知られざる作業療法の源流?(1)

忘れ去られた作業療法の創始者?

作業療法の源流といえば、何を思い浮かべますか?
多くの教科書が挙げているのは、道徳療法アーツ&クラフツ運動ですよね。
Live Studyなどで作業療法の哲学的基盤を学んだ方なら、更にプラグマティズムを挙げるでしょう。
でもチリの作業科学者であるRodolfo Morrisonが2016年に発表した論文を読むと、今まで挙げられることがなかった人物が重要な役目を果たしたのではないかとも考えられます。

それは一体誰でしょうか?
その人は、シカゴのハルハウスでセツルメントハウス運動を行い、ソーシャルワークの先駆者であり、アメリカ人女性として初めてノーベル平和賞を受賞した、ジェイン・アダムズです。
Morrisonは、ジェイン・アダムズを、南米で行われている社会的作業療法(Social Occupational Therapy)の源流だとみなしており、その重要性を主張しています。

ちなみに社会的作業療法というのは、南米を中心に行われている社会問題の解決を目指すために行われる実践です。

ジェイン・アダムズとは?

ジェイン・アダムズは、ハルハウスの利用者たちと共に、社会的公正を求め、貧困層、労働者、移民(と子供を含むその家族)が直面する社会問題を解決するための運動を行いました。
ハルハウスは、当初は恵まれない子どもたちに文学や芸術を教えることを想定していましたが、やがて英語や裁縫、料理を教えるようになりました。
他にも保育園や図書館、カフェ、公衆浴場、プール、遊び場を作り、更には音楽、芸術、演繹の活動を行う文化センターやギャラリーまで設立しました。

個人的意見ですが、ある意味、ハルハウスは作業による教育が行われる大人と子どものための学校であり、作業をすることを楽しむ場所だったのだと考えられます。
アダムズは、そうした作業をする機会や作業をする場所を提供することで、社会の問題を解決しようとしたのでした。

このアダムズが始めたハルハウスが、作業療法と関係が深くなったのは以下の人達が関わっていたからです。

作業療法の創始者達が集まったハルハウス

作業療法が道徳療法、アーツ・クラフツ運動、プラグマティズムなど多様な活動や実践が融合してできたのは、よく知られています。
しかし、それらがなぜ融合できたのか?というと、それはアダムズのハルハウスを中心に作業療法の創始者やその源流を作った人たちが集まって参加していたのも要因の一つです。
(実際、『The History of Occupational therapyでも作業療法創成期の重要拠点になってます。)
では、具体的にどのような人がハルハウスに参加したのか見てみましょう。

プラグマティズム

ジェイン・アダムズは、ハルハウスで、当時の貧困に苦しむアメリカ人や移民を支援していました。
アダムズは、プラグマティズムの哲学者であるウィリアム・ジェイムズとジョン・デューイと交流が深く、ジェイムズとデューイは、セツルメント運動に参加してます。
特にデューイは、ソーシャルワークを積極的に行い、貧困に苦しむ子どもの支援や教育(Occupationによる教育)を行いました。
他にもセツルメントハウスは、社会・経済・教育問題を科学的に検証する研究センターという役割もあり、デューイは、支援以外にも心理学や教育、社会問題などの教育講演なども積極的に行っています。

デューイ自身は、ハルハウスでのソーシャルワークを通じて、「ソーシャルセンターとしての学校」という、民主主義を再構築する場としての学校構想へと、自身の哲学を発展させていきました。
アダムズも、自身のソーシャルワークについて、デューイの思想に大きな影響を与えられたことを認めており、デューイもアダムズも互いに尊敬し、影響を与え合う関係でした(そのためデューイは、自身の娘に、ジェインと名付けているそうです)。

他にも、デューイやジェイムズと親しく、のちに『作業療法の哲学』を発表した精神科医のアドルフ・マイヤーもハルハウスの活動に参加してます。
マイヤーはこの時期からデューイと、アダムズの同僚で友人だったジュリア・ラスロップと親交を深め、互いに交流を深めたようです。
ラスロップは、マイヤーから影響を受け、アーツ&クラフツ運動を行っていた職人にも協力を求め、精神疾患を有した方達に作業を用いた介入の教育プログラムを行っていました。
そのプログラムに参加していたのが、当時、シカゴの大学でソーシャルワークを学んでいたエレノア・クラーク・スレイグルでした。
スレイグルは、後に、マイヤーと同じ職場に就職し、共にプラグマティズムの影響を受けた習慣訓練を行うことになります。
そして更に後には、スレイグルは、ハルハウスに初の作業療法士の学校を作ることになります。

ちなみに、最も古い作業療法の教科書を書いた、スーザン・トレーシーは、シカゴの病院に作業療法部門(のようなもの)を作り、看護師に手工芸を教えていました。
トレーシーは、教科書にデューイの『学校と社会』の一節を引用し、Occupation(作業)を治療的に使うことを初めて示しました。
この教科書は、他の創始者のバートン、ダントンに大きな影響を与えています。
少なくとも、トレーシーは、デューイの実験学校やアダムズのハルハウスがあった同じシカゴで活躍していたのは注目すべきところです。(色々調べたものの、ハルハウスに参加したという痕跡は見つけられませんでした)。

アーツ&クラフツ運動

まさに、ハルハウスは、プラグマティズムとセツルメントハウス運動の中心であっただけでなく、シカゴ・アーツ&クラフツ運動協会も設立されていました。
これは社会改革を目指すという類似点があったためと言われており、シカゴ・アーツ&クラフツ運動協会は、工芸品の製作過程や手工芸を作る誇りと満足感を伝えました。
また上記のように、ラスロップは、シカゴ・アーツ&クラフツ運動協会の協力をもとに、作業を用いた教育プログラムを提供してました。
まさに、ハルハウスは、プラグマティズムとアーツ&クラフツ運動の合流点でした。
そして作業療法の創始者達が集まる場所でもあり、多様な実践を結びつけたのがジェイン・アダムズであり、セツルメントハウス運動だったのです。 

まとめ

このように見ていくと、ハルハウスでは、プラグマティズムとアーツ&クラフツ運動が同じ場所で行われ、それが「作業」を軸に、互いに影響を与えながら融合していったと考えることができそうですね。
そしてハルハウスの活動自体が、プラグマティズムやアーツ&クラフツ運動の影響を受けたものであり、作業療法の先駆けだったと考えることができそうです。

終わりに

これを読んだ皆さんはどう考えたでしょうか?
ハルハウスには、最初の作業療法士が設立されたことを考えれば、セツルメントハウス運動やジェイン・アダムズも作業療法の源流に含めようとするMorrisonの主張も理解できる気がしてきます。
自分の中では、色々繋がって、作業療法の可能性が新たに開けてきた感じがしてきたので、紹介してみました。
次回は、アダムズとプラグマティズム、作業療法への影響も紹介できたら、と考えてます。

更新頻度はお約束できませんが、気長にお待ちください。

参考資料

Morrison R. Pragmatist Epistemology and Jane Addams: Fundamental Concepts for the Social Paradigm of Occupational Therapy. Occup Ther Int. 2016 Dec;23(4):295-304. doi: 10.1002/oti.1430. Epub 2016 Jun 1. PMID: 27245105.
Andersen LT,Reed K:The History of Occupational Therapy: The First Century, Slack Incorporated, 2017.
上野正道: ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学, 岩波書店, 2022

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