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圧倒的な映像の力。FOR SAMA ドキュメンタリ


見終わって、外を見ると子供達が遊んでいて、近所の人が庭の手入れをしている。心の中で思う。

なぜ逃げないのか。

現実が遠ざかるほど、圧倒的なリアリティでシリア・アレッポの徹底的に破壊され、毎日何十発もの爆弾が落ちる中で生活をする普通の家族や子供達。

これはそこで暮らす者でなければ撮ることができないドキュメンタリだ。そこに暮らす、母であり、女性でなければ撮ることができないドキュメンタリだ。

尊厳を持って生きること、自由であること、民主化を求めたこと、それによって自国軍とソ連軍な圧倒的な軍事力に晒される。

エドワード・ワッツは戦場で生まれた娘、サマのための映像を撮り続ける。母である自身や父が生きることができないという覚悟で。

生きた人の、そして死んでいく人の記録だ。

カメラの性能もレンズもカメラワークもライティングもそんな技術的なことはどうでも良い。圧倒的な映像の力。

犯罪が行われている。それを記録しなければ。死んでいく子の母が叫ぶ。記録してくれと。なぜ何もしていない子が死ななければならないのか。

そこで何が起こったのか、Wikipediaでシリアを調べてもあまりに複雑で一筋縄ではないことが分かる。シリア軍側もISISもプロの映像作家を使って様々なプロパガンダを流す。外にいる人は余計に混乱し何が起こっているのか理解の範囲を超える。

なぜ世界がこのようなことを許すのか。

西洋諸国は動かなかった。ソ連はアサド政権側を支援し状況が更に悪化した。

自由とは自動的に与えられているものではないのだ。あまりに多くの人が民主的な政治を求めて死んでいる。

この映画はプロパガンダではない。母と娘とアレッポ最後の病院で働く医師。友人達。瓦礫の中で生きる普通の人たちはそれでも笑い、食事を共にし、子供達は燃え尽きたバスの中で遊ぶ。子供達はおとぎ話ではなく、ミサイルで死んだ家族の話を聞きたいとねだる。

イギリスに避難した後のインタビューで、1年後に何したいかと聞かれてショックを受けたと答えている。アレッポでの日々はただ日々を生きていた。1週間後のことだってあまりに遠すぎて予定を立てることができなかったのに。と。

シリアの人達は難民になりたかったのではない、そこで暮らすために戦ったのだ。と。何度でも戻り、日々生き、子供を生み、育てることが、圧政に対する最大の抵抗なのだ。と。

圧倒されるドキュメンタリ。誰もが見るべき映画。




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