「人間は何のために生きるか?」
約40年前のことです。
ふと
私は、
「日本人でインドの聖者から
ヨガを最初に直伝された人は誰だろう?」と、
疑問を持ち、
【ヨガの日本の原点】となった人を
探したくなりました。
ある方の名前が
スッと目に入りました。
本当に偶然でした。
何故なら、
そこに私が探し求めていた
「人間は何のために生きるか?」
という疑問への答えが
つながっていたからです。
わたしが勤めていた
ヨガ道場の中で見つけた会報誌に
藤本先生が書かれた一文に
ピタッと私の目が止まりました。
日本初のヨガ直伝者が
書かれていました。
それは明治の哲人、
中村天風(なかむらてんぷう)氏に
関しての内容でした。
波瀾万丈の人生を送り、
各界の精神的支柱となった明治の気骨です。
中村天風氏について
あなたは、
あまりご存知ないかもしれませんので、
中村天風氏とは、
波瀾万丈の人生を送り、
原敬、東郷平八郎、山本五十六、
石川素童、杉浦重剛、北村西望、
大佛次郎、松田権六、植芝吉祥丸、
松下幸之助、宇野千代等、
各界の精神的支柱となった
明治の気骨。
心身統一法、天風哲学を創造。
財団法人天風会、初代会長。
宗教家ではありません。
むしろ、医学的、科学的な
「積極思想」の日本における
草分けであり、実践哲学者です。
哲人と言われています。
その生涯は、
華族に生まれ、
文武両道に恵まれ、軍事探偵になる。
無理がたたり奔馬性肺結核となり
医師から死の宣告を受ける。
ところが、
病の体をおして、人生探求と病を治すため、
医学、哲学、心理学等の書籍を読みあさった。
さらに
世界中の識者や偉人を訪ねてまわった。
しかし、
いっこうに治らず、
諦めて日本に帰ろうとした時、
エジプトのカイロでヨガの聖者と出会い、
インドに渡り難行苦行の末、悟りを開く。
日本人初のヨガ直伝者となり、
ついに病を克服した。
帰国後は
銀行の頭取、数社の会社を経営し
大成功を治めた。
しかし、
思うところがあり、今までの財産を投げうって、
人としてどう生きるかを大説法し、
天風哲学・心身統一法を編みだし、
政財界、文化人等、多くの逸材を世に送り出した。
英語、中国語、ドイツ語も堪能だった。
さらに
コロンビア大学を主席で卒業、
ドイツのベルリン大学にも学び、
それぞれの大学で
医学博士、哲学博士号も取得。
また、
武道の達人であり、
時代劇に出てくる
鞍馬天狗の人物モデル。
わたしは、
こんなスケールのでかい日本人が
明治・大正の時代にいたのかと驚きました。
それ以来、
わたしは
ずっと中村天風という人物が
気になって仕方なくなりました。
今から約30年前になります。
書店や図書館で
中村天風という人物について
徹底的に調べました。
孫文政権の
第二次辛亥革命の最高顧問を
中村天風氏がしていたことを知り、
孫文の文献まで調べました。
現在のような
中村天風ブームとは違い、
当時、中村天風に関する書籍は
宇野千代さんの『天風先生座談』、
大井満先生の『ヨーガの里に生きる』等
数冊の限られたものしか存在しませんでした。
しかし
私はどうしても知りたかったのです。
それは、どうしてでしょうか?
あなたは、どう思われますか?
直感的に、この中村天風という人物が
長らく私が抱いている疑問
「人間は何のために生きているのか?」
のヒントを与えてくれるかも知れないという
期待があったからです。
ですが、
いくら探しても上記以上の情報は
わたしには得られませんでした。
「もうこれ以上わからないな」
と私は半分諦めかけていました。
ところが、
意外なところに
中村天風師との縁があったのです。
20代の頃、私はヨガのインストラクターを数年経て、
実業のビジネスの世界を経験する必要を感じ、
リクルートの企画営業マンに転身しました。
当時は
飛び込み営業を軒並み行っていました。
リクルートという会社は
今ではスマートなイメージがありますが、
昔は、泥臭い営業スタイルをとるという
面もありました。
余談ですが、
わたしは
リクルートの「自由」で「独立志向」、
そして、「意欲」のある人々が多い社風が、
とても好きでした(^o^)
さて、
そんな中、
「財団法人天風会香里支部」という
看板が目に入ったのです。
「えっ、ひょっとして!」
そう、
私が、あれほど探していた中村天風氏の
支部道場が、私の目の前にあったのです。
当時のわたしは
財団法人天風会というところを
よく知らなかったので、
あぶない宗教だったらどうしようなどと
思っていました。
しかし、
財団法人天風会香里支部道場は2階建てで
1階が小児科の病院でした。
何かホッと安心しました。
そして、
私はつかつかと、
その病院に訪ねていきました。
すると
奥から年輩のご婦人が
出てこられました。
「ここは中村天風先生の道場ですか?」
「そうですよ。よかったら2階の道場をご覧なさい」
と快く応対していただいたのです。
とんとんとんと
2階まで階段を上がり、
道場に入ると、
「オッ」
私はビックリしました。
それは
私が生まれて初めて見た
中村天風師のお写真でした。
慈愛に満ちた目で天を見上げ、
合掌し半踵座を組むお姿でした。
「美しい」
しかも神々しい雰囲気に溢れていました。
私は、
今まで私は何名かの精神的指導者を
実際に見てきましたが、
このように魂から、
この人は凄いと感じたのは初めてでした。
そして道場の中を見渡すと、
そこに中村天風氏の
非売品の著作が
数冊並べられていました。
わたしは
特にその中の
『真人生之探究』
(しんじんせいのたんきゅう)
という
タイトルに惹かれました。
「本当の人生の探究か。凄いタイトルだな」
と思い、
パラパラと頁をめくると、
そこには私の知りたかった答えが
総て網羅されていたのです。
もちろん
「人間は何のために生きているのか?」
という
答えも書かれていました。
『真人生之探究』(しんじんせいのたんきゅう)
昭和59年発行。
本当の人生を探究する、
まさに私が求めていた内容です。
すぐに買い求め、
急いで自宅に戻り、
312ページの本を
一気に読み終えました。
胸が打ち震えるぐらい
感動しました。
そこで私は
ざっと読んだだけではもったいなく、
その本の要点を
KJ 法
(川喜多二郎氏が考案した発想法及び思考整理法)
を
応用した図解でまとめていきました。
そして、何度も熟読しました。
どうして、
そんな手間なことを私はしたのでしょう?
再度、自分の頭の中に整理し、
深く思索するためです。
ついに、
その本には
長年、私が探し求めていた
「わたしたちは何のために生きているか?」
という質問に対して、
その答えが書かれていたのです。
天風哲学に対して、
私なりの解釈を書きます。
「いかなる状況も喜びと感謝で迎えよう。
それが本来の積極だ。
そして日常に行う言行を
少しでも世のため人のためになるよう
心がけよう。
また、
人に施したことや与えたことを
恩に着せず、
世のため人のためになるように
行動すること自体を
自分の楽しみや喜びとしよう。
人の喜びを自分の喜びとしよう。
そのような生活を実践することが、
自然に、
宇宙全体の進化と向上に
貢献することとなり、
人間の本来の使命を全うすることになる」
という解釈です。
つまり、
わたしたちの【人生の目的】とは?
わたしたち人間、または人類の
【人生の目的】とは、
宇宙全体の法則である
【進化向上】の【現実化】に貢献することです。
そして、
私たち一人ひとりに与えられた
使命を遂行することです。
それは、むずかしいものではなく、
それぞれの身の丈に応じて、
【世のため人のためになるように行動すること自体を、
自分の楽しみや喜び】とするとともに、
【人の喜びを自分の喜び】とする心持ちで、
日常生活を送ることであるというものです。
さらに、
これは大げさなことをする必要もなく、
日常生活で、世の中や人のためになることを
「心がける」だけでも良いと、
中村天風師はおっしゃいました。
私は、この本によって、
人生観が変わりました。
それまでの利己的だった自分から、
利他的な自分に変わろう!
と真剣に思いました。
しかしながら、
現在も、わたし自身、
完全に実践できているとは
まだまだ恥ずかしくて言えません。
ですが、
このような考え方を生活に
取り入れるようになってからは、
生きる指針が出来ましたし、
精神的に非常にラクになりました。
わたしたち人間、そして人類としての
【人生の目的】を知ることにより、
わたしは
「生きることがとてもラクになりました」
以上が私の体験です。
ところで、
【人間として、また人類として】の
人生の目的は明確になったのですが、
「それでは、
わたしの【個人としての人生の目的】は何だろう?」
という大きな疑問がわいてきたのです。
その答えを見つけるために行った経験が
創業21周年
ビジョンアートメソッドⓇに繋がりました。
そのきっかけを創ってくれた記念すべき書籍が
『真人生之探究』だったのです。
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長文をお読みいただきありがとうございました。
心より感謝いたします。
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