ROXXの上場に寄せて
2024年9月25日に株式会社ROXXが上場した。「上場することは決して起業家にとってゴールではなく……」のような意見もあるが、ここは賛辞の言葉を送りたい。上場、本当におめでとう。
ROXXとは10年来のつきあいがあり、自分にとってはスタートアップの世界に足を踏み入れて最初にあった企業のひとつだ。
思い出が風化しないうちに、彼らとの道のりを記しておきたいと思う。
10年も経過すると、思い出す仕事は、与えた価値とも貰った金額とも全く比例しないらしい。上場当日に招かれた東証でのセレモニーのときに、中嶋くんが記念写真を撮る際に僕を紹介してくれたときのセリフは「初期からずっとみている、助成金をみてくれた山岡さん」だった。僕も、ROXXの仕事といえば、助成金(正確にいえば補助金)の申請を手伝った日を思い出す。
ある日(今調べたら2015年8月だった)、補助金を用いてシステム開発を行おう、という話になった。当時は新卒の人材紹介などを行って会社を回していたが、資金がない中でも新しいサービスができないか模索している時期だった。
補助金の締め切り1週間前から着手して申請書類を作成することになったが、下調べ無しの段階から補助金を申請することはそれなりに困難だった。市場の状況を調べ、事業の可能性を訴え、申請する経費がなぜ必要かを述べなければならない。図表も何個か作成が必要だ。最初は社内で作ってもらって・フィードバックという関係で作業を進めていたが、そうこうしているうちに、補助金の申請期限が翌日に迫ってきた。
結局、一緒に作業をやりながら完了させようという話になったらしい。気楽なレビュアーだったのが当事者として巻き込まれた形だ。
当日は数時間を投下すれば作業が完了する目論見だったか、はじめから夜通し作業をやるつもりだったのか、今となっては過程は全く覚えていない。
当日のうちには作業は全く終わらず、神山町にあるオフィスで徹夜で夜通し一緒に事業内容を議論しながら申請書類を作成した。
作業工程はあまり記憶にないが、明け方にコンビニに全員でいったことだけは覚えている。レジ横にミスタードーナツに似せたドーナツが販売された時期で、コンビニがドーナツを売り始める是非を帰り道に話した気もするが、これは別の機会での話だったかもしれない。
なお、そのとき申請した補助金は採択されなかった。補助金用に考案した事業は、飛躍のきっかけとなったSCOUTER事業に近いコンセプトだったと思うのだが、「あれがきっかけでSCOUTER事業が生まれました」のような美談にはつながらない。彼らは、当時に、SCOUTER的な事業を何個も考案して常に新しいことをはじめようとしていた。
ともかく時間は無駄になり、彼らはシステムを作れず、僕は報酬を請求しなかった。今でもクライアントの補助金・助成金のたぐいの依頼には苦手意識がある。
なぜ夜通し付き合うモチベーションが湧いたのか一切覚えていない。書類が終わらないことでチャンスを失うことが馬鹿馬鹿しかったのかもしれないし、事業計画や申請書類の類をまとめ上げる力を身に着けたばかりで奮いたかったのかもしれないし、閉塞感漂う彼らの状況に風穴が開くのを見たかったのかもしれない。
一度、僕自身の話をしよう。
2014年3月、最初のキャリアだった監査法人を退職し、スタートアップに関わりはじめた。その前の月の大雪の日に、同じ監査法人の先輩である長島さんに、最短上場を目指す創業2期目のIT系企業で経営管理の仕事を紹介されたことがきっかけだ(この話は、どこかで一度仔細に振り返りたいと思っているが、別の機会にしようと思う)。
紹介された会社から提示された条件によって年収は半分ほどに下がったが、その分やれることを増やせばいいと割り切ることができた。1-2ヶ月経過して仕事に慣れたのちに、長島さんが関わっている他のスタートアップの仕事に色々手を出しはじめた。
そのときに出会った企業のひとつがROXXだった。手元に残されていた当時のメモをみる限り、僕自身とROXXとの付き合いは2014年9月からだったらしい。なお、その時に僕が紹介された目的は「創業補助金の申請を手伝ってほしい」とのことで、一番の思い出も彼らとの縁も補助金関係だったようだ。
ROXXは、当時はRenovation(リノベーション)から名前をとった「RENO(リノ)」という名前の会社だった。長島さんはこの社名を毎回「レノ」と発音し(字面だけみたら完全に正しい)、その度に「リノですよ」と訂正していたやり取りが懐かしい。
当時のRENOは、中嶋くん・山田くん・もう1名の共同創業者の3名で経営されていた。活動的で、やりたいことをひたすら語る中嶋くんを、真面目な他の2名が支えている印象だった。
活動量も夢も真面目さも持っていたチームだったが、彼らの学生起業は順調とは言いがたかった。創業資金のほぼすべてをシステム開発に投下したが、そのシステムが使い物にならない憂き目にあっていた。
創業資金の大半を失ったことで、有料職業紹介事業の資格を申請するための財務的な条件を満たすためにはどうしたらいいのか、条件とBSとをひたすら見た覚えがある。
2014年の終わりか2015年の頭ぐらいには創業者3名が真剣に打ち込みたいと思えるようなサービスは展開できず、新卒の人材紹介を時々行うぐらいの会社状況となった。サービス開発を外注して失敗した彼らは、学生時代の友人をエンジニアに転向させようとしていたが、新しいサービス開発を行うまで時間はかかりそうだった。経緯の詳細は覚えていないが、共同創業者3名はRENOの経営の傍らそれぞれ経験をつめる場所を求めた。
中嶋くんは、そのもうちょっと後だったかソフトバンクアカデミアに通い、山田くんともう一人の共同創業者は、僕が所属していたIT系企業でインターンとして働くこととなった(数回働いたタイミングで、そのもう一人の共同創業者はチームから離脱してしまった)。
当時、自分が働いていたIT系企業は事業を急拡大しており、バックオフィスの人員は不足していた。山田くんがバックオフィスとして手伝ってくれることは、人手として非常に助かった。「この日は山田くんがいるから、あの作業をやろう」という会話を、当時よくしていたことを思い出す。
そういえば山田くんの優秀さに気がついたのも、一緒にインターンとして働き始めて貰ってからかもしれない。まず、作業者としても優秀だった。感情を表に出さず、集中力のムラなく作業を行い、ミスが少ない。
それより、作業レイヤ・経営レイヤ問わず、直面する課題を解くための素養があったように思えた。未知の分野の課題に直面しても正しい抽象度で捉えて、構成する要素に分解し、課題を正しいアプローチで解くことができた。口頭での意思伝達もうまく、適切な表現を選択したコミュニケーションが取れた。
当時の僕は、スタートアップにおける経営管理をどう設計すると効率化するか模索しており、作業レイヤの課題から経営課題に対処するための課題まで最適解を模索していた時期だった。山田くんとは、作業をふった後にどう改善すべきかをよく話していた気がする。彼からしたら作業をしたあとに改善の話をするのは当然のことだと思うだろうが、それをできる作業者は、当時も今もそれほど多くは存在しない。
書類キャビネットを全部ひっくり返して最適配置を考えた日は印象的だった。働いていたIT系企業には大きな書類キャビネがあり、創業以降未整理のまま使われていた。自分たちよりも背が高いキャビネットの書類や機材をすべて床に出し、取り出す頻度・機材の重さ・グルーピングした時の明瞭さなどの要素に、キャビネット自体の物理的な制約を考えて、最適解を1日中考えた。単純なモノの配置に関する論点であっても、真剣に考えれば面白い課題になる。あの課題は面白かった。
結局1年ちょっとインターンとして働いてもらったのだけど、その期間で僕が彼の力を伸ばしたような手応えは実際のところ殆どない。多少あの経験は役に立ってもらいたいが、その後のROXXでの活動から得た学びのほうが遥かに大きいだろう。
僕にとっての最初のインターン生が山田くんだったが、専門性も経験も有さずただ素養だけある若手と色々な課題を解く素晴らしさを経験させてもらった。僕が創業したシクミヤでは、創業から常にインターン生を雇っているが、この経験に相当影響されている。
山田くんがインターンをしていた期間中は(今となっては非合理だが)無料でRENOの経営管理をみていた。他のスタートアップとは長島さんと一緒に経営管理の支援を行っていたが、無料ということもあって自分ひとりでスタートアップとやり取りができるいい機会だったとも言える。当時は経営について殆どわかっていなかったが、RENOは一緒に「経営者として何をすべきか」を模索しながら会話ができる相手だった。冒頭の補助金のくだりも、この時期の出来事だった。
その後、SCOUTER事業を開始したことをきっかけとして、本格的に資金調達を開始し組織を拡大させていった。学生が狭い部屋に所狭しと詰め込まれていた神山町の穴蔵のようなオフィスから、渋谷ホームズに移転し、赤坂のオフィスに移転していった。
SCOUTER事業を開始してから1年ぐらい経過するまで、RENOからSCOUTERに名前を変えた同社に対して経営管理の視点から支援を行っていた。この時は流石に報酬を取り始めており、徐々に「普通の関わり方」になってきたように思える。融資を一緒にひいたり、SCOUTER事業の煩雑な業務オペレーションを自動化しようとしたり、それらの時期も思い出はあるが割愛しよう。
その後、本格的にIPOを視野に向けて動く際に長島さんとそのチームに役割を引き継いで、定期的な関与は行わなくなった。その後、2022年ごろまで経営管理に関連する課題が生じたときにスポットで時折手を貸していたが、IPO準備が本格化した際に手をひくこととなった。
SCOUTER事業を始めてからの彼らも、自分が直接相談受けた内容・聞いた内容をあわせると相当、紆余曲折があったと思う。多くのスタートアップが遭遇する失敗例の大抵のものをROXXは経験していると言っていいだろう。苦労した上で上場までたどり着いた道のりは、他のスタートアップにも勇気を与えるものだ。苦労の末にIPOまでたどり着いた苦難のストーリーを、半分当事者の立場で横で見させてもらえたのは得難い経験だ。
ただ僕としては、初期の、彼らが(そして僕も)なにかになろうと模索していた時期を共にしていたことが、最も得難い思い出になっている。
それにしてもROXXの成功要因は何だったんだろうか。あれほど、「何をやって会社を大きくするか」にたどり着くまで苦労して、そして上場までたどり着いた会社に出会っていない。
ROXXは創業初期から幾度となくサービスの立上げと撤退・方針転換を繰り返しているが、そのたびにチームが解散しなかったことはひとつの成功要因に見える。
チームが解散しなかった・させる必要がなかった理由の一つは、取り組む事業領域が首尾一環していたことだ。彼らの取り組んでいたサービスの抽象度を上げると「名簿を作って、必要な人に対して営業をする」「システムによって、なにかをマッチングさせるコストを下げる」の繰り返しをしていたように見える。前者は得意なことで、後者がやりたいことだったのだろう。これらを交互に行う点では、絶えず首尾一貫しているとも言える。組織にとって必要な人材は変わらず、ピボットのたびに組織を一から作り変える必要がなかった。
組織の特徴といえば、その育成力・組織力は特筆すべきだと思う。上場セレモニーで鐘をならしたメンバーの顔ぶれをみて驚いた。SCOUTER事業をはじめた時点で在籍したメンバーが未だ重んじられていた。学生起業でありながら、初期メンバーがIPO時において幹部として残っていた企業はどれほどあるのだろう。「初期で活躍した人員が、企業成長と共についていけなくなって離脱する」というよくあるストーリーと、まるで逆だ。組織のカルチャーなのか、仕事の渡し方が良かったのか、どのような背景があるのか完全には理解できていないが、組織としての強さには驚いている。
もっともROXXが成功した要因をひとつに絞るのであれば、中嶋くんが持つ成功するまで諦めない姿勢だと思う。創業初期から色々な「失敗」を重ねてきたが、取り返しのつかない状態になる前に、新しいサービスをはじめ、資金調達に奔走し、ピボットを行った。安易に破滅への道に逃げずに、勝ちを拾いにいく姿勢があった。
無事IPOまでたどり着いたが、今後も色々な苦難が待っているかもしれない。視座を高くし、成功するまで諦めない姿勢を保ち続け、頑張ってほしいと願う。
とはいえ今後の苦難の話は一旦いいか。上場、本当におめでとう。
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