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噓日記 6/23 女の思い出と湯船

湯船に浸かり肩の力が抜けて、そっと浴室の天井を眺め、溜まっていた疲れがため息と一緒に漏れ出る。
入浴剤で乳白色になった湯はトロトロと指の隙間を流れ落ちて、個からまた群れへと戻っていく。
何度となく掬い上げてはそれが元通りに返っていく様をじっと見つめる。
孤独を紛らわせるには狭すぎる浴室の中で繰り返される所作に私はいつも後悔する。
引き裂かれては元の形に戻ろうとする湯に、昔の交際相手の顔を思い浮かべては力無く握りつぶして消して、また掬い上げては握りつぶす。
元の鞘に納まることなどきっとないし、私自身もそれはあり得ないと理解しながら、一人生活する今の日常の潤いのなさにもまた辟易する。
人肌であったり、誰かを愛する気持ちさえも喉元過ぎればといった具合にとんとご無沙汰でいっそ何ともなかったかのように乾き切った日常の中で魂の端の方へと追いやられていく。
彼女と行った彼女の地元も、彼女が勧めてくれた日本酒も、彼女と食べたクリスマスディナーも、全て何もかも覚えている。
ただそこにあるのは行った、飲んだ、食べた、そんな結果の塊であって、そこに含まれていた空気も愛情も、性欲さえも伴わない実態のない記憶だけなのだ。
彼女のことが本当に好きだったのか、それとも性欲と見間違えた幻想だったのか。
判断がつかないままに、判断がつく前に、彼女との時間は終わりを迎えた。
違う形の生き物が分かりあうことなんて出来ないのだ、なんて負け惜しみを言いながら一人飲んだ立ち飲み屋の記憶には、そこにあった空気や思いが存分に残っているのに。
彼女との時間だけがその温度を失っている。
今になって、私も多少大人になって、あの時間から失われた温度を知って、あれは多分恋だったのだと気付く。
そんな終わり際だったが、だからこそ私は自分から別れを告げた。
自分の思いに確信が持てなかったから、自分さえも騙しながら彼女を騙し切る自信がなかったから。
逃げるように、たださようならと。
いや、逃げたのだ。
好きだったのになぁ。
あの日の私に言ってやりたい、騙しきれと。
自分も彼女も。
そうしたら数年後にそれが真実へと変わる日が来るのだと。
震える手で湯を掬って、その乳白色に彼女のかんばせを浮かべながら、キスをするようにそっと顔を重ねた。
生暖かい湯が触れて、溢れて、消えて。
流れ落ちていく彼女をまた、指で追って、諦めて。
もうあの日の温度を私は掬えない。
救えない男の後悔には小さな湯船が相応しい。

どりゃあ!