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専門書を買う

 これまで細々と読評などを書いていましたが、わたし自身は決して本を読むのが得意ではありません。ノルマを設定すると目が滑って内容が入ってこなかったり、面白い本ほど読みながら思索に耽って先に進まなかったり、そうかと思うと読み終える前に関心が他のことに移ったりして、読みたいと思う本と読んだ本とのあいだは年を追うごとに開くばかりです。いわゆる積ん読も増えています。たくさん本を読める人が羨ましい。それでも本、特に専門書を買い続けるのにはわたしなりに理由があります。

 一つには、後で読み返すことが少なくないことがあります。自分が影響された議論や細かい言い回し、重要な示唆を確認することもあれば、もっと抽象的観念的な自分を確認する作業として読み返すこともあります。中井久夫の書いたものを読むのは後者に当たります。こういう事をするのに電子書籍はちょっと怖いですね。あれは法的にはレンタル契約ですから配信業者が撤退すれば手元には何も残りません。そもそもわたしが買うような専門書は電子化されていないケースの方が多いのですけれど、電子版があっても紙の本を買うかな、という感じです。重たいし場所を取るけれど仕方がありません。

 もう一つは、専門書にお金を出すことそれ自体が、その専門書に価値があると明示的に表明する手段だからです。最近はこちらの方が大きいかもしれません。わたしは日本の出版業界、とりわけ学術出版の商慣習にコミットしている訳ではありませんし、少なくとも好意的には見ていません。特典等で紙本ばかり露骨に優遇したり、特に著者がSNSで「電子もあるけど紙のほうを買ってくれる方が嬉しい」などと露骨に発信しているのを見るとだいぶ白けた気持ちになります。
 それでも新刊は出来る範囲で書店で予約して買うことにしているのは、自分の職業的な要請を別にして、それがその本を支持するシグナルになり得るからです。幸運にもわたしのいる街には医学、心理学、(教科書以外の)社会福祉学の書棚を持つ書店があり、そういう専門的なジャンルの書棚を街に維持するコストをいくらかでも負担する思惑もあります。街の本屋を公費で救済するのには反対なので、できるだけ自分たちの手で買い支えたいところです。

 予算制約がある以上、欲しい本をすべてそのような手段で買うことは適いませんが、これはわたしの内的な問題なのですよね。わたし達専門職が買い支えないと学術出版はどんどん縮小していくことでしょう。翻訳も今のようには読めなくなるかもわかりません。諸外国の高等教育事情を伝え聞くに、専門教育を母語で摂取し、母語で専門知識を思索できる知的環境が供給されていることはとても意義の大きいことだと感じます。わたしにとって専門書を買うのは、学術出版という儲からない、パブリックサービスとも言える営為へのコミットメントの表明なのです。さらにいえば、ほとんど専門職の社会的義務だと考えています。もちろん各々の予算制約の範囲内で、ということにはなりますが。

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