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なぜかこだわってしまう「私の取扱説明書」

「私の取扱説明書」を書くのが趣味なわけではないけれど、この数年で7回ぐらい書いた。いろんな書き方をしてきた。主に自己紹介の一つとして、レシピ風に書いたり、取り扱うのが他者として書いたり…。
今回は自分が自分を取扱うための説明書を作った。8~9割書き終わってから、ふと「他の人はどんな風に作っているのだろう」とnoteを検索してみた。
どうやら流行ってるやり方があるらしい。私の作っている取扱説明書と全然違った。

あぁ…これが私なんだなって改めて思う。私の思う「取り扱うための説明書」を作っている私。しかも、少なくとも8回目。私の中にすでに「取説はこうあるべき」的な思考がある。

製品の取説を見てみたら分かるけれど、とても細かく指示が書いてある。いち家電製品のくせにここまで製作者に熟知され(当たり前)こう扱って欲しい、こう大切に扱って欲しいと言ってもらっている。
私たち人間はそれ以上の精密さでできているのに、ここまで大切に自分や他人のことを考えているか?適応力や対応力があるばかりに多少の事を我慢し、柔軟に自分への扱われ方に合わせていないか。

「私のトリセツ」を作っていてそんなことを感じた。「他人にどう扱って欲しいか」や「自分が自分をどう扱えばいいか」を楽しく書いてみるといいと思う。

今回作った「私のトリセツ」を公開するつもりではいたけれど、ちょっと躊躇している。私ってそうとうめんどくさい人間らしい…


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