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シティガール、シティに戻る。わたしに故郷はない。

トップ画は、これからいろんな戦いが待っていることをまだ知らない、
3歳のかんかん。笑

結論から言いますと、
かんかん一家はセビリアからマドリードにお引越しをします。

17年間住んだこの地に一旦さようならです。


*** 終のすみかだと腹を括っていたのに ***

夫がここセビリア生まれのセビリア育ちですし、
結婚してからもこの地で地方公務員的仕事をずーーーっとやっているので、
わたしたちはここセビリアに根を張って行くのだなぁと思いはじめ、
最近は家を購入しようと物件まで探し始めておりました。

そんな中、いきなり夫の人生転機が!!!
一家騒然寝耳に水だよ!!!な出来事はこちらです。

はっ???!!!聞いてないよっっ!!です。


*** そもそも1箇所に根を生やしたことがなかった人生 ***

そこでわたしが最初に思ったことはこうでした。

「やっぱりな...。」

とにかく生まれた時から1箇所に落ち着いたことがない人生を歩んできたわたし。
挙げ句の果てには今スペイン。笑

「ここがわたしの故郷。わたしの居場所!」

と感じて生きたことが一度もないのです。

『サクッとかんかんの移動人生を説明します』

・大阪府茨木市に生まれる
・生後6ヶ月で福岡県福岡市へ
・幼稚園年少で東京都調布市へ
・小学校3年で広島県広島市へ
・小学校6年で神奈川県川崎市に
・中学校1年で埼玉県へ
(おまけ:個性的過ぎる高校で3ヶ月アメリカへ)
・結婚を機にスペインへ

ザっとこんな感じなのですが、
大人の大人による大人都合の引っ越しとは違って、
かんかんという人間が地球に産み落とされ
人間形成される大事な期間に全く落ち着けていないということ!笑

あ、わたしの人生ってあっちいったりこっちいったり、
出会いと別れを繰り返すのがデフォルト...
と感覚的にそれが当たり前になってしまっているのです。


*** 帰る場所がない ***

なんていうか、アイデンティティを形成する大事な部分のひとつに、

「故郷」

ってあると思うんです。
人間が作られて行く中で「環境」ってものすごく大事で、
子供の間にどこで、誰と、どう過ごして生きてきたか、
いろんな経験、思い出を糧に...大人になっていくじゃないですか。
いろんな挑戦や失敗をして一生懸命に大人になっていく。

そんな中、何があってもいつも支えてくれたものの中に....
自分を育て、許し、大きくしくれた人や土地、つまり

「帰る場所」

がありますよね。
別に身体的にそこへ帰らなくても、
そこを思い出したり、心の拠り所みたいな意味でも。

そこが、わたしにはないんです。
移動しすぎて、思い出が出来上がる前にそこに「さよなら」をして、
また前を向いて戦う「はじめまして」な日々が始まる。



*** 生まれてからずっと戦い! ***

これを1歳の頃から多感な中学生になるまで繰り返しすぎており、

「故郷?幼馴なじみ?何それ?おいしいの???」

状態なのです。
そんなことより新しい土地に慣れ、
自分の居場所を見つけて確保するほうが忙しい。

毎度の黒板の前で知らん人への自己紹介、(こちとらおまえらに興味ない!w)
めずらしがられる、からかわれる、無駄にいじられる、
お年頃の時期だとちょっといじめられることもあったり、
そんなことを乗り越えお友達や居場所を確保できたかなぁ〜と思った頃、
また引っ越し。笑

人生まあまあずーっと戦っている子供、、、でした。


*** 「フッ軽」すぎる人生 ***

というわけで、「帰る場所がある」という大事な安心材料が欠けている人生、
悪いことだけではありません。

よく言えば、
根っこを倒れない程度に生やしているが、深く生やしすぎない、
つまり「フッ軽」の極みみたいな生き方をしてきています。

「地元」という感覚がそもそもないので、
中学を卒業したとたん、なんの躊躇もなく高校は都内の私立高校へ。
またこの高校が帰国子女やら演劇を志すものなどがあちこちからやってくる
超個性的人間が渦巻くカオスな高校。
そこでアメリカへ3ヶ月間拉致されるも、
ホームシックなんてものは全く発動せずすっかりアメリカリズムで暮らし、
6キロ太って帰ってくるという暴挙。

大学に行くと今度はなぜかフラメンコを始めることになり、
大学1年のときにいきなりその日暮らしのバックパッカーでスペインへ1ヶ月。

スペインが自分の生き方にドンピシャで合ってしまい、
社会人4年目にしてスペインへ1年間逃亡。笑

だいぶ後半話を端折ったけど、
多感な時期にこんなふうな生き方をしてきたもんだから、
大人になっても「1箇所に根を張る」という生き方をする必要性を感じられず
世間的にはこれをもしかしたら「フラフラしてる」というのかもしれないが、
(実際会社を辞めたいと言った時に父にそんなようなことを言われたなぁw
そんな父は新卒で入った会社で戦い抜き定年を迎えた人。)
それがいいのか悪いのか、わたしの通常運転になってしまっていました。

なんなら長いこと1箇所にいたら焦りを感じるほどで、
「まずい、ここに居座りすぎているぞ!」
みたいな声が天から聞こえてくる気さえします。(重症w)


*** ほらやっぱりまた移動だ! ***

そんなわたしが結婚し、ここセビリアに住むこと17年。
最初にも書きましたが、
とうとう移動人生が終わり、この地に根をがっつり生やすのか!
と、ここ1、2年家探しをしながら感慨深く過ごしていました。

でも心のどこかで、

「本当にここで一生暮らすのか???」

と半信半疑になっている自分も。
そりゃそうだよ、ずーっと移動して生きてきたんだもん。
そうも簡単に「はいそうですか、ここが終のすみかね!」なんて思えないよな、
当たり前の感情だよな...不思議な気持ちだなぁ...なんて。

...からの!!!いきなりのマドリード行き通達!!!

「やっぱりな...。」

そう、やっぱりそうなるのよーーーー!!!!苦笑


*** 都会へ引っ越しのタイミングは今だった ***

子育てというテーマで言えば、
実はここセビリアで腹を括っていたとは言え、
ちょっとした不満と不安がなかったといえば嘘に。

生まれてから小学校4年になる今まで、
優しくて緩やかな時が流れるこの土地で息子は人間のベースを育みました。
お年寄りも多く、何より人のキャラがほぼ大阪なこともあってか、
地域の人にわたしもたくさん優しくされ、助けられ、許され、
子育てが本当に楽でしたし、息子もおかげで人が好きで優しい子に育ちました。

ただ、この地は成長していく子供にとってある年齢になってくると
「物足りない」という問題が浮き彫りに。

息子に関しては習い事をいくつかしてきましたが、
とにかくどの教室に通わせてもヌルい!
地方都市なので競合もないからか、それで許される環境なのです。
もうちょっと本格的にやりたいな...と思ったことが何度かありましたが、
その環境はこの地じゃ見つけることが不可能でした。

今通っている公立の音楽学校に関しても、
もうちょっと教師陣のやり方がありそう、
ちょっとの工夫で子供がもっと伸びそう...と思う節もありました。

音楽学校の教師の友達に相談したら、
ここセビリアはそんなもんで、マドリードの方がはるかにレベルが高いと。
結局みんなある年齢になったら、セビリアを出て行くんです。
日本もそうですよね。これ、地方都市あるある!!

息子が10歳になり、こういった壁を感じ始めていた今日この頃、
マドリード移住のタイミングが今でありがたいと思いました。

なにより、
わたし自身も基本都会でしか育っておらず、都会は大好物。
ここセビリアもある程度は都会なので大きな不満はないのですが、
結局また移動の人生の始まりか〜と思うと、
クスっとちょっと笑えてきて、もうすでに前しか向いていません。

「なんてわたしらしい人生なんだ!!!!」


*** さてどんな未来が待ってるかな? ***

国家公務員は移動届を出さない限りはその地にずっといることができますし、
どこかに行きたければ、2年ごとにある試験の時に移動願いを出して
通ればまた希望の地へ行くことができるそう。

息子の未来を考えたら、
きっとマドリードに居座るんじゃないかなという想像はしていますが、
誰にも未来はわかりません。

息子が数年後どこかへ留学をすると言い出したとしたら、
わたしたちはここセビリアに戻ってくるのか、
それともマドリードが気に入ってそこが終のすみかになるのか。
全然何も見えてこないです。

ただわたしは基本都会大好きっ子なので、今の心境は

「やっぱりまた移動か!」
「都会っ子は結局また都会に戻る流れ、好き。」
「日本へ行く便数が増えるなぁ!(歓喜)」

の、超絶前向き3本立てでお送りしております!!

どうかみなさま、
いきなり人生軌道大変更を迎えるかんかんファミリーを
温かい目で見守ってくださいますと幸いです。

おわり!(からの始まり!笑)

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