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あの頃(2)学校

学校に上がるのが楽しみだった
1週間前から庭の池の周りを、ランドセルを背負ってスキップしていた
教科書は今より薄く軽かった
スキップするとカタカタ楽しい音がした
私は4月生まれだったからか、体も大きく困ることは特になかった
1年生は長い色付きの名札をつけた
1人の帰り道、知らないおばさんが笑いかける
「あら〜、一年生なの〜、ランドセルがピカピカでかわいいねえ。気をつけて帰りなさいよ」

学校検診のときは肌着だけでお医者さんの検診を待った
夏の体操着はブルマだった
ブルマは本当に嫌いだった
プールのときは4年生まで男女一緒に教室で着替えていた

給食は全員が食べ終わってからごちそうさまで、食の細い子や好き嫌いの多い子には辛かったと思う
お前のせいで昼休み遊べなかったと怒り出す男子もいた
アレルギーなんて言葉は一般的ではなかった
近所のおばさんは普通にお菓子をくれていた

並ぶときは背の順で、1番前にいると威張ったようなポーズが取れた
私は1番後ろで、先生の声がよく聞こえないから、キョロキョロしては叱られた
給食係になると博士が着るような白衣が着れて嬉しかった
焼却炉があって用務員さんが色々燃やしていた
先生は昼休みに一緒に遊んでくれた

さくらんぼ計算なんか教わらなかった
かけるものとかけられるものという言葉はあったかどうかも定かではない
1番古い前方後円墳は仁徳天皇陵で、鎌倉幕府は1192年に成立した
リンカーンもルーズベルトも正解だった
それが当時の正しいことだった

私は自虐史観の中で育ったらしいが、自覚はなかった
私に残ったのは「戦争はしないほうがいい」「世界の人に親切にしよう」だった
それ自体悪いことではないと思っている
だけど、それにしたって、優先順位がある
この部分については大人になってから考えるようになった
母になって、さらに変わった
歳を重ねれば、また変わるのかも知れない

学校は全てを教えてくれるわけではない
学問世界から見れば、表面に接するだけだ
それでも学びの楽しさを教えてくれたのが学校だった
叱ってもらえたのも学校だった

ダイオキシンが問題になれば焼却炉が閉鎖された
歴史研究が進めば、鎌倉幕府が1185年から始まったということになる
一方で、昔よりはるかに厚く重くなった教科書に、私は意味を見出せないでいる

学校は
学校って

全世代が共通認識しているつもりのそれは、少しずつアップグレードしている
残念ながら、改悪されてもいるだろう

こうやって年寄りの話を聞けば、これからに繋がることがあるかも知れない
懐かしくなるかも知れない
それぞれの記憶にアクセス出来るかも知れない
茶飲み話でもいたしましょう




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