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演劇と社会の出逢いのために(岡部俊一)

大層なタイトルで書きだしてしまって大変恐縮なんですけれども、でも本心ですので別にいいのかな、と思います。

茨城県日立市、水戸市で劇団タイコバンというアマチュア劇団の代表をしております、岡部と申します。どうぞよろしくお願いします。

プログラマやIT関係の仕事の傍ら、地元での演劇活動を続けております。高校の演劇部から始めまして、日立第一高等学校演劇部→大学では劇団てあとろ50'に所属→卒業後、劇団タイコバン旗揚げ、で今に至っております。(余談ですが日立一高は次の全国大会出場します。頑張ってね!)

現在の活動としては、自分の公演の他、ワークショップ開催(たまに高校演劇のワークショップ講師)などをしております。あと、今はお休み中ですが毎月の即興演劇(インプロ)公演を3年間やってました。折を見て再開したいと思っております。

さて、この度vistArtに参加させていただくことになりました私ですが、正直いって「演劇は役に立つ」という言葉には抵抗があります。なのでコロさんのvistArtは存じておりましたが、陰ながら(RTなどで)応援するレベルに留めていました。

私自身は、演劇は「役立つ/役に立たない」って軸で論じるものじゃないんじゃないかな、と思っています。演劇に限らず、芸術とか文学とか人生とか存在などというものは。

だって嫌じゃないですか?例えば友達とか家族とかいう「存在」を「役に立つ/立たない」で考えたり語られたりするのって。「演劇」を「役に立つ/立たない」で語られるのも、似たような違和感を覚えます。

強いて言えば「人生に意味を問うのでなく、人生からの問いかけにどう応えるかが大事」なのと同じように、文学や芸術に意味を求めるのでなく、文学や芸術からの問いかけにどう応えるのか?の方が大事だというのが私のスタンスです。(ただ「演劇」について世間からそういう面での説明を要求される、という辛さはわかりますよ!)

さて、そんな考えの私なんですが、先日、たまたまコロさんのスペースを聞いておりましたら、思いがけずコロさんからお誘いいただきまして、その時に聞いた「演劇関係者のセカンドキャリアを作りたい」という言葉にとても共感しました。

演劇をやめた後、これまで心血注いできたことが、全部、無駄に感じてしまう、無力感を感じてしまう、それをなんとかしたい。

血の滲む思いで獲得してきた身体や技術やノウハウを全部無駄にするなんて、酷な話だと感じます。非常に。

「演劇」を「役立つ」かどうかで語られることには非常に抵抗のある私ですが、得てきたモノを「役立てる」かどうかは、また別問題だと思います。

演技だろうと何であろうと、例えば……数学とか、どんな道具や知識でも「誰にとって」「何を」「なんのために」役立てるかは、結局、使い手の問題なんじゃないかと思ってますよ。数学が役に立たたないって言ってる人は数学を使えてないだけ!

とは言うものの、今はまだ、それがどのような形になるか、わかりません。どのような形で私が協力できるかもわかりませんが、それはこれから見つけていこうと思います。vistArtの活動の中で。演劇で得てきたものを「役立てる」ために。

ここまで書いて気になりましたが、タイトル全然関係ないですね。

でも結局、この活動の先にあるのが、タイトルに掲げた「演劇と社会の出逢いのために」ということになっていくと思います。大学で卒論を書いていた時に「現代演劇のフィールドワーク」という本を読んでから、ずっと「演劇と社会の出逢い」を考え、今まで活動をしてきました。

このことを書くと長くなるので止めておきますが、いまも「演劇と社会の出逢い」をよりよくしていきたいと思ってますし、多分これからも、そしてvistArtの活動を通しても、「演劇と社会の出逢い」が少しでもよくなったらいいな、と願っております。

よろしくお願いいたします!

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