36歳の振り返りと今後1年の目標
こんにちは。シクミヤの山岡です。
先日の2023年4月3日に37歳になりました。年齢を重ねるごとに忙しさを言い訳に何かをしないことに慣れてしまっている自分がいるため、まとまった期間内の自分の行動を振り返る機会は意図しなければ作れそうにありません。
誕生日を契機に、36歳の1年間に取り組んだことと、37歳に取り組みたいことについてnoteを書きます。
36歳:チームメンバーの入れ替えがあった1年
36歳の1年間で、新たに取り組んだことや達成した点など喜ばしい点もたくさんあるのですが、いざ思い返そうとすると、反省点や教訓とすべき出来事などが鮮明に浮かび上がってきます。
この1年間を振り返ると、個人的には、この点について避けて通ることができません。
シクミヤに、創業当初から加わった会計士メンバーの退職です。
入社前から持っていた人当たりの良さと粘り強い思考力で入社直後から活躍していましたが、特に最後1年間の活躍は目覚ましいものでした。どのクライアント先でも、即時に新規担当者と信頼関係を形成し、課題を適切にヒアリングし、何が問題か見極めて最適な処方を施していました。
特に最後の方は、関わったどのクライアントからも「彼はスペシャルだ」ということを異口同音に告げられていました。
監査法人からそのままセカンドキャリアとしてシクミヤに入社してくれることを選び、4年間一緒に働いてくれました。
現在では、独立するもよし、スタートアップでフルコミットで働くでもよしと、どの働き方でも何とかなるだろうという自信がついたようでした。
私自身もスタートアップの道に誘ってくれた会計士と最初の4年は一緒に仕事をしていましたが、その後にシクミヤを設立しています。自信がついた後に自らの道に進むことは自然に思えます。
加えて、「監査法人勤務の会計士を採用して、スタートアップで卓越したパフォーマンスを出せるようにする」というのは自分の1つの目標でしたので、確実に喜ばしいことです。
確実に喜ばしいことなのですが、シクミヤを経営する立場としては2つの戒めがありました。
(1)組織サイズを大きくしなかったことは自分の失態だと強く認める
"4年働いたら独立"という流れは、自らの経験と照らし合わせた場合には当初自然に感じていましたが、あらためて振り返ると、チームを率いる立場としては反省すべき点でした。
今の組織サイズだと同じロールを担う人として学習できる幅にも限界があるということなのでしょう。言語化を少しすすめると、少人数の組織で同一のロールを担って学べる限界はせいぜい4年前後、ということなのかもしれません。
思い返してみれば2020年以降、僕らは積極的に採用が行えていませんでした。設立前からメンバーを集め始めて、2018年からの3年間は毎年採用を行っていたのですが、世の情勢が変わったこともあり、様子を見ているうちに3年が経過していました。
働いているメンバーにも変化がなく、新しいプロジェクトを進めていても「終わりなき日常」感が差し迫ってきたような不安がありました。
もちろん創業当初からこれまで、新しいプロジェクト・新しい試みに継続して挑戦してきたと自負しています。
しかしながら、組織の陣容が変わらなければどんなに新しいことを進めていたとしても、各人の立ち回りや各人がプロジェクトで提供している価値は、本質的にはそこまで大きく変わらないのかもしれません。
このような組織状況をつくったことで、「まだまだ学べるものが無数にある」と思わせることができなかったことは、自分の失態でした。
この反省を生かして昨年(2022年)から採用活動を積極的に行うようにしました。クライアント含めて公言していませんでしたが、新しい会計士メンバーの入社も決まりました。今後も継続して、積極的に採用を進めます。
採用の仔細についてはまた、別の機会で述べさせていただければ嬉しいです。
(2)自分のスキルは伝達可能だということを認める
2つ目の戒めは、自分を大きく捉えすぎていなかったか?ということです。
シクミヤがこれまで行ってきたことは、
(1)起業前後〜IPOまでの各フェーズにおけるスタートアップの支援
(2)スモールビジネスの経営管理
(3)業務最適化に伴う組織改革支援
(4)データベース作成
です。
「データを整理して集計して表示する」という共通項は存在しますが、これらすべての活動に共通して直面している課題や発揮すべきスキルは何か、という点について説明することが難しいように思えていました。それらの言語化が難しい。そのため、何か特別なことをやっているのではないかという感覚もありました。
そう思い、まずはこれまで取り組んだ支援のコンセプトについて言語化を試みたのが以下noteです。想定より労せず言語化ができました。
「特別感」に浸る前に、自分の仕事上で発揮している価値観を言葉に直す努力を怠るべきではないことを認識しました。
もちろんこのnoteだけで、取り組んでいた内容がすべて言語化できたわけではありません。
しかしながら、この1年で取り組んでいた、チームメンバーに任せたプロジェクトの成果をみて、自分のスキルは伝達可能だと割り切った方がいいと思いました。
会社として、この1年で取り組んでいた事例の1つとして、伝統的な製造小売業のDX(デジタル・トランスフォーメーション)化に取り組んでいました。業務をデジタル化する上では、ただ業務フローを整えるだけでは足りず、行動様式も変容させる必要があります。
このプロジェクトはチームメンバーに任せて、自分は最小限の関与にとどめたのですが、自分が目指していた「業務と行動様式をセットで変えていくこと」ということを達成できていたように思えました。デジタル化された業務フローに適合して、その会社の社員が自ら改善案を出して業務フローの改善を行っていたのです。
自分が想定していた以上に、自分の目指していたことに近い結果となっていました。意図と違う結果に着地しないかとモニタリングしていたのですが、プロジェクトの最初から最後まで自分がほとんど関与せずとも、想定していた通りの結果となっていました。
難易度が難しいと考えていたプロジェクトであっても、自分が目指す結果はチームメンバーだけでも十分に実現可能でした。
「自分ができるなら他人はできるだろう」は盲信すると教育に関する思考の怠慢ですが、「自分は特別な所があるから他人は容易にはできないだろう」は傲慢です。
この両極端な2つの思想の間をさまよいながら、その時にあわせた最適な考え方を目指すべきなのでしょう。
現状では、自分の知識や経験はチームメンバーに移転できると認め、それを伝える努力を行うべきだと思いました。
37歳:未だWindowsXPを使う人にならない為に
スタートアップの世界で働きはじめたのは、2014年3月でした。
ファーストキャリアで進んだ監査法人では入社時に「4年働く」と決めており、最後の1年間は会う人会う人と次のキャリアの方向性について話して、その縁から複数のオファーをもらいました。
その中で、最も面白いオファーだと思い決めたものが、スタートアップ業界でした。
今振り返っても、とても良い選択ができたと思います。後悔も数多くあるのですが、その分面白さも充実感もあります。
37歳が終わるころには、この業界で働いて10年経過することになります。10年同じ業界で働くと、過去に学んだ知識と過去の経験に依存して、それらに甘えて未来のための意思決定を安易に行うことも増えそうだという感覚があります。
Internet Explorerを率先して使っている、あの中堅企業ではWindows XPのPCを未だ使っている、月末の振込をするのに駅前のATMで1件1件画面操作している、というような事例を見聞することがあります。
このような、テクノロジーに取り残されたと感じてしまうような事例をみた人で「まだそんなことをやっているのか」と笑ってしまうこともあるでしょう。
しかし、これらの行動は、アップデートしていない、錆びついた専門知識に依存して仕事をすることと同質です。
36歳の反省点を振り返ってみると、ここ数年は、自分のやれる幅を全力で広げてこれたのか。アップデートしていない技術に依存して仕事をしていないのか、省みる必要があるように思えました。
安易に解けるようになった課題・知識に依拠して楽に解ける課題はすぐにメンバーに渡して、より高度な課題を解くべく継続して自分のやれる幅を広げる努力を続けたいと思いました。
37歳の抱負としては、ストレスがかかる、自分が無力に感じて不快感を覚える分野の学習に取り組む1年にしたいです。
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