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1幕・来夢来人

結婚し、新居に引っ越した。
周辺への挨拶も終わり、家具も荷物もある程度片付いた。
まだまだダンボールやビニール袋に入れっぱなしのものたちは多いが、今週中には終わるだろう。

しかし、正午になりお腹が空いた上に汗だくだ。
引っ越しは疲れるね。
夫と同時に言ってしまったので、顔を見合わせて笑った。
もうスパ銭でも行こっか。近所にあるよ。
いいね、そうしよう。

車で15分程度の先でコンビニもない竹林を抜けると、ほんのり灯りが見える。
ねえ、ほんとにココ?なんか老舗の隠れ宿って感じがするけど。
うーん、ナビでもここのはずなんだよねー。
まあ行ってみりゃいっか。
広すぎるほどの駐車場に疑心暗鬼になりつつ、傾斜のかなりある坂道を歩いた。
そこにはどう見ても旅館の門構えで、スパ銭とは思えない。
恐る恐るフロントの方に伺ってみると、別棟にあると言われた。
よく見れば旅館と廊下で繋がっている建物がそれだ。
やったあー!やっぱりココだったね。
うんうんー、ほんとに良かった。
私たちは胸を撫で下ろし、余裕の心持ちで料金を支払いロッカーキーなどを受け取った。

じゃあ、後でね。

色々なお風呂が用意されている女風呂だが、目に入り今日の気分にはこれだ。
備前焼の大壺に掛け流しの温泉。
贅沢な時間は心身ともに癒される。
しかし1人には広すぎる浴場だ。
もっと早い時間に来れば人も多いのかな。
時間のある日、また来てみたくなった。
ゆっくりしたい所だが、夫もお腹も空いたろうと考えると、そそくさと体を拭いて服に着替えた。

ソファーに座りながら夫にメッセージを打った。
タイミング良く夫が出てきたので、天ぷら蕎麦を食べた。
思ってるより凄いお風呂だったとか、サウナと岩盤浴があったとか、館内の様子ももう少し覗こうかと話すうち、天ぷら蕎麦はお互いの胃袋の中に。

エレベーターが見えたけど、行ってみる?
マッサージチェアとかあるかもねー。
案の定2階は少し暗めの照明で、存分にくつろげるマッサージチェアやリラックスチェアがところ狭しとある。

この部屋の隣に牛乳にアイスの自販機と喫煙所がある。
その隣のガラス戸には、宴芸ルームと書いてある。

館内アナウンスでここで催しがあると聞こえたので、夫を誘ってみた。

うわー、花魁の写真だ。女形って凄いね。
夫は物珍しそうに眺めている。
あれ?
私は何か違和感を感じた。
ん?
あれ?何だろう、来た事ないのに来た事あるような。
子供の頃とか来たの?
ううん、来た事ないはず。

あれ・・・。

急にぐるぐると景色が回って、どこかに連れて行かれる感覚に陥った。

万華鏡が次々に煌めきを変化させる如く、なぜか記憶が溢れ出る。
目眩で倒れそうな程の急激さで全て現れ、あまりの出来事に立っているのがやっとだったが、遂にへなりと膝から崩れ落ちてしまった。
それと同時に涙粒がこぼれ続けた。

いつの頃だろう。確か3歳位だ。
赤じゅうたんが敷き詰められた床。
標準男性の背丈でも届かない壁一面に花魁姿の役者の写真が誇らしげに飾ってある。

地元にあった大衆演劇の劇場だ。

おばあちゃんとおじいちゃんによく連れて行かれた場所が現れた。

紅子ちゃん、紅子ちゃん!!
大丈夫!?

夫が泣き出しそうな顔で私を見ている。
ああ、ごめんね。
湯あたりした?貧血?
ううん、思い出したの。全部。
私はストンと胸のつかえが取れた。
えっと、どういう事?
夫は困惑している。

劇場の幕が開いた。

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