年をとれない

 「お若いですね」
 「昔から全然変わりませんね」

 そんな年の割に全く老けてませんね的なお言葉をいただくことがそれなりの年齢になると誰しもがあるのではないだろうか。
 アンチエイジング、体内年齢、見た目年齢、いつまでも若々しく、そんなワードが昨今至るところに溢れかえっている。

 もちろん見た目や雰囲気を気にすることは対人での第一印象の良し悪しを決めるのに非常に重要なプロセスであるし、周りからの好意的な意見や称賛をはっきり認証するには努力のしがいもあるだろう。己を練磨することは大切であるし、それを楽しんでライフワークにしている人もいるだろう。
 男女を問わず、いつまでも若々しく、常に健康的で朗らかで美しくあろうとすることは素晴らしいという風潮は、今や当たり前のように中年期からより身近なものになっている。

 まるで纏わりつく呪いだ。

 昔ながらの「おっさん」や「おばちゃん」という人種そのものが物の怪の如く封印されし遺物になってしまったようなのである。実際、身近な大人は皆おっさんかおばちゃんだったのが、いつの間にか自分がそのおっさんおばちゃんの年齢になったはずなのにそう呼ばれはしなくなった。
いや、「おっさん」や「おばちゃん」に世間がなかなかそうさせてくれなくなったというのが正しいのかもしれない。バーコードハゲ、よれよれの脂ぎったスーツの太鼓腹、ほうれい線にめり込んだファンデーション、エプロンからのぞく象足にサンダル、野菜が覗いたスーパーのレジ袋、紙煙草と瓶ビール片手の野球観戦といったノスタルジックかつザ.エイジングを連想させるものと共に「おっさんやおばちゃんになるなんてあってはいけないこと」として禁断事項になってしまったようなのだ。
 このご時世、我々に求められているのは
いつまでも若い(本当は疲労で悲鳴をあげている)引き締まった(維持すらにも金が飛ぶ)身体、
透き通った瑞々しい(実際はストレスで隈取り模様の)肌、
流行にも乗るが個性も大切にした(と見せることに必死な)ファッションセンス、
時代のニーズに合った(本当は昭和歌謡曲ばりの根性しか根付いていない)寛容かつ柔軟でフレッシュな感性…
こんな感じである。

そして最終的にこう言われていることに気が付く。
老けるな、若くあれ、常に働いて死ぬまで動けと。


お仕事お疲れ様でした。



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