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東京出身の大学生の僕が「鮭の聖地」標津町を訪れてみて

皆さんこんにちは、そして初めまして。
東京出身、道東の大学に通う加々見 太輔(かがみ だいすけ)です。

高校生までは東京で暮らしていました。高校卒業後の進路を考えていたころ、現在通っている大学の進路関係の方に出会い、その方の「北海道は本当に良いところだよ!」という言葉に心を動かされて北海道に行くことを決意しました。
現在は、大学に通いながら、休日に道内を旅しています。
そんな僕が、「鮭の聖地」源流のまちと言われる標津町に初めて訪れたときの感想を、いくつかの項目に分けて綴ります。

鮭と人 命と営み 織りなすドラマに感動!

「鮭の一生」

まず、僕が楽しいと感じた場所は、「標津サーモン科学館」です。

始めに大水槽を見学し、その後、近くを流れる川と繋がっている「魚道水槽」へ、サケの遡上の展示を見に行きました。

鮭の遡上とは、海に出た鮭が、数年後、産卵のために生まれた川へ戻り、川の流れをさかのぼることです。鮭が生まれた川へ戻る理由が、産んだ卵を安全に孵(かえ)すためだということを知って、小学生のころに見た「鮭の一生」のビデオのことを思い出しました。鮭の遡上のことは知ったつもりでいましたが、今回ここで見た鮭たちの命や力強さには本当に圧倒され、自然に生きるものたちのすごさを改めて実感しました。

「鮭の聖地」の過去、今、未来を知る

幕末に開かれた漁場は、明治時代に生産を開始した缶詰の世界市場進出によって発展したそうです。しかし、次第に天然の鮭が獲れなくなり、資源の復活に向けて人工ふ化事業に挑戦した歴史があったことを知りました。

標津町が面する根室海峡では、1万年前から人々の営みが続いてきました。海と川とを往来してきた「鮭」があらゆる命の糧となっています。標津町は、過去、現在、未来、文化、自然……あらゆるものが鮭とつながる、「鮭の聖地」なのです。

さまざまな産業が鮭によって培われていき、そして現代では、この営みを次の世代に繋ぐための新しい試みが始まっていました。歴史や文化を知ることが好きな僕は、ここ標津サーモン科学館で、鮭を通した標津町の歩みについて多くのことを知り、楽しむことができました。

標津サーモン科学館


全身で体感!「鮭の聖地」の不思議

空から見る「鮭の聖地」

「遊覧飛行」も楽しかったです。
標津サーモンパークの次は、「鮭の聖地」を空から見渡すという遊覧飛行のため、中標津空港へ。
北海道の大学に進んだことで、東京へ帰省するため飛行機を利用することが多くなりました。ですが、遊覧飛行は初めて。
どんなものなのかまったく想像がつかず、ドキドキしながら中標津空港を飛び立ちました。

しばらくすると、野付半島が見えてきました。
全長約26kmの日本最大の砂嘴(さし)である野付半島を空から見る機会は相当貴重だろうなと感じながらその周囲をよく見てみると、鹿の群れらしきものが。

雄大な大地を、鹿が駆け抜ける……。道東で大学生になる前の東京にいたころの僕は、こんなに神秘的な景色を見られるなんて考えてもいませんでした。
そして、野付半島の先に、根室海峡と国後島がうっすらと見えてきました。
実は、サーモン科学館の展望台からも根室海峡と国後島は見ていましたが、空からはまた違った見え方がして、なんとも言えない不思議な感覚を抱きました。

鮭の命 ありがたくいただく

東京出身の僕を含め、本州に住む人が鮭を食べるといえば、身か、いくらしか食べることがないということも多いのではないかと思います。
この日、夕食に訪れた「郷土料理 武田」では、鮭の身はもちろん、頭や肝なども料理として提供されていました。

いただいたコース料理の中には鮭の血合いを調理した珍味もあり、鮭の身やいくらにしか馴染みのなかった僕にとっては驚きで、とても不思議な感覚でした。
初めて見る料理。食べてみると……、どれも美味しいものばかり!
鮭料理のフルコースをいただくことで、鮭から「命をいただく」ことのありがたさを知ることができました。「鮭の聖地」標津だからこそ、そのようにかみしめながら味わえるんだと感じました。

郷土料理 武田



開拓の歴史に触れて興奮!

「駅逓所(えきていしょ)」。

まだ徒歩での移動が主流だった北海道の開拓時代に、旅人の宿泊や、郵便、運送に重要な役割を果たした施設です。荷物の運搬人や馬がいて、次の駅逓所までリレーしながら運んでいくという人馬継立(つぎたて)もしていたそうです。
今回、「旧奥行臼(おくゆきうす)駅逓所」を訪れて、かつて北海道にはこういった施設があって利用されていたことを初めて知りました。

駅逓所の中には和室があり、当時の面影を残しているように感じてとても好きでした。ここでの見学で印象に残っているのは、部屋ごとに階級が分けられ、それを表すマークが付いていたことです。「1番上の階級の部屋には、どんな人が泊まっていたんだろう」と想像して、ワクワクしました。

旧奥行臼駅逓所の近くには、昭和のころに使われていた旧奥行臼駅舎、それに、鉄道の車両が残されていました。

この一帯は、北海道の開拓時代を支えた駅逓所が、昭和になり鉄道へと移り変わっていった歴史が分かるような場所でした。この駅や車両も地域の開拓や発展を支えていたと思うと、幼いころから鉄道や歴史が好きな僕はとても興奮しました。

旧奥行臼駅逓所

奥行臼駅

旧別海村営軌道風蓮線奥行臼停留所


東京出身の僕が出会った、人生最高の景色

東京で生まれ育ったものの都会の喧騒が幼いころから好きではなかった僕は、高校卒業後、大学進学と同時に北海道、道東へ来ました。
それ以来、この地で大自然が作り出す景色をたくさん見て、毎回その神秘に胸を打たれてきました。

ですが、その数々の感動を一瞬で塗り替えてしまうほど好きになってしまった景色に出会いました。

ツアー2日目。
厚床フットパス」に、その景色はありました。

「フットパス」とは、森林や田園地帯や歴史的な場所など、地域に昔からあるありのままの風景を楽しみながら歩くことができる道のことで、イギリスが発祥であることを、ガイドさんから学びました。

木々に囲まれながら歩くのは、やっぱり気持ちが良いな……。
そう思いながら道を進んだ先に、「人生最高の景色」はありました。

その場所の名前は、「もの思いにふける丘」。

どこまでも続くような草原。
秋色に染まり始めた木々。

「これを見るために、生きていたい」。
そう思うほどの景色。

眺めていると、日々の悩みや将来への不安がどれほどちっぽけなものだったかを思い知らされました。

そして、北海道には、この「もの思いにふける丘」以外にも、まだ知らない最高の景色が僕を待っているのかもしれないとも思わされました。

「また、必ずこの景色を見に来る」。
心を震わせながらそう誓い、丘を後にしました。

厚床フットパスガイドプログラム


アイヌ文化の面影「ノツカマフ1・2号チャシ跡」

「チャシ」とは、アイヌ語で「柵」、「砦」、「囲い」を表す言葉で、かつてアイヌの人たちが、戦闘の時にこの場所を砦として使っていたことを、ガイドさんから教えてもらいました。

中学生のころ、学校にアイヌ民族の人が来て、授業で話をしてくださったことがありました。アイヌにどんな文化があって、どんな歴史をたどってきたかなど、中には壮絶な話もあったことを思い返しながらチャシ跡を見学しました。

この「ノツカマフ1・2号チャシ跡」には、悲しい過去がありました。
1789年、この地域を統治していた和人がアイヌ民族に対してひどい扱いをしていたことが発端で「クナシリ・メナシの戦い」が起こり、関与したアイヌ民族37人が殺害されたというのです。ここは、そのような重要な歴史があり、また、自立したアイヌ文化が存在していたことも分かる、とても大切な場所だと強く感じました。

実際にその土地へ行って、歴史や、先人たちの残した文化を知ることは大事だということを改めて学びました。

「鮭の聖地」 その現在地

ツアー最終日、3日目は、午前3時に起きて、鮭の水揚げの様子を見に標津漁港へ。
北海道に来てから鮭を食べる機会はちょくちょくあったものの、水揚げされる様子を見るのは初めてで、とてもワクワクしていました。

港に到着して真っ先に視界に飛び込んできたのは、漁船の明かりに照らされる、キビキビと働く活気ある漁師さんたちの姿と、水揚げされる網いっぱいの鮭でした。

中でも衝撃を受けたのが、漁師さんたちが目まぐるしい速さで鮭の雄と雌を見分けて選別していることでした。ガイドさんにその見分け方を教えてもらいましたが、まったく経験のない僕では漁師さんのように一瞬で見分けられるほどのはっきりとした違いが分かりませんでした。いわば「職人」だからこそ成し得る技が聖地の鮭漁を支えているんだなと実感しました。

それと同時に、漁業を支えてくれている漁師さんがいるおかげで、僕たちはいつも新鮮な魚が食べられるということに、改めて感謝の思いが湧きました。

鮭荷揚げ見学


「鮭の聖地」をたずねてみて

北海道、とりわけ、この標津町は、1万年の長い歴史の中で、鮭と共に歩み、発展した地だということを知りました。
その長い歴史の中には、人と人との悲しい過去や、未来に伝えるべき文化、景色、食が多くあることを実感しました。

この記事では、いくつかの項目に分けて、ツアーの流れを追いながら感想を綴りましたが、これは、「鮭の聖地」標津の一部にしか過ぎません。

鮭が繋いできた一万年の歴史や物語は、まだ終わっていません。

次はあなた自身がこの「鮭の聖地」を訪れることで、この先の歴史や物語を描く1人になってほしいと思います。

またどこかの旅でお会いしましょう。

ドット道東 インターン生 加々見 太輔


「鮭の聖地」の物語~根室海峡一万年の道程~


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