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おもむろに記してみる

どうしてこんなに、何もできないんだろう。
他の人と同じように私にだって1日24時間と言う時間が与えられているはずなのに、どうしていつも何もできないままその時間が過ぎていってしまうのだろう。

やりたいことはたくさんある気がするし、時計をみれば時間はたっぷりあると感じるし、だけど次に時計をみたときにはもうそのたっぷりあるように感じた時間はもうなくなっていて、そして自分が何をしていたのか分からない。。。

毎日たくさんのことが起きていて、それは外側の出来事だったりもするけど、多くは自分の内側で起きている。それを記録として残したいとずっと思っているのに、それらは私というモノ(身体なのか頭なのか心なのか、、、)から一向に出せないで、とどまっては濁って沈んでいくように消えていくようだ。

ということで、もう夜中の2時で早く寝なくちゃいけないけど、とりあえず書いてみる。


さて、とりあえず書いてみると言ったって、いきなり書くのにコレはどうかと思うけど、この数日で一番の出来事で一番記録に残したいトピックなのでもう書くしかない。

飲尿療法をはじめました。

どきどき。書いてみて、誰もみるあてのない日記だけど、後で誰かがみるようになったときに、ヤベッってならないかちょっと心配。

尿療法とは、自然療法の中で取り入れられているようで、私も全く調べてないし詳しくないのだけど、たまたま友人から話を聞いて、思い切ってチャレンジしてみたのだ。

尿は体内からの排泄物であるが、摂取した食物の残渣や腸内細菌などの塊である糞便と異なり、血液から作られた余剰物であり、体外に排泄されるまでは基本的に無菌のものである。成分的には水(98%)のほか尿素、アンモニア、その他電解質といった血清と同じもので構成される。
健康や治療への寄与について、体験談の類はあるものの、科学的・医学的根拠はない。効能を与える可能性としては、尿素説、抗体説、ホルモン説、喉センサー説、プラセボ(心理的効果)説などが提唱されている。

どうして友人にススメられて、なんで私がチャレンジしようと思ったかなどは今回は書かないけど、チャレンジの記録だけ残しておこうと思う。

1日目:思い立っていきなり飲んでみた

朝起きて1番のトイレのときにプラコップを持ってトイレに入り、中間の尿をコップに取る。最初は、それをそのままトイレに流して、コップに残った尿の水滴を水でうすめて飲むといいらしい。これだけでもホメオパシー的な効果があるようだ、けど。私の場合は、コップにとった尿をいきなり直接ゴクリと一口飲んでみた。

自分でも大胆だなと思ったけど、最近昆虫食に興味がある私にとって、コオロギやタガメを食べるよりは、だいぶ見た目のハードルが低くてついイケてしまったのである。

が、一口飲んだそれは衝撃的な味だった、、、
まず、しょっぱい!!!次に、苦い!!そして生温かさがリアル!

後から考えれば、汗や涙と同じく体液なのでしょっぱいのだろうけど、それが頭になく飲んだので、そのしょっぱさがなにより驚きだった。塩水飲んでるという感じ。

次にごくりと飲み込んだのどごしが苦ッ!である。これは体調や食べたもの、さらにはその時の感情にも左右されるらしい。苦味は”怒り”だそう。

そして、あたたかッ!って思った瞬間に、自分の体温なんだこれとおもうと、妙にリアルでおおぉぉぉっとなる。笑

そしてなによりも、何が衝撃だったかというと、尿の味なんて想像の範囲外なので、予測ができていなかったのだ。人間はたぶん新しいことにチャレンジするときに、だいたいが頭の中で「こうなるだろう」「こんな体験だろう」という予測を立てていて、それと比較しての感想をいだくのだと思う。だけど、今回は思い立っていきなり飲んだこともあり、尿の味をリサーチしたりどんな感じかな?なんて思い巡らすことをせずに飲んだもんで、ベースがない中でいきなりとびこんできたその味という体験が衝撃だったのだ。

さて、一口飲んだ衝撃で、一瞬そこでひよってしまいそうになったが、ここで終わると次のチャレンジのハードルが上がると思ったので、おもむろにもう一口飲んでみて、残りは捨てた。2口目は、体験の予測がついているので、まあまあ大丈夫だった。

2日目:すでに慣れた気がする

次の日ももちろん飲んだ。はい、脳がもう予測値を持っているのでもう大丈夫。衝撃はなく、3口ほど飲めた。味は前日より苦味が減って飲みやすかった気がした。食事内容が関係していると思うけど、何がどうしてかは詳しくはわからない。

ここまで書いて、もう結構いい時間になってしまったので、おもむろに終わりにしてみる。

とりあえず何かが書けたので満足だ!


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