うーん、ごめんね。
無理かなあ。
劇場が潰れてしまい、舞台に立てなくなった私は、民舞へのモチベーションがだだ下がりになってしまった。
でも先生がどうしても紅子ちゃんに来て欲しいって。
大体の理由は察した。
芸事に厳しすぎる師範が怒鳴り散らして教えれば、公民館で習う生徒さんが自動的に減る。
イコール収入が激減する。
唯一の生え抜きで、ましてやお金を貰って舞台に立っていた私から、お月謝を払わせながら生徒さんに教えさせようとと言う魂胆だ。
悪いんだけど、絶対行かないって先生に伝えといて。
でもB子ちゃんには個人的に教えるよ。
紅子ちゃん、先生がお菓子くれるからおいでって言ってるよ。
B子ちゃんは申し訳なさそうに言った。
伝書鳩ならぬ伝書人間扱いは流石に悪いと思ったので、賭けに出た。
1回5000円くれるなら行くって伝えてくれる?
何度もごめんね。
公民館帰りのB子ちゃんが家に来た。
先生が5000円じゃ稼ぎにならないから、3000円でどうって言ってるよ。
お名取さんでもないし、1回3000円は妥当だと踏んだ。
わかった。次から行くよ。
やったあ。一緒に習えるの嬉しいな。
近所の子は誰もやってないし、後はおじいさんおばあさんだけだったから、紅子ちゃんと習えるの楽しみだったんだ。
無垢な笑みを浮かべてB子ちゃんは帰って行った。
しばらく使わないまま飾っておいた銭太鼓を取り出して、浴衣と足袋と扇子を鞄に入れた。
夕食を早めに済ませ、浴衣と足袋に身を包み、雪駄を履いて家を出た。
公民館には劇場の3分の1くらいで着く。
B子ちゃんを迎えに行き、一緒に歩いて行った。
学校のことや公民館の雰囲気などを話しながら10分程で到着した。
自由に出入りできる椿山公民館だが、引き戸の建付けがすこぶる悪い。
1度引き戸を上にあげて開かないとだめだ。
雪駄を下駄箱に入れ、扇子を取り出した。
失礼致します。紅子です。
先生、お名取さん、本日からよろしくお願い致します。
扇子を真横に置き、三指を付いてご挨拶した。
おおー、紅子ちゃん大きくなったなあ。
紅子「ちゃん」?
心の内で違和感を感じた。
基本的に師範には呼び捨てで呼ばれた事しかない。
ましてや子供の成長を喜ぶ人でもない。
先生、ご無沙汰しております。
相変わらず劇場には立っとるんか?
いえ、劇場は数ヶ月前に潰れました。
じゃあ毎週水曜日にここでカルチャースクールやっとるけえ、おいでえ。
妙に猫なで声の師範に鳥肌が立つ。
紅子ちゃんはこっちじゃ。
師範とお名取さんの真ん中に座らされた。
自分は中級者以上を教えますので、あなたは初心者を教えて下さいね。
お名取さんはいきなり言い出した。
やっぱりそういう話だったか。
私が初心者を教えていると、師範がまだ慣れない人に激高しそうになったので、さっと睨みをきかせて
先生、曲を変えてくださいね。
そう言ってフォローした。
わ、わかった・・・。
師範は怒りの矛先をどこにも向けられず、渋々とラジカセを弄っている。
そんな感じで1時間が終わった。
お名取さんはタイムカードを押した様に颯爽と帰って行く。
私も帰りたいのではあるが、貰うものを貰っていない。
先生、お疲れ様でした。約束の3000円。
え?そんな約束しかかのう。
二度と来ませんよ?
解った。払うけえ、また来週な。
ありがとうございます。では来週もよろしくお願いします。
師範はやっぱりタダ働きさせようという魂胆だった。
B子ちゃん、帰ろ。
紅子ちゃんの教え方すごく解り易かった!
ありがとう、ただの昔取った杵柄だよ。
B子ちゃんは私と保育園と幼稚園が違うので、血のにじむような努力を知らない。
劇場にも来ない子だったので、更に何も知らない。
毎週水曜日にコツコツ通って、何とか師範を怒鳴り散らさない様にコントロールしながら教える事にも慣れた。
それから1年経つ頃くらいに、B子ちゃんは公民館に行く気を失ってしまった。
前々から欲しかった血統書付きの子猫を近所の人から貰ったので、可愛くて仕方ないそうだ。
そうなると私のモチベーションも下がる。
B子ちゃんの為に気苦労を背負っていた面が大きかったので、次第にどうでも良くなり、通うのを辞めた。
そうなると師範の怒鳴り散らす性分が露見し、カルチャースクールは崩壊したらしい。
B子ちゃんの飼っているフサフサのオッドアイの猫を見に行った。
いかにも高そうな猫だが、何年も前から子猫が産まれたら貰う約束をしていると、学校帰りに言っていただけの事はある。
名前は何か決めた?
タマだよ!!
うーん、独創性の高いネーミングセンス。
この後くらいだろうか、重要な幕が上がる。
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