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出産報告と不妊治療、メンタルの話

従兄弟に子どもが産まれていました。親戚の出産報告は今年で2人目。
出産は順番ではありません。年上だろうが年下だろうがだれも順番待ちなんてしてくれません。もしかしたら不妊治療を経た結果かもしれません。
でも辛いものは辛い。一人でいると落ち込んでしまいます。
すこし長くなりますが、今回の記事では気持ちを吐き出すために備忘録として記します。

***

私が妊娠発覚したのは去年の8月。体外受精2回目の移植の時でした。
最初は実感が湧きませんでしたが、徐々に込み上げてきました。嬉しさからすぐに両親へ打ち明けてしまいました。
初めての妊娠で不安だったこともあり胎嚢が確認できた段階で、上司だけに打ち明けていました。
通勤電車も心配で、早くマタニティマークが欲しい一心からアカチャンホンポの会員登録も済ませました。
妊娠中の栄養を心配して、妊娠中の食事の本も購入しました。本当に浮かれていました。

その後最初の心拍確認健診で心拍を確認。嬉しかったのですが少し違和感がありました。かなり小さく、しかも胎嚢が潰れかけている形をしていたのです。不安が的中し、翌週の健診で心停止が確認されました。

この時は夫に報告することが一番辛かったですね。
ただし、わんわん泣いた後はひたすら次の採卵のことを考えていました。
仕事も1日休んだ後はちゃんと働けていました。

9月に流産手術を実施。少しのお休み期間を経て年末年始(本当に大晦日)には通院を再開することができました。

1月は再び採卵を実施し、2月にはやっと移植を…と思っていた矢先に今度は歯茎が腫れてしまい、移植が中止となりました。親知らずが原因でした。
やっと始められた治療なのに、と、すごく悩みました。焦る気持ちをグッとこらえ、移植を延期して親知らず抜歯を優先しました。それが3月と4月の話。

5月にようやく3回目の移植を行いました。結果は陽性。
1度流産をしているため、再び妊娠が発覚した後は夫も私も心を無にして過ごしていました。それでも少し浮かれていたかも知れません。

しかし心拍確認では胎嚢が空っぽ。
「また流産か…」と意気消沈。心を無にしていながらもやっぱり悲しい。心を無にしていたこともあってか、落ち込みはしたものの覚悟はできていました。

その後に逆転劇がありました。翌週の診察で、月齢通りの大きさの子ども姿が確認が出来たのです。とても嬉しかったことを覚えています。

前回の妊娠よりも明らかに大きくなっていたおなかのあかちゃん。身体が2頭身で頭の形も確認できました。最初の心拍確認で突き落とされたこともあって、この時は完璧に油断していました。

次の心拍確認では不妊治療クリニックを卒業できる予定でしたが、残念なことに2人目のあかちゃんも成長が止まっていました。再び流産宣告をもらったこの時は6月。体外受精を始めてから1年と3ヶ月が過ぎていました。

そこから流産手術、染色体絨毛検査(子どもの染色体異常を調べる検査)、不育症検査(母体の異常を調べる検査)、マイコプラズマ肺炎罹患、インフルエンザ罹患…。いろいろなことがあり過ぎて2ヶ月があっという間に過ぎていました。

その2ヶ月についても、染色体も不育症検査も異常があることが発覚し、流産後の気分転換に始めたジムにも行けず、大好きなお酒が解禁されたのにも関わらず体調を崩し、予定していた群馬旅行や富山旅行にも行けず、誕生日に肺のレントゲン検査を撮るという、悲しんでいる余裕もないぐらい辛いことが立て続けに起こりました。

そして生理が来ない、来ない、と焦りながら、お灸を購入して試行錯誤している中、とどめのように送られてきた従兄弟の出産報告。母から、写真で。

***

私たち夫婦は今、出口のない泥沼のような不妊治療に溺れています。
不妊治療と流産、それに付随する治療費も昨年からの累積で80万円程でした。
(自費診療の人工授精1年半の通院を加えるともっとかかっています)
保険適用でこのぐらいなので、自費診療に移行したらいよいよ老後のための貯金を崩す時がきそうです。

不妊治療から離れることは、子どもを諦めることと思っています。
まだ諦めたくはありません。
でも、今日だけは弱音を吐かせて。

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