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旧東海道一人旅: 保土ケ谷宿 (1里9町 5.1km ➔ 神奈川宿 (2里半 8.9km ➔ 川崎宿④

本日は保土ケ谷から川崎までのセクションハイク、京方面から江戸に向かって歩きます。まずは茅ヶ崎駅にておむすび弁当を購入(680円/明太子・昆布)。戸塚から横須賀線に乗り換えて保土ケ谷駅へ。駅のすぐ北側交差点が本日の出発地点。足下には所々に旧東海道の道標が埋め込まれ、東海道行脚の気分を高めてくれます。天王町の松原商店街は焼きたてのパン屋やコロッケ屋などが軒を連ね、呼子の声にも活気があふれています。


今日歩く道筋は明治維新、日本開国のドラマが繰り広げられた舞台です。
旧東海道は浅間町からしばらくの間、横須賀線の北側に沿って進みます。歩き始めて1時間半ほど、右手に林立するビルの合間からランドマークタワーが見えたらそこはもう横浜駅。ここから急な坂を昇りつめた高台に文久3年(1863年)創業の老舗料亭田中屋(旧さくらや)があります。断崖絶壁の上に居を構え、昔は欄干から釣り糸を垂らすことも出来たと言われています。またこの田中屋は龍馬亡き後、勝海舟の紹介で坂本龍馬の妻「おりょう」が住み込みの仲居として勤めていた名料亭でもあります。外国語も堪能で、物怖じしない真っ直ぐな性格が外国のお客様に評判だったとか、まさに脱帽ものです。


この坂を下るとそこは「本覺寺」、元アメリカ領事館跡です。ここはかつて生麦で負傷したリチャードソンの遺体が運び込まれ、検視後ヘボンが斬り口を縫合した場所だとか。

生麦の地名の由来は徳川二代将軍秀忠の通行の際、ぬかるんでいた道に生麦を刈り取って敷いたところあるとか。ビール工場の一角に後の薩英戦争のきっかけとなった「生麦事件の碑」があります。事件の現場はここより先1kmの御社母子稲荷神社付近です。川崎大師までのピクニックの帰路、英国人リチャードソン他三名は薩摩藩島津久光の行列に騎乗のまま乗り入れ、激高した藩士に無礼うち無礼討ちにされ4人が負傷。リチャードソンは腹部に深手を受けながらもこの地まで逃げ延びたがついに落馬、追いついた薩摩藩士にとどめを刺されたと記録されています。南無阿弥陀仏。また生麦は幕府に魚介類を献上する御名八ケ村の一つの魚河岸で、現在も旧道の両側には江戸前の魚を扱う小さな魚店が軒を連ねています。潮の香に誘われて、迷わず刺身定食を注文します。その美味しさは写真をもってご賞味ください。


一時間の逗留後、心身ともに満ち足りて再出発、すぐにJR鶴見線国道駅下をくぐります。このガード下はまさに昭和そのもの、数々の日活映画やテレビドラマのロケ地となったところだとか。「華麗なる一族」や、オダギリジョーの「時効警察」、山田孝之の「白夜行」もこの地で撮影されたそうです。


この後、旧東海道は鶴見神社を経て鶴見川を越えます。そして本日の最終目的地JR川崎駅へ。この旅も今日で東の日本橋から、西は箱根湯本駅までつながりました。次はいよいよ箱根越えです。「アメノミナカヌシサマキョウモイチニチアリガトウゴザイマシタ」。(続く)


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