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嘘日記 3/30 マッチ

マッチを買った。
立ち寄った100円均一にて、レジ横に並んだレトロな紙箱のマッチを。
ライターをはじめ、現代では火をつける器具なんてごまんとある。
その中でマッチが生き延びている理由の一端に、そのローテクさやその不便さが想起させるノスタルジーがあると思う。
紙箱の側薬に、マッチの先の投薬を擦り付ける。
その面倒さに人は惹かれるのだろう。
ボタンひとつで火がつく現代だからこそ、その火と出会うまでの時間によりフォーカスしたくなってくるのだ。
帰宅後、部屋で一度マッチを擦ってみた。
懐かしい香りがした。
ツンと鼻をつく亜硫酸ガスの香りが私に郷愁と古くささを同時に抱かせた。
マッチの頭には揺らめく炎。
ユラユラと艶かしく炎は揺れ、私の眼球の中でその残像だけが線を引いた。
暫くそれを眺めているとマッチの軸となる木材に炎は移り、徐々にその姿を黒く黒く染めていく。
火傷しない程度に持ってみた後、指先を掠める温度に驚いて、急いで灰皿にマッチを投げ捨てた。
くの字に身を曲げながら燻るマッチ。
その一連の出来事は、私に炎の魅力を再認識させるのに十分な出来事であった。
昔、寝物語に聞いたマッチ売りの少女の話を思い出す。
寒空の下、そっと火を灯し見える幻影の祖母。
祖母の幻影が消えぬよう全てのマッチに火をつけた少女。
少女は祖母に抱きかかえられ天へ登っていく。
そんな話を。
彼女の見た幻影に納得した。
マッチを擦り、それが消えるまでの微かな時間。
私もその幻影を見たかのように意識が遠のくような感覚を実感した。
人は炎を獲得した生物だ。
生き残る上で炎への恐怖を克服し、その暖かさを学んできた。
炎の揺らめきは我々に安心を与える。
音もなくそっと揺れる暖かな光は、我々の祖先が見出した希望なのだ。
だから我々はマッチを擦り、その先で揺れる人類の叡智を再び認識する。
部屋を薄らと淡い赤に染める光に、我々は遠く明日を思うのだ。
先の未来、我々の子孫も同じように火を見るのだろうと。
ふと思い立ってマッチで古い写真を燃やしてみた。
幼い頃に撮った家族写真だ。
写真の右端を火に近づけると、徐々に茶色から黒くそれを侵食し始め、終いには全てを飲み込み、そして消してしまった。
私はその一瞬の黒に、写真を空に、祖先のもとに送ってやったような感覚を覚えた。
部屋から出て、家を燃やしてみた。
小さな炎は次第に大きくなり、家を飲み込むように広がった。
祖先は満足するだろうか。
次は人でも送ってやろうか。
大丈夫。
どうせ最後には私も祖先のもとに送られるのだ。

どりゃあ!